あわただしく日々が過ぎていく。土曜日は三段リーグだった。弟子の成績はあまりいいところがなくて歯がゆい思いだが、これだけは自分自身との戦いなので師匠といえども無力で手におえないものがある‥
私はつくづくひねくれもののへそ曲がりだと自認しているが、群れが苦手である(嫌いではない)弟子にいつも言っているつもりなのは①裏表なく過ごす②将棋以外に目を向けない③群れるな(一門の中でも同じである)だろうか。私は言葉足らずの上に無神経さがあって、しかもニュアンスが違う表現のときもあるので、真意が通じていることはまずない?かもしれないとは思っている。
すべてがそうなのだろうなあ‥
金太郎とともに夏である‥

連日の教室なので、部屋はそのままだ。金太郎も不思議な表情をしている。(金太郎は変化に敏感だ)

連日の教室、いつもの息子が欠席で、手合いは私が担当した。その合間に指導対局もこなした。金太郎の手を借りたかったなあ?
今年も村山聖九段の命日がやってきた‥当日のことは今も鮮明に記憶しているが、聖の青春を通じて今もなお多くの人が村山聖の生き様に感銘してくれていることをうれしく思う‥
亡くなった翌日の葬儀の日も夏の青空だった。そして白い雲が沸き立ち、吸い込まれていくような不思議な時間だった。哀しいというよりも、大きな何かの糸が切れてしまって‥あたまの中も心も空白になって時間が止まったような気がした。
運命を憎むというよりも、運命を静かに受け入れる心情だろうか‥「聖君、よくがんばったね」お母さんの声が印象に残った。
「聖はときどき私らにはわからんことを言っていましたねえ‥」お父さんがつぶやいたのを覚えている。
私も師匠として、人間として、どこまで村山聖の真情をわかっていたのか‥答えようのない問題を考え込んでしまうのだった‥
今でも、村山聖との出会いは、何かの運命が寄せ付けた大きな縁だったのだなあと思う。
私は今も昔も変わりないと思っているが、残りの人生をきちんとまっとうしないと、村山聖ににらみつけられる。きっとそうだろうなあ‥
亡くなった翌日の葬儀の日も夏の青空だった。そして白い雲が沸き立ち、吸い込まれていくような不思議な時間だった。哀しいというよりも、大きな何かの糸が切れてしまって‥あたまの中も心も空白になって時間が止まったような気がした。
運命を憎むというよりも、運命を静かに受け入れる心情だろうか‥「聖君、よくがんばったね」お母さんの声が印象に残った。
「聖はときどき私らにはわからんことを言っていましたねえ‥」お父さんがつぶやいたのを覚えている。
私も師匠として、人間として、どこまで村山聖の真情をわかっていたのか‥答えようのない問題を考え込んでしまうのだった‥
今でも、村山聖との出会いは、何かの運命が寄せ付けた大きな縁だったのだなあと思う。
私は今も昔も変わりないと思っているが、残りの人生をきちんとまっとうしないと、村山聖ににらみつけられる。きっとそうだろうなあ‥

澤田真吾六段が来訪、家でくつろいだ後で「その金ナイター」に同行する。以前に指導対局のイベントで来てもらっているのダgハ、フリーは初めてかもしれない。
これは「左馬」のスポットにて

金太郎も手慣れたmぽのである?

澤田六段の頭が乗りやすいようだ‥

白い雲がきれいだった。


そのたんショップにて

1230メートルのゲート前にて

パドックにて

この日の澤田六段は三連単、単勝、狙いすまして買ったようだ。意表の単勝をゲットしたときは驚いた。しかし何よりも(いやがらないで?)園田競馬に同行してくれたのがうれしい!(ひそかな願望だが、みんなそうしてくれたらなあ‥)
昨日は宝塚花火大会だった。今年もSさんのお宅にお邪魔して見せてもらった。花火を撮るのは難しいので苦手である。
シャッターを切るタイミングも遅れてしまう。そもそも技術がない‥私はひたすら写すだけなのである‥

