大阪、新世界のジャンジャン横丁の三桂クラブである。窓の外から物珍しそうに覗いているのが、いつもの光景だ。斜め隣りには王将クラブもある。
今から35年前には、私は関西本部で塾生をしていたので、毎月1回「将棋世界」誌を風呂敷に包んで、この二つのクラブにも配達していた。修行中なので滅多に外出しなかったので、月に1回、外の空気に触れるのが楽しみだった。塾生の間は、刑務所に入っているつもりでいた。刑期のお勤めみたいなものだ。
真面目にそう思っていたので、当時は将棋三昧の生活だった。(毎日将棋を指すという意味でなくて、毎日将棋に関わることをこなしていたのだ)「兄ちゃん、早う強くなりや」そう言ってもらったこともある。
将棋クラブを7軒くらい回って、寄り道もしないで帰った。将棋世界を70冊くらい抱えていたので、配り終えるとうれしかった。
今から35年前には、私は関西本部で塾生をしていたので、毎月1回「将棋世界」誌を風呂敷に包んで、この二つのクラブにも配達していた。修行中なので滅多に外出しなかったので、月に1回、外の空気に触れるのが楽しみだった。塾生の間は、刑務所に入っているつもりでいた。刑期のお勤めみたいなものだ。
真面目にそう思っていたので、当時は将棋三昧の生活だった。(毎日将棋を指すという意味でなくて、毎日将棋に関わることをこなしていたのだ)「兄ちゃん、早う強くなりや」そう言ってもらったこともある。
将棋クラブを7軒くらい回って、寄り道もしないで帰った。将棋世界を70冊くらい抱えていたので、配り終えるとうれしかった。