シネピピア「聖の青春」のパンフレット販売窓口にて‥
私のメモが出てきた。村山聖の思い出を語る何かの原稿を書くときのようだ‥
①梅田に映画に一人で行く。9時に出て10時に着いて(普通だと10分くらい)見ているはずが12時過ぎに電話がかかってきて。映画館がわからずに帰る。
②月2回の土曜日に京橋の正棋会に連れて行き、私が稽古を終えると立ち寄って一緒に帰ってきた。
③電話の応対は「どこどこさんのだれだれさんから電話がありました」これではさっぱりわからない‥
④中学校の保護者参観に行った。
⑤中学の昼食は給食がなかったので、ほぼうどんだった。
⑥主治医の先生から‥病気の割に元気が良すぎて、動きすぎと叱られていた。
⑦中学校を卒業してしばらくして前田アパートに一人住まいする。これには意表を突かれた。
⑧夜髪を洗いに私の部屋に来て、風呂に入るときは二重にカギをかけた。ラーメンを作ってやる。
⑨藤沢周平の文庫本を2冊もらった。
⑩何か言うと「ウッ」と漫画的に返事をした。
⑪前田アパートは戸を叩いても出ない‥10分から20分でようやく出た。
⑫夜誰かが泊まりに来るとこっそり覗いてなかなか寝なかった。
⑬北海道に一人で旅行する。寒くてホテルから出なかった。歩きすぎたこともあって懲りたようだ。
⑭退院の前に、車いすで歩行練習を手伝った。
⑮師匠の私が理事会に呼ばれる。不戦敗が多く‥注意される。
⑰梅田の電気屋さんに私と一緒に行ったとき、二人とも怪しまれる?その場に神吉七段がいて助かった?
⑱そのとき本屋にも連れて行ったが、私が長いのでいやがられた。
⑲H8年T先生の葬儀の帰りに二人で鶴橋の焼き肉に行ったとき、血尿の話が出た
⑳同居の時に電話があると「ハイ森です」と答えていた。
21 何かを断るときは「師匠が」というように教えていた。
22 洗濯をさせるとビショビショで干していた。
23 ときどきお母さんから宅急便で「焼き魚」が送られてきた。
24 ときどきマッサージをしてもらっていた。結構力が強いのだ。
25 奨励会旅行で日本人形をもらったが、震災で無くしてしまった。
森先生と村山聖さんについては、大崎善生さんの小説、山本おさむさんのコミックを何度も読み返しては感動しておりました。
この度、映画『聖の青春』も拝見し、更に感動の涙を流した次第です。
今回のブログでは森先生と村山聖さんの師弟愛を越える愛情をこのメモの端々からも感じ取れました。
村山さんが亡くなった今でも、このように森先生のご記憶の中や写真の中で生き生きとされて、今でも元気にしていらっしゃるような感じになります。そして全く関係ない私にさえ身近に感じてしまうのです。
村山さんが旅立たれて間もなく20年となりますが、森先生がお元気で御活躍されている姿を空の上から村山さんが見守っていらっしゃるのではないでしょうか。
長々とコメント申し訳ありません。膝のお具合が心配ですが、どうぞ御自愛なさってお過ごし下さい。