今年はIさんとF君が一緒だった。花火を見ているとお盆が近くなったなあと実感する。夏の夜、昔は祖母の家に集まって(大所帯)スイカを食べながら怪談に聞き入ったものだ。怖いながら聞き入った‥
この色紙は私の結婚式のときに、村山君が書いてくれたものだ‥後で聞いて知ったのだが、じつは(師匠は一生独身と思っていたので?)さみしかったらしい‥それを踏まえてこの色紙を見ると切なくなってくる‥

これは京都新聞社の棋王戦の前夜際だったような気がする。このなんとなく物憂い村山君の表情は多かった

これは京都新聞社の棋王戦の前夜際だったような気がする。このなんとなく物憂い村山君の表情は多かった
今日は「夏休みピピアめふ子ども入門教室」だった。午前中は(駒の動かしたかのわからない子ども対象)のクラスだった。もう何年も続けているが毎回苦戦で反省しきりのイベントである。しかし、これをこなせないと一人前でない?と思って子ども達に挑むのである。
駒の動かし方を教えながら、すぐに実戦の体験を積んでもらう。2時間はあっという間に過ぎるが、このイベントを機に将棋に向き合ってくれたらなあと思う‥

今回はテキスト資料を一切使わないで、駒の動かし方のプリント一枚でこなした?!

実戦の体験を積んでもらいながら、大盤でルールを教えながら様子を見ていく。満足してくれたかなあ?なかなか根本の課題は解決しないままだ‥
午後からは「駒の動かし方は知っている初級者対象」の入門教室である。こちらは大盤と子ども同士の対戦の合間に参加者全員に三面指しで指導対局をした。全体の棋力を図りながら進めていく‥
駒の動かし方を教えながら、すぐに実戦の体験を積んでもらう。2時間はあっという間に過ぎるが、このイベントを機に将棋に向き合ってくれたらなあと思う‥

今回はテキスト資料を一切使わないで、駒の動かし方のプリント一枚でこなした?!

実戦の体験を積んでもらいながら、大盤でルールを教えながら様子を見ていく。満足してくれたかなあ?なかなか根本の課題は解決しないままだ‥
午後からは「駒の動かし方は知っている初級者対象」の入門教室である。こちらは大盤と子ども同士の対戦の合間に参加者全員に三面指しで指導対局をした。全体の棋力を図りながら進めていく‥
関西将棋会館の棋士室にて(いつかは不明)
私が何やら話しかけている?棋譜並べの村山聖九段が微笑んでいる。横で対局しているのは矢倉七段と井上九段である。これも池崎さんが撮ってくれた写真だと思う。
ひげもじゃなのが懐かしいなあ‥
私が何やら話しかけている?棋譜並べの村山聖九段が微笑んでいる。横で対局しているのは矢倉七段と井上九段である。これも池崎さんが撮ってくれた写真だと思う。
ひげもじゃなのが懐かしいなあ‥
この古い写真はモノクロだが、観戦記者の故池崎和記さんが撮ってくれたものだと思う。村山聖九段の横にひげ面の私がいて、勝浦修九段、中田章道七段がいる。この後は多分麻雀をしたのだと思う。
夏になり、村山聖がらみの資料を見ているとアルバムが出てきた。多分取材で依頼されたものをそのままにしていたようだ‥歳月の早さに驚くが、自分が今まで何をやってきたのだろうと思うと、胸を張って答えられない‥もどかしさをかんじるのがつらいなあと感じる日々でもある。
夏になり、村山聖がらみの資料を見ているとアルバムが出てきた。多分取材で依頼されたものをそのままにしていたようだ‥歳月の早さに驚くが、自分が今まで何をやってきたのだろうと思うと、胸を張って答えられない‥もどかしさをかんじるのがつらいなあと感じる日々でもある。