昔、将棋連盟関西本部が阿倍野にあるとき、近くにあったこの万代池によく遊びに来た。私は当時住み込みの塾生だったので、深夜にこっそり抜け出して息抜きに来たものである。
奨励会の仲間のIさんとは何度もここで話し込んだものだ。今はどうしているだろうなあ‥
人生は何が不幸で何が幸せなのかわからないものだと思うが、さりげない時間でも日々の積み重ねで知らぬ間に、自分では手におえないものを背負っていたり、自分で思う逆の方に進んでいたり、運命を決して泳ぐことはなくて、運命に流されてしがみつくのが精いっぱいのことばかりのような気がする。
私は人に怒ったことがあっても、決して憎まない、憎めないのはそういう、弱さと向き合う精神が宿っているからかなあと思う。 子どもの頃から自分が弱虫で泣いてばかりいたので、人にきつくできないのである。
でも弱さに引きずられるのも大嫌いで、脆い弱さでなくて、やさしくてたくましい弱さ?が好きである。
奨励会の仲間のIさんとは何度もここで話し込んだものだ。今はどうしているだろうなあ‥
人生は何が不幸で何が幸せなのかわからないものだと思うが、さりげない時間でも日々の積み重ねで知らぬ間に、自分では手におえないものを背負っていたり、自分で思う逆の方に進んでいたり、運命を決して泳ぐことはなくて、運命に流されてしがみつくのが精いっぱいのことばかりのような気がする。
私は人に怒ったことがあっても、決して憎まない、憎めないのはそういう、弱さと向き合う精神が宿っているからかなあと思う。 子どもの頃から自分が弱虫で泣いてばかりいたので、人にきつくできないのである。
でも弱さに引きずられるのも大嫌いで、脆い弱さでなくて、やさしくてたくましい弱さ?が好きである。