孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

「サウンドオブメタル」

2022-06-23 16:01:54 | 1歳から

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

つぎにご紹介するのは、半年ほどまえに見た映画「サウンドオブメタル」です。

映画雑誌ではやたら高評価で、たしかによくできた映画だったけれど、何が言いたいの??という感想でした。

 

主人公青年は、2~3流のヘヴィメタバンドでエレキギターを弾いています。

ボーカル担当の恋人とキャンピングカーで同棲していて、あちこちのライブツアーにはその車で出かけます。

ひと昔まえのヒッピーのような、気ままな生活スタイルを楽しむ若いふたり。

 

ある日、青年の耳に異変が起こります。

ひとの声が聞き取りにくい、から始まって、完全失聴まではアっという間です。

(極端な大音量に長年さらされつづけたことが原因のようです。)

 

混乱のあと、舞台は唐突に変わります。

青年は知人の紹介で、聾者のコミュニティに入所します。

豊かな自然のなかで老若男女の聾者たちが、手話を主たるコミュニケーションツールとして生活しています。

静かで平和でおだやかな日常。誰の顔も幸せそうに輝いています。

失意の青年にも笑顔がもどります。

 

でも、見ているわたしは思います。

このひとがずっとここで暮らすなんてムリよね。何とかして元の世界に復帰したいと願うはずよね。

青年は考えたすえ、高価なキャンピングカーを売り払って、そのお金で人工内耳の手術を受けます。

 

かれは異端としてコミュニティを追放されます。(けっこう居心地のいい場所だったのに。)

まっすぐ恋人に会いにいく青年。

でも、人工内耳で得られる音は雑音混じりの不快なキーキー音で、これでバンド活動に復帰するなど不可能です。

バンド活動どころか、日常生活だって快適とはほど遠いものです。

恋人との仲もいまいち気まずく、悲嘆にくれた青年は、公園のベンチで人工内耳の器械を耳から取り外します。

そのとたん、完全な無音が広がります。

無音の街並みを見ながら、ただ茫然とする青年...。

 

この映画が伝えたいことってなに?

突発性難聴の恐怖を伝えること?

それとも、平和なコミュニティに安住できない俗物根性をわらうこと?

それとも、人工内耳の不適切さを強調すること?

何だか底意地のわるい映画だなあと思いました。

 

人工内耳は手術直後からバッチリきこえるわけではなく、緻密な調整とリハビリ訓練が必要だそうです。

耳鼻科医の適切なフォローを受けて、いずれはこの青年もふつうの日常生活を取りもどせると信じたいです。

 

 

 

 


「しずかちゃんとパパ」

2022-06-21 08:49:30 | 1歳から

つぎは、少しまえにNHKでやっていた連続ドラマ「しずかちゃんとパパ」です。

 

主人公しずかちゃん(28歳)は、小さな写真館を営なむ全聾の父親と、ふたりで暮らしています。

父親の手話通訳者として、やはり、小さいころからヤングケアラー的立ち位置で育ってきました。

いま恋人ができて、父親からはなれる決断をせまられるしずかちゃんですが...。

 

笑福亭鶴瓶演じる父親は、健聴家族に生まれたたったひとりの聾者でした。

手話でなく口話を強制されて孤独な子ども時代を過ごしたあと、妻と出会って手話の自在な表現力に目ざめます。

(妻の家族は、祖父母にいたるまで全員が聾者。)

 

鶴瓶の母親はとても教育熱心なひとだったみたいなのに、けっきょく口話はまったくものにならなかった?

いま初老となった鶴瓶は、手話(これは娘の通訳が必要)と筆談で、周囲とのコミュニケーションをとっています。

 

「コーダあいのうた」とちがって聴者俳優のつけ焼き刃的手話なので、あの目の覚めるようなカッコ良さはありません。

 

第7話がすごく良かったです。

恋人青年(かなり変人)のお母さんが写真館をおとずれます。

「○○の母親です」と名乗るお母さんに、遺伝のリスクをつたえるしずかちゃんのパパ。

それをそっとさえぎるお母さん。

(やりとりはすべて筆談です。)

 

そのあと、「子どもに親がしてあげられることって、けっきょくひとつだけなんですよね」と、お母さん。

お母さんがボードに書いたそのことば(3文字)を見て、心がふるえました。

 

エンディングテーマの「You are so beautiful」(上田正樹が歌っている)も、胸にしみ入る美しさです。

 

 

 


「コーダあいのうた」

2022-06-19 20:47:53 | 1歳から

コーダ あいのうた [Blu-ray]

難聴をあつかった本に飛びついているわたしですが、映像作品も同様です。

(とにかく、難聴についてもっともっと知りたいのです。)

最近見たものをいくつかご紹介してみますね。

 

