村山聖が亡くなってから10年経つが、夏になるとその日のことを思い出す。私が高校の全国大会のイベントで鳥取県倉吉市に行っていたとき、妻から1本の電話が鳴った。「今、村山さんのお母さんから電話があって、聖が・・だめみたい・・です、と。早く広島に行ったほうがいいね」あわてて駅に走り、新幹線に飛び乗った。そして、車中で村山君のお兄さんから聞き取りにくい電話があって「聖が亡くなりました・・」その瞬間に私は真っ青な空を見上げた。缶コーヒーの缶がさみしそうだったが、涙は出なかった。それから広島までがやけに遠かった記憶がある。
この夏は弟子を引き連れて、村山聖のお墓参りに行くことにした。もう村山聖の実際の姿を知らない弟子も増えてきたのだ。
最近は、生きて自分にできることが限られていることを実感する日々だが、弟子にいちばん伝えたいものは、村山聖のやさしさかなあ・・そう思うようになった。
この夏は弟子を引き連れて、村山聖のお墓参りに行くことにした。もう村山聖の実際の姿を知らない弟子も増えてきたのだ。
最近は、生きて自分にできることが限られていることを実感する日々だが、弟子にいちばん伝えたいものは、村山聖のやさしさかなあ・・そう思うようになった。