子知る、し である。天、神、われ、そして、し しる であった。それで、四知となるが、原文には、地との違いがある。出典は酢であって、流布する言葉に異伝があった、ということか。天地と、天神では、人口に膾炙する、受け入れようがあったのだろう。
>【四知】(しち)
『後漢書楊震伝』二人の間だけの秘密でも、天も知り、地も知り、我も知り、
相手も知っているから、いつかは他に漏れるものであるということ。
《広辞苑》
http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlko/200707110.htm
【天知る地知る我知る人知るの解説】
【注釈】 誰も知る者がおらず、二人だけの秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するものだということ。
後漢の学者・楊震に推されて役人になった王密が、金十斤の賄賂を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、楊震が「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや」と答えたという故事に基づく。
「天知る、地知る、子知る、我知る」「天知る、神知る、我知る、子知る」ともいい、「子知る」は「ししる」と読む。
「子」は二人称の人代名詞。
【出典】 『後漢書』
https://kanbun.info/koji/tenshiru.html
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後漢書 楊震伝、 十八史略 東漢・孝安皇帝
〔後漢書、楊震伝〕
至夜懷金十斤、以遺震。震曰、故人知君、君不知故人、何也。密曰、暮夜無知者。震曰、天知、神知、我知、子知、何謂無知。密愧而出。
夜よるに至いたり金きん十斤じっきんを懐ふところにし、以もって震しんに遺おくらんとす。震しん曰いわく、「故人こじん君きみを知しる、君きみ故人こじんを知しらざるは、何なんぞや」と。密みつ曰いわく、「暮夜ぼやなれば知しる者もの無なし」と。震しん曰いわく、「天てん知しる、神しん知しる、我われ知しる、子し知しる、何なんぞ知しるもの無なしと謂いうや」と。密みつ愧はじて出いず。