孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

完全犯罪と思ったのに

2022-06-03 17:17:27 | 1歳から

台所片づけをめぐるバトルが一段落して(ぜんぶで十段落以上あるうちの最初の一段落)、ようやく調理スペースが何とか確保されてきました。

「うんいいじゃん」と言いながら台所に立つと、娘がリビングソファで何かの書類に気を取られています。

気になっていたシンク下の引き出しをそっと開けます。

ゆで卵切り、皮むき器、しゃもじなどが雑然と入っていて、そのほかに不要なものがたくさん。

不要物を手早くポリ袋に入れ、クーラーボックス(おかず運びのために毎回持ち歩いている)のなかにしまいます。

 

引き出しがスッキリしてウキウキ気分。

不要物(要するにゴミ)を持ち帰りさえすれば、もうこっちのもの。

安心してマメちゃんと遊んでいると、娘が急に立ち上がってクーラーボックスを開けました。

 

「あ、あ、それはね、あのね」

動揺するわたしをジロリと見て

「ちゃんと気づいてたんだよ!もう!勝手なことしないでって言ってるじゃん!」と娘。

わたしは罪をあばかれた犯罪者のようにコソコソ気分。

「あ~あ、完全犯罪だと思ったのに」

「うちで完全犯罪なんかできないよ、ちゃんと見てるんだからね。マメちゃん、ばーばはね、悪いひとなんだよ」

 

このへんでふたりとも吹き出してしまい、わりあい和やかな雰囲気になったのはよかった。

それにしてもこの調子では、台所全体が片づくのに何ヶ月(まさか何年てことはないよね?)かかるのやら...。


「台所を片づけなさい」

2022-06-01 14:34:08 | 1歳から

娘の家は、全体に整理が行きとどかずに散らかっているけれど、台所もひどいものです。

調理スペース(のはずのところ)には物が雑然とあふれ、食器戸棚の中もろくに片づいていない。

こんなんで料理できるの? と思いますが、じつは娘は料理なんてしていない(ような)のです。

 

週2~3回の訪問のときに、わたしは2日分くらいずつ夕食おかずを持っていきます。

この「お母さんのおかず」でカバーできないときは(週末など)、外食やピザ宅配やホットモット弁当などですましているようなのです。

朝昼食は自分だけなのであり合わせのもの。(婿さんは朝食抜きの主義。マメちゃんはレトルト離乳食。)

 

今までマメちゃんのことで頭がいっぱいだったわたしも、そろそろ、「これじゃダメよね」と危機感が湧いてきました。

「あんたもいつまでお母さんを頼らず、自分で料理できるようにならなければ。」

「そのためには、台所をもっと使い勝手よく整理整頓しないとね。」

ある日そう宣言して(2週間ほどまえ)、台所を片づけ始めました。

 

多少の抵抗は覚悟していたけれど、まさかあれほどとは。

ものすごい拒否反応です。

地団駄ふんで大興奮。「勝手なことしないで、キーッ!!」です。(ああうるさい!)

 

たしかに、いきなりの実力行使はまずかったかも。

もっと時間をかけ、自分でやるように仕向けた方がよかったかも。

でも、わたしだって、心のよゆうがたっぷりあるわけじゃない。

「うるさい!!」と叫んで思いきり娘をぶつなど、かなりの修羅場。(マメの昼寝中に声を殺してのやりとり。)

夫はそばで、何食わぬ顔して数独パズル。← この場面、いま思うと相当おかしい。

 

マメが起きるといったん休戦するので、このバトルは、決着がつかないままダラダラと何日も続きました。

その間、娘を訪問するのがイヤだった、不愉快だった。

でも、行かないという選択はありません。マメを放っておくことなどできません。

 

そして、わたしが一歩も引かずに強気をキープしていると、だんだん娘の態度も和らいできました。

(この力関係は娘が子どものころから同じ。)

「お母さんが勝手にやるのがいやなの、自分でやるから」と言うので、アレコレ指示して「宿題だよ」とひとこと。

すると、ほんの少しだけ台所が片づいてきて...。

(次記事へ)

 


出しゃばりばあさん

2022-05-21 17:00:36 | 1歳から

先週は、こども病院耳鼻科の受診日でした。

2月にマイ補聴器をわたされて以来、3ヶ月ぶりの受診です。(それまではほぼ毎月受診だったのに。)

 

