日本国語大辞典という名称は、上田万年、松井簡治による、大日本国語辞典を引き継ぐ事業という性格をもつ、と解説がある。日本に対して、大日本であったか、それは大日本国語辞典というのを、おいたものであった。
>上田万年 (かずとし) と松井簡治の共著。 1915~18年初版4冊本,28年索引1冊,39年修訂版 (5冊) ,52年新装縮刷版 (1冊本) 刊行。収録語数二十余万語。
日本国語大辞典は、およそ半世紀を経た事業であった。それを受けた、日本国語の名称は、100年のながれを持つ。
>初版
日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典』小学館、20巻21冊、1972年12月 - 1976年3月
この時点が編纂されたことによって、古典の仮名遣いを音引きにする項目が立てられて、古文を学習するのに検索が難しいという声があった。
https://japanknowledge.com/contents/nikkoku/book_second05.html
>第二版 あとがき
「日本国語大辞典 第二版」は、この第十三巻をもって完結の運びとなった。平成十二年(二〇〇〇)の十一月末に第一巻を発刊し、第二巻からは毎月一巻ずつの刊行という強行軍ではあったが、当初の予定通りに無事出版できた喜びを、刊行中も変わらぬ御支援をいただいた読者の皆様と、関係者ともども分かち合いたい。
第一巻の凡例でも触れたように、第二版では見出し語が初版の四十五万から五十万項目に、用例が七十五万から百万例に増補され、総文字数九千万字強にのぼる情報量は初版の約一・四倍に達した。量的に増えたばかりではなく、初版以来の記述、用例についても全面的に見直した。特に、本辞典の生命とも言うべき用例については、一例一例原典に戻って再検討する労を今回も厭わなかった。確実な用例に基づいてこその意味記述であり、ことばの由来・歴史の証明であると考えたからである。
國語學
國語學 53(2), 93-94, 2002-04-01
日本語学会
「国語学」と「日本語学」 : 「日本国語学会」という選択
井上 次夫
小山工業高等専門学校
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002533152
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刻々と変化する時代に旧来の内容とシステムでは太刀打ちできないとし,周辺の優良経営のホテルを参考に大きな改革を行い将来の発展を構想する革新派,過半数。この老舗旅館の守旧派は「国語学会」を支持し,革新派は「日本語学会」を支持するのであろうか。言語は形式と意味を持ち,組織・団体は名称と内容を持つ。問題の名称の変更は,その名称と内容(研究対象・領域)との不一致という認識の発生,浸透,定着のいずれかの段階で行われるであろう。企業などであれば内容の一新を行う意図を持って名称の変更を手段とする場合もあろうが,今回の学会名の変更については前者,名称と内容との不一致の場合であって,この誌上フォーラムの議論及び結論は最終的には名称を変更し,次の(1)か(2)かに落ち着くことになるだろう。<>内はそれぞれの性格。(1)名称の変更を行うが内容は変えない。<現実路線・妥協>(2)名称の変更とともに内容も変える。<改革路線・急進>(3)名称の変更は行わず内容を変える。<分離・縮小路線>(4)名称の変更も内容の修正も行わない。<墨守・時代錯誤>他方,内容の変化に名称の変化が伴うべきかという基本的問題もある。近くに例を求めてみると,「保母」に「保父」が加わり「保育士」となり,「看護婦」に「看護士」が加わった今「看護師」への名称変更を求める意見がある。しかし反対に,中身は「毛筆」でなくなっても「筆箱」,その機能はもはや電話を超えたが「携帯電話」であり,扱う商品は薬以外の多岐にわたっても「○○薬品」などと名称変更しない店がある。もちろん,「藁半紙」のように物が消え名も忘れられ,新たに「再生紙」や「コピー用紙」へと変わった例は少なくない。しかし,今回の問題がそれらと異なるのは,この問題に関して我々学会員の意見が求められており,それが問題の決着に反映するであろうという点である。ところで,「国語学会」の名称変更の問題には名称と内容との整合性の問題のほかに,名称変更が与える各方面への影響から学の名称,機関誌の名称をどうするかなどに至るまであれこれ大小の問題のあることは既に諸賢氏によって指摘されているとおりである。いちいち記すことはしないがそれらを参考としながら以下,私案を述べる。
まず,学会の名称は「国語学会」に「日本」を冠して「日本国語学会」とする。この学会名は,日本言語学会,日本語教育学会,日本国語教育学会とは別物であり,また「日本語学会」でもない。「日本の国の言語」についての研究を行う学会の意味を持つ。その英文名は現在と同様The Society of Japanese Linguisticsであり,変更する必要はない。次に,学の名称については現状を考慮し大きく「国語学」と「日本語学」とする。前者が史的研究に重心を置くのに対し,後者は現代・理論研究に重心を置く。その判断基準は研究における<史的観点>の程度とすれば,専門分野の呼称は各研究者の判断に委ねることもできようか。あるいは,「日本国語学」と称することも可能な選択肢である。これらのことを表にまとめると,次のようになる。
真淵,宣長ら江戸時代以来の「国学」が,明治時代を迎え上田万年を始めとする「国語学」につながり(一時「日本語学」の提唱があったにせよ),戦後「国語学会」の設立とともに「国語学」の隆盛が長く続いた。そして,1980年代後半から日本の国際化が進展する中で「日本語学」が「日本語教育」とともに急成長,活発化し,最近は「国語学」に対し「日本語学」主流の感さえある。だからと言って「国語学」から一足飛びに「日本語学」へと宗旨替えのできるものではなく,自身の専門は国語学か日本語学か迷うところでの今回の誌上フォーラム。そこで私は「日本国語学」を発案し,「国学-国語学-日本国語学-日本語学」といった流れを考えるものである。この観点からすれば,今回を契機に学会名を「日本国語学会」に変更し,この名のもとに「国語学」と「日本語学」を併せ持つ「日本国語学会」のための諸々の改革・整備,体制作りなどの努力を行ってはどうか。当然,機関誌名についても「国語学」から「日本国語学」へと変更する。