【つづき】
Nikon D90 +AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED
『作品』と呼べるものを展示したい、と言う気持ちは高まるものの、
「では『作品』と『そうじゃないもの』との違いはなんだ?」と問われても答えに窮する。
「若さってなんだ?」と問われれば「振り向かないことさ/宇宙刑事ギャバン」と即答出来るのだが。
ストックの中からモチーフに共通性がある画像を選び出し、
適当なテーマを後付することで『作品群』に仕立て上げる事は可能だ。
でもなぁ、、、今の段階でそんな上辺だけ取り繕うようなことをしてみても、
なにか答えらしきモノが見つかるわけでも、問題解決の糸口を見つけるきっかけにもなりそうに無い。
ギャバンは「光の速さで明日にダッシュ」しているというのに、自分はひたすら手をこまねいていた。
きっかけは、相も変わらず表現すべきテーマが見つからないまま街撮りっていた時だ。
人ごみを追っていると、自然に親子や夫婦、恋人、不倫関係にある二人、
卸売市場のセリで金額を決めている最中の二人など、《手を繋いでいる人ズ》を被写体に選んでいることに気がついた。
《触れ合う人ズの姿》は、身構えてテーマや意味を考えなくても、自然にさまざまな感情を喚起させる。
そこに『撮る側』と『見る側』の違いは無い筈だ。
「愛ってなんだ?」と問われれば、「躊躇わないことさ/宇宙刑事ギャ(略)」、と即答出来るし。
ソコがゴールや着地点だとは思わなかったが、
とりあえず《触れ合う人ズの姿》を撮るべきモチーフのに決め、それからはひたすら《仲良しズの姿》を探して歩くようになった。
が。 「思った以上に難しい」。
ある程度の画像が集まって来ると、新たな問題が露呈・浮上してきた。
それは、《仲良しズ》はモチーフとしてはオモシロイものの、
撮影条件(同時に写り込む他の人物や建物、漁船等)が限定される為、
《まともな構図におさまっている画像が極端に少ない》、という問題。
ほとんどのものが『画』として成立しないのである。
一旦は、《体で「躊躇わないことさ♪」を表現している人ズ》で埋め尽くすことを考えた展示は、
撮る枚数と使える枚数の比を考えると諦めざるをえなくなった。
そうこうする間に、長丁場と思われた展示期間も残り1ヶ月を切ってしまった。 【つづく】