いつも通り、聴力検査 ⇒ 医師の診察 ⇒ 補聴器技師との面談、という順番ですすみます。

聴力は「裸耳60db、補聴器装着40db」 というもので、ここ半年ほど変化なし。

つぎに医師の診察。 耳の穴をじっくり見られて(耳垢も取ってもらって)マメちゃんは大泣き。

 

診察のあいだ、わたしは入り口ついたてのかげで、目立たぬように気配を消しています。

前回、「ひとりの患児におとな3人の診察付き添いは多すぎる」とやんわり注意されてしまったからですが、廊下で待つのは不安なわたしです。(医師の発言や説明は直接聞いておきたい。)

医師と娘夫婦のやりとりはスムーズに進み、安心してそっと廊下に出ようとしたとき「次回は?」という医師の声。

「次回は2~3ヶ月先でいいのですが、夏休みはとても混みます。」

「7月上旬か8月下旬、 どっちにしますか?」

 

...返事がありません。

アレかコレかと決断をくだすのが大の苦手の婿さん、「うーん」と考えているようです。

娘は夫まかせで、何も考えていないようです。

思わずついたてから顔を出して「7月上旬でお願いします」とわたし。

医師も看護師もビックリ顔。(「このひと、どこから出てきたんだ?」)

 

んもう、つぎの受診日は、少しでも早いほうがいいに決まってるじゃん。

まだまだ補聴器使用は安定しないし、聞こえの状況もよくわかっていない。

病院で診てもらえるチャンスは、少ないより多いほうがいいに決まってるじゃん。

 

これだから、娘夫婦には安心してまかせておけません。

(つーか、我ながらいやな出しゃばりばあさんです。)

 

 

 

 

 

 

 

 


「耳の聞こえない私が講演をする理由

2022-05-16 09:32:51 | 1歳から

「耳の聞こえない私が講演をする理由」(松橋英司)

 

1955年生まれの松橋さんは、生後3ヶ月で失聴します。(ストレプトマイシンの副作用。)

母親の夢中の奔走で、かれは、小学校から高校までを聴覚教育トップレベルの教育大(現筑波大)附属聾学校で学びます。

高校卒業後は、歯科技工士として安定した生活を送ります。

 

前回ご紹介した若い韓国女性は、周囲からの適切な援助がない中、自分の才覚だけをたよりに道を開いていきました。

いっぽう松橋さんには、お母さんや教師たちの手厚いサポートがつねに与えられます。

そのぶん、かれは「自分には障害があるからあれもこれもできない」といった消極的な思いにとらわれがちなようです。

自己憐憫感や自己卑下感もたっぷり味わいます。

 

40代のころ、母の影響で一種の宗教と出会い、ようやく心の平安を得られた松橋さん。

その感謝の思いを胸に、積極的に講演活動に乗り出します。

 

☆ふーむ。キム・スーリンさんのはっちゃけた人生を読んだ直後だったので、生真面目でやや陰気な(失礼!)松橋さんには、あまり親近感を感じられませんでした。

☆講演活動が宗教がらみなのもちょっと...。

 


「耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由」

2022-05-15 10:45:42 | 1歳から

難聴がテーマの本を2冊つづけて読んだので、ご紹介します。

どちらも「耳の聞こえない私が...」で始まるタイトルです。

まずは若い女性の「耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由」(キム・スーリン著)。

 

韓国生まれのキムさんは、複雑な家庭事情の中で祖母の愛情につつまれて成長しますが、6歳で失聴します。

適切な対処もしてもらえぬまま、そのまま学校生活をおくり、ひたすら自分の工夫と努力で困難な日常を乗りきります。

12歳で母のいる日本にやってきたキムさん。

初めて処方された補聴器もあまり助けにならない中、並々ならぬ努力で日本語をマスターします。

 

高校卒業後18歳で英国留学。

2年間の留学で英語も身につけたキムさん、その後世界的な証券会社ゴールドマン・サックス社に就職を果たします。

そのまえには30カ国世界放浪の旅に出て、スペイン語も身につけたり...。

 

ほんとかよ、と思うような内容で、かなりの唾を眉につけながら読みました。

でもこの本から確かに伝わってきたのは、「難聴を理由に自分に行動制限はかけない」といういさぎよさ。

いさぎよさというより、たくましさ。

読後、胸が広々とひろがって、勇気りんりんになりました。