面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

一般的な評価

2009年03月16日 | ニュースから
うつ病休業は気が弱いから? 自民・笹川総務会長が発言(朝日新聞) - goo ニュース


最近でこそ「うつは心の風邪ひき」などと言われるなど、鬱病は誰でも罹りうる一般的な病気として世間的な認知を得た気がするが、まだまだ世間一般の様子を、笹川氏が体現しているのではないだろうか。
「死ぬ気があったら何でもできるはず」という、自殺者に対する“言葉の鞭打ち”と同種のニオイを感じてしまうのは、自分の根性がひねくれているからか?

人の上に立つことにのみ意義を感じる、あるいは人を踏みつけにしても痛みを感じられずにいることができる人間には、決して理解できないことだろう。
氏がそういう人間だとは言わないが。


「質屋蔵」 by紫亭京太郎 in落語Kタイム

2009年03月15日 | 落語
3月16日(月)夜10時(翌朝10時再放送)
インターネットテレビ net channel KYO
「落語Kタイム」

今回は「質屋蔵」にて、ご機嫌を伺います。
蔵からお化けが出ると噂の立った質屋の主人。
真相を確かめるため、番頭に一晩中蔵を見張るように言いますが、番頭は怖がって実家に帰ると言い出す始末。
手伝い(出入りしている大工)の熊五郎が一緒なら安心できるというので、丁稚に熊五郎を呼びにやるのですが…

いつものように「ほほぉ、こんな噺もあるんや」と興味をもっていただき、プロの話芸へ手を伸ばしていただければ幸いです。
まずはごゆるりと、お付き合いくださいませ。

アクセスはこちらまで!

http://www.nc-kyo.com/

☆ ご覧の際に ☆
アクセスしてしばらく、何も映らない黒い画面が表示されることがありますが、しばらくすると音声と映像が流れますので、そのままお待ちください。

歴女

2009年03月14日 | ニュースから
昨秋、自分と同じく“戦国時代フェチ”な上司と共に関ヶ原を探訪したが、その際に妙齢の女性が一人で史跡を回っているのに遭遇して二人して驚いたのだが、昨今すっかりブームとなっている。
そんな女性のことを「歴女」と言うのだとか。

関ヶ原に行ったときも、確かにステッカーとかクリアファイルとか、戦国武将がキャラクターになったグッズが色々あって、これまた驚いたのだが、そんな背景があったということをテレビで知った。
ちなみに、東京の戦国武将グッズ専門店で売っている「戦国武将家紋入りシール」の一番人気は、真田幸村なんだとか。

もしやゲームメーカ「光栄」の影響か??
最近時間がなくてやらなくなったのだが、ゲーム「信長の野望」で描かれる武将達がカッコ良いので、そこが起点になってたりするのだろうか。
まあ、戦国武将好きの一人としては喜ばしいことではあるが。


大送別会

2009年03月13日 | よもやま
年度末は送別会のシーズンでもある。

今日は会社の大先輩の送別会。
大ベテランのお二人を送るゆうべということで、たくさんの方々が集まる盛大な宴会。
そんな中、栄えある余興の一部を承り、プロデュースしている紫亭京太郎を派遣。

宴会の中へ突撃していったが、果たして皆さんに…特に“主賓”のお二人には、楽しんでいただけただろうか!?

スタッフー!

2009年03月12日 | 野球
侍ジャパン痛恨の大チョンボ…次戦“松坂”登板できず(夕刊フジ) - goo ニュース


別に狩野英孝のネタではない。

規定により予定の登板ができなくなった松坂。
事前にWBCの規定を把握できていなかったばかりか、事務局への打診、確認も怠っていたのは不手際以外の何ものでもない。
首脳陣の勉強不足も情けないが、それ以上にチームに帯同しているはずの事務局などの運営スタッフは何をやっているのか。

現場の選手やコーチ陣がWBCの規定など熟読するはずはなく(野村監督ならあり得るが原監督では…)、チームの運営に携わるスタッフが、しっかりフォローしておかなければならないのは明らか。
これで松坂の調整が狂い、不調のまま終わったら目も当てられない。

選手達がプレー以外のことに煩わされることなく、野球に集中させるのが首脳陣やスタッフの役目。
それが全く機能しないのだから、無能呼ばわりされても仕方ない。
連覇もへったくれもあったもんじゃない。
あっさり終わって帰ってくるかも。


