落語の話が極端に少ないことに気付いた!というわけで…
「時うどん」は、古典落語の中では“軽いネタ”の部類に入る噺で、一般にも広く知られる噺の一つ。
東京での演目は「時そば」だが、実は演出が異なる。
喜六、清八の二人連れが廓をひやかしての帰り道、腹が減ってきたが、二人合わせて持ちあわせの金が15文しかない。
清八「よっしゃ、うどん食お。」
喜六「それはエエけど、うどんは16文やで!」
清八「心配しぃな。任しとき。」
喜六「そやけど、一杯しか食べられへんがな。」
清八「しゃーないやろ、二人で分けて食べたらエエねん。」
二人で夜鳴きのうどん屋の屋台で、オヤジを必死で誉める清八と、早くよこせと清八の着物の袖を引っ張る喜六のやりとりに笑いを満載しながら話が進む。
食べ終えて清八。
清八「オヤジ、ナンボや?」
うどん屋「へぇ、16文でおます。」
清八「ああ、そうか、銭が細かいさかい、ちゃんと受けてや。」
うどん屋「へぇ、ありがとさんで。」
清八「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つと……うどん屋、今何時(なんどき)や?」
うどん屋「へぇ、九つでおますな。」
清八「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六と…。」
うどん屋「へ、ありがとさんで!」
…清八は、まんまとうどん屋をサギにかけてしまう。
これを見ていた喜六は感心し、翌日一人でうどん屋に行って同じことをしようとして失敗する、という噺である。
話を少し細かく書いたのは、上方(大阪)と江戸(東京)とで筋立てが違うからである。
演目も東京では「時そば」であるが、うどんとソバという食べ物文化の違い以上に、ストーリー展開が異なるところが面白い。
江戸落語では二人連れではなく、最初に屋台でソバを食べている男を、傍らで別の男が見ていて、うまくソバ屋をだましたのを翌日真似してしくじる、という筋。
※参照「時そば」
明治時代に三代目柳家小さんが上方落語の「時うどん」を江戸に移植したものと言われているが、いつどこで演出が変わったのだろう?
上方風の笑いの要素がふんだんに散りばめられた演出を嫌ったのだろうか?
江戸と上方とでは、演じるのに違う難しさがある、ちょっと異色な噺。
紫亭京太郎氏が最も得意としているネタであるので、ブログに紹介する演目の一つめとして登場させた。
「時うどん」は、古典落語の中では“軽いネタ”の部類に入る噺で、一般にも広く知られる噺の一つ。
東京での演目は「時そば」だが、実は演出が異なる。
喜六、清八の二人連れが廓をひやかしての帰り道、腹が減ってきたが、二人合わせて持ちあわせの金が15文しかない。
清八「よっしゃ、うどん食お。」
喜六「それはエエけど、うどんは16文やで!」
清八「心配しぃな。任しとき。」
喜六「そやけど、一杯しか食べられへんがな。」
清八「しゃーないやろ、二人で分けて食べたらエエねん。」
二人で夜鳴きのうどん屋の屋台で、オヤジを必死で誉める清八と、早くよこせと清八の着物の袖を引っ張る喜六のやりとりに笑いを満載しながら話が進む。
食べ終えて清八。
清八「オヤジ、ナンボや?」
うどん屋「へぇ、16文でおます。」
清八「ああ、そうか、銭が細かいさかい、ちゃんと受けてや。」
うどん屋「へぇ、ありがとさんで。」
清八「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つと……うどん屋、今何時(なんどき)や?」
うどん屋「へぇ、九つでおますな。」
清八「十(とお)、十一、十二、十三、十四、十五、十六と…。」
うどん屋「へ、ありがとさんで!」
…清八は、まんまとうどん屋をサギにかけてしまう。
これを見ていた喜六は感心し、翌日一人でうどん屋に行って同じことをしようとして失敗する、という噺である。
話を少し細かく書いたのは、上方(大阪)と江戸(東京)とで筋立てが違うからである。
演目も東京では「時そば」であるが、うどんとソバという食べ物文化の違い以上に、ストーリー展開が異なるところが面白い。
江戸落語では二人連れではなく、最初に屋台でソバを食べている男を、傍らで別の男が見ていて、うまくソバ屋をだましたのを翌日真似してしくじる、という筋。
※参照「時そば」
明治時代に三代目柳家小さんが上方落語の「時うどん」を江戸に移植したものと言われているが、いつどこで演出が変わったのだろう?
上方風の笑いの要素がふんだんに散りばめられた演出を嫌ったのだろうか?
江戸と上方とでは、演じるのに違う難しさがある、ちょっと異色な噺。
紫亭京太郎氏が最も得意としているネタであるので、ブログに紹介する演目の一つめとして登場させた。