昨日探し物をしているときに「村山聖の色紙、大局観」が出てきた。味わいがあって書家の書いた字のようである‥
何かのお祝いのときに「色紙を書いてうまかったら扇子に使うから、頼むわなあ」と依頼した。出来上がったのを見て(師匠よりもはるかにうまい‥書いたことがないはずなのになあ)意表を衝かれて感心した記憶がある。
村山聖が亡くなってから、私も「大局観」と書くようになった。それが阿吽の呼吸だが?字のヘタさは呆れられているだろう。この色紙を大事にしまっていないのも師匠の粗相である。
何かのお祝いのときに「色紙を書いてうまかったら扇子に使うから、頼むわなあ」と依頼した。出来上がったのを見て(師匠よりもはるかにうまい‥書いたことがないはずなのになあ)意表を衝かれて感心した記憶がある。
村山聖が亡くなってから、私も「大局観」と書くようになった。それが阿吽の呼吸だが?字のヘタさは呆れられているだろう。この色紙を大事にしまっていないのも師匠の粗相である。