自制

2009年03月12日 | 野球
えっ日本が妨害!?韓国ネットで大論争(スポーツニッポン) - goo ニュース


もう、勝ってんからよろしいやん、というワケにはいかんのか。
妨害行為が本当にあったかどうかは定かではないが、フラッシュが瞬きまくるのは確かにどうかと思う。
プレイヤーにとっては気が散って仕方ないのではないだろうか。
プレー中は自粛すべきであり、そこは観客の良心に委ねられるところであるが、行き過ぎればカメラ持ち込み禁止措置に発展しかねない。
ファンの自制心に期待…でけへんよなぁ、最近の世情を考えれば。


WBC東京ラウンド

2009年03月11日 | 野球
日本が韓国に完封負け、リベンジ許し2位で渡米…WBC(読売新聞) - goo ニュース


韓国相手にコールド勝ちして驚いたが、1位決定戦で再戦するとコロッと競り負け。
大量得点の次の試合は点が入りにくいというジンクスがモロに出た、昔の大洋ホエールズを彷彿とさせるような(…分かりにくいような分かるような!?)極端な敗戦となった。

岩隈は負け投手になってしまったものの、球のキレは見事だった。
特に右打者の懐や膝元へ切り込んでくるシュートは絶品!
ところが、往年の平松を思わせる(…歳がバレる!?)“カミソリ・シュート”がアダとなり、唯一といっていいピンチに、四番の金泰均にキッチリタイムリーを許してしまった。
キャチャーの城島が「三塁手をもう一歩ラインに近づけておけばよかった」とのコメントを出していたが、何を言ってるのだ!
第一打席でシュート攻めにして打ち取ったことに味をしめ、このピンチで迎えた四番の金に対して、またもシュートを連発させた己のリードの浅はかさをこそ悔やむべき。
第一打席からあれだけシュートを投げ込まれていれば、この打席でもシュートで責められることは、金には容易に想像できる。
シュートに対して心の準備が整っているところへ、あれだけ多投されれば慣れも生じて、打たれる危険性が高まることに、なぜ気づかないのか。
岩隈には、これも切れ味鋭いスライダーがあるのだから、これにストレートを混ぜて内外角へ球を散らすくらいのことはすべきところ。
相変わらず慎重さに欠ける城島のリードの弱点は、この敗戦における貧打以外の一因のひとつだ。

結局2位としてアメリカへと渡っていった全日本。
再び韓国とまみえるために、確実に次のラウンドを勝ち残らなければならない。
しっかりしてくれ!頼むでしかし。


さまよえる下半身

2009年03月11日 | 野球
カーネルおじさん見つかる 85年阪神優勝時のもの?(共同通信) - goo ニュース


道頓堀のガラクタ掃除中に、あの85年タイガース優勝時に投げ込まれたカーネルおじさんが発見されたというからビックリ!?
テレビのニュースでもやっていて(ローカルだけか?)またビックリ!

写真を見ると、あのドブ川に20年以上も浸っていただけに、元の色は剥げ落ち、なにやら不気味に変色し、エライことになっている。
投げ込まれた拍子に手首はもげ、上半身と下半身が分かれたのか、今回見つかったのは胴体部分だけだったようだ。
“彼”が道頓堀川に投げ込まれて以来タイガースは優勝から遠ざかり、「カーネル・サンダースの呪い」と呼ばれたことは有名だが、まだ下半身が川底のどこかで眠っているのでは、まだまだ“彼”は浮かばれないかもしれない。

早いとこ全身を揃えてやり、手厚く供養してやってもらいたいもの。
そうすれば「真弓阪神」の未来はイッキに開けるであろう!?


二代目林家三平

2009年03月10日 | 落語
平成爆笑王に!林家いっ平が2代目三平襲名(サンケイスポーツ) - goo ニュース


いよいよ林家いっ平が父の名・三平を継ぐ。
大阪の小米朝は、父・米朝ではなく父の師匠の名跡を継いだが、「上方の大名跡」とは言っても、生前の米団治を知る人はもはやほとんど無く、いまやその弟子にあたる米朝の名前の方が大きいくらいであり、新しい「米団治」を作っていくことができる。

しかし、三平はそうではない。
爆笑王として一世を風靡した姿は、まだ多くの人々の脳裏に焼きついている。
しかも、その高座姿もDVDなどのメディアで見ることもできる。
先代・三平のイメージをオーバーラップさせられやすいうえに、先代のイメージがまた強烈なだけに、どうしてもいっ平の三平は小粒に見える。
いや、先代ほど突き抜けた面白さが出るかというと、まだ未知数とは言いながら、個人的には甚だ疑問である。

