つぎにご紹介するのは、半年ほどまえに見た映画「サウンドオブメタル」です。
映画雑誌ではやたら高評価で、たしかによくできた映画だったけれど、何が言いたいの??という感想でした。
主人公青年は、2~3流のヘヴィメタバンドでエレキギターを弾いています。
ボーカル担当の恋人とキャンピングカーで同棲していて、あちこちのライブツアーにはその車で出かけます。
ひと昔まえのヒッピーのような、気ままな生活スタイルを楽しむ若いふたり。
ある日、青年の耳に異変が起こります。
ひとの声が聞き取りにくい、から始まって、完全失聴まではアっという間です。
(極端な大音量に長年さらされつづけたことが原因のようです。)
混乱のあと、舞台は唐突に変わります。
青年は知人の紹介で、聾者のコミュニティに入所します。
豊かな自然のなかで老若男女の聾者たちが、手話を主たるコミュニケーションツールとして生活しています。
静かで平和でおだやかな日常。誰の顔も幸せそうに輝いています。
失意の青年にも笑顔がもどります。
でも、見ているわたしは思います。
このひとがずっとここで暮らすなんてムリよね。何とかして元の世界に復帰したいと願うはずよね。
青年は考えたすえ、高価なキャンピングカーを売り払って、そのお金で人工内耳の手術を受けます。
かれは異端としてコミュニティを追放されます。(けっこう居心地のいい場所だったのに。)
まっすぐ恋人に会いにいく青年。
でも、人工内耳で得られる音は雑音混じりの不快なキーキー音で、これでバンド活動に復帰するなど不可能です。
バンド活動どころか、日常生活だって快適とはほど遠いものです。
恋人との仲もいまいち気まずく、悲嘆にくれた青年は、公園のベンチで人工内耳の器械を耳から取り外します。
そのとたん、完全な無音が広がります。
無音の街並みを見ながら、ただ茫然とする青年...。
この映画が伝えたいことってなに?
突発性難聴の恐怖を伝えること?
それとも、平和なコミュニティに安住できない俗物根性をわらうこと?
それとも、人工内耳の不適切さを強調すること?
何だか底意地のわるい映画だなあと思いました。
人工内耳は手術直後からバッチリきこえるわけではなく、緻密な調整とリハビリ訓練が必要だそうです。
耳鼻科医の適切なフォローを受けて、いずれはこの青年もふつうの日常生活を取りもどせると信じたいです。