二代目三平は、敢えて先代と同じような漫画風の落語で「爆笑王」を目指すか!?
はたまた、全く違うキャラクターを確立して正統派古典落語の名人を目指すか!?
どうにも“金持ちの甘チャン息子”のイメージがぬぐえない、マザコンに見えて仕方のない二代目三平。
先代三木助のイメージから逃れられなかったかのようにもがき苦しんだ、故・桂三木助の二の舞にならないことを祈る…

ところで、今回の襲名披露イベントでのビートたけしは、最高のエールを送っていた。
「(初代)三平の遺産を狙った峰竜太(義長兄)、林家正蔵の看板を狙った春風亭小朝(元義次兄)、頭に注射を打った(次姉の)泰葉に負けず、あなたは金とコネだけで見事に後継者となりました。」
仰るとおり!
もう本当にその通りなのだから、いっそ思い切り開き直って、「林家三平」という噺家を、0から作り直してもらいたい!
いつまでもオカアチャンに挨拶してもらってる場合ではない!


三下がり かっこ

2009年03月10日 | 落語
この日記タイトルで「ピン」ときた人は、相当の落語通か演芸関係者、あるいは本職の噺家さんだろう。

家にある落語のビデオテープを整理していて、「上方演芸ホール」というNHKの番組に出演した桂米団治の高座を見て驚いた。
なんと、出囃子が「三下がり かっこ」になっているではないか!?

一定以上の年数を経た噺家には、それぞれ決まった出囃子がある。
有名どころでは桂春団治の「野崎」。
江戸では文楽の出囃子でもあるが、大阪では春団治の“顔”とも言える。
あの曲を耳にしただけで、春団治の高座姿が鮮やかに脳裏に浮かぶ。

雀三郎の「じんじろ」や現・染丸がまだ染二だったころの「藤娘」、露の五郎(現・五郎兵衛)の「勧進帳」に文太の「さわぎ」、故人になってしまったが松鶴の「舟行き」や枝雀の「ひるまま」等々etc.
可朝の「ああそれなのに」や若い頃の吉朝の「芸者ワルツ」も、とぼけた感じで楽しかった。
噺家のイメージと出囃子とは密接に結びつく。
寄席でこの出囃子を聞いただけで、次に出てくる噺家に対する期待が膨らんで、楽しさ倍増にして勝手に楽しんでいる。

そして、米団治の「かっこ」。
前名の小米朝時代の出囃子が何だったか忘れたが、米団治を襲名して出囃子を変えたということだが、この「かっこ」は、師匠であり父親である米朝の出囃子だったもの。
米団治襲名披露公演を結局一回も行くことができず、また以前にも演芸番組での米団治の高座を録画したことがあったが一回も見れずにきたため、出囃子が変わったことを知らなかった。
大きな名前を襲名したので出囃子も変わったのだろうとは思っていたが、まさかこの曲に変わっていたとは本当に驚いた!

「かっこ」は、師匠・米朝の師匠である先代米団治の出囃子でもあったそうなので、今回の“措置”はごく当り前のことではあるが、この曲を“受け継いだ”という事実は相当重い。
往年の落語ファンにとっては、「かっこ」を聞けば米朝をイメージしてしまうのは、いかんともし難い癖のようなもの。
ところが、寄席でこの曲が流れてきても高座に上がるのは米団治。
どうしても米朝がオーバーラップしてしまい、米団治に対する評価が無意識のうちに厳しくなるのではないだろうか。

また、「かっこ」を現米団治に譲ったということは、裏を返せば、もう米朝がこの曲で高座に上がることは無いということだ。
最近の米朝は、高座に上がることはあっても単独で噺を演じるのではなく、弟子達と一緒に昔話や観客からの質問に答えるなど、“よもやま話”をするだけになっている。
とは言うものの、「かっこ」を譲ってしまったということは、もう二度と米朝の“落語の高座”は見られないということでもあるかもしれない、という事実が寂しい…

大名跡とともに出囃子「三下がり かっこ」を受け継いだ米団治。
米朝にしてみれば、「後は任せたぞ」というエールでもあるのではないだろうか。
上方落語界が、いつまでも米朝頼みでいるわけにはいかないのだ。
「米朝の息子」という呪縛から解放された米団治が、今後大きく飛躍することを願ってやまない。