まず、今年のアカデミー作品賞に輝くアメリカ映画「コーダあいのうた」です。

 

主人公の高校生少女は、家族4人のなかでただ一人の健聴者です。

全聾の両親(や兄)の手話通訳者として、子どもにはどうか? という場面にも立ち会ってきました。

漁師という家業にも、彼女の尽力は必須です。

まさに、いま話題のヤングケアラーなのです。

 

少女は歌が大好きだし、すばらしくうまい。

選択科目でとったコーラスの授業で、音楽教師からバークレー音楽大学への進学をすすめられます。

夢が広がるのを感じる少女ですが、家族の現実を考えると「ダメよダメダメ」と自分をおさえてしまいます。

 

ま、このストーリーならば、結末のハッピーエンドは予想がつくと思います。

 

聾者役の一部を本当に聾の俳優が演じているらしく、手話の迫力がはんぱないです。

スピーディで情感たっぷりで、すごくカッコイイ!

とてもすぐれた表現力を持つ言語なんだなあ、と実感します。

 

でもでもこの言語、使用範囲がせますぎて、実用の役に立たないのです。

長女の通訳がなければ、口話言語のひとびと(圧倒的多数)とのコミュニケーションが取れないのですから。

 

長女が学校音楽会で独唱する場面に、胸を打たれました。

舞台で娘が歌っていても、客席にいる両親には何も聞こえません。

でも、周囲のひとが上気して涙を流したりするのを見て、「ああ...」と顔を見合わせる両親です。

 

このごろよく聞く「コーダ」という言葉。

「Children of Deaf Adults」の頭文字だそうです。

 

 


日にちぐすり

2022-06-18 09:00:51 | 1歳から

「日にちぐすり」ということばがあります。

そのことばを実感する今日このごろです。

 

去年のいまごろ、マメちゃんの(健常のはずの)右耳にも難聴が判明し、つらく苦しい日々がつづきました。

マメちゃんの障害自体もつらいけれど、トロい娘に難聴児を育てることができるのか、という不安もかなり大きかった。

心はバクバクといつも浮き足だって、とにかく不幸感がものすごかった。

周囲との断絶感も苦しかった。

「あたしはねぇ、あんたたちみたいな幸せ界の住人とはちがうの」と、暗い目で遠くを見る。

「いいわねぇ、のほほんと何の心配ごともなく暮らせるひとは」と、(以下同文)。

 

その後もこの気持ちは長くつづき、いつしか心のポーズみたいになっていました。

「暗い目で...」にくわえて「フッとさびしく笑う」というト書きがいつもついてまわる登場人物みたいに。

 

でもでも、「日にちぐすり」なのでした。

あの苦悩から1年たって、いま、元のわたしに戻りつつあるのを感じています。

周囲の「苦労知らずっぽいひとたち」にやっかみや断絶を感じることなく、「自分は自分」でいられるようになりました。

コロナもあって2年以上会っていない友人たちに、今なら会っても大丈夫そう。

 

青菜に塩だった去年のわたしに、「一年たてば楽になるよ」と教えてあげたい。

 

 

 

 

 

 


マメちゃん1歳1ヶ月

2022-06-05 15:58:52 | 1歳から

娘との不毛な(トホホな)バトルの話はこれくらいにして、主役であるマメちゃんの話題にもどります。

1歳1ヶ月になったマメちゃん、どんなようすかというと...。

 

まず補聴器です。

ここ2~3週間で、ほぼほぼ「常時装用」の域に達したと言ってよさそうです。

自分で取ってしまうことがほとんどなくなりました。

イヤがらずに装着させてくれるし(これは以前から同じ)、そのあとは一日中つけていられるのです!

 

どうしてだろう?

「お耳にこれがある ⇒ 音がよく聞こえる」という因果関係が、赤ちゃんながらわかってきたのでしょう。

 

ほっとひと安心ですが、さてそうなると「ことば」です。

「ことばのかけはし」代表岩尾さんによると、補聴器常時装用から半年後くらいに最初の発語があったとか。

つまり、これからの半年~一年がすごく大事よね。

 

いまのマメちゃん、ことばは「まだまだ」という感じです。

「パーパー」「マーマー」などの発声は時々ありますが、有意味なことばとは思えません。

大人が言うことも理解できていないようです。

たとえば、離乳食が終わって「ごちそうさま」と言うと、エプロンを引っぱって取ろうとしますが、これはことばでなくジェスチャー(手を合わせて頭をさげる)に反応しているようです。

ことばだけでジェスチャーがないと、よくわからないようです。

 

この大切な大切な時期、家で「たくさん話しかける」程度の対処でいいんだろうか。

「ろう学校の幼児教室に月3回通う」程度の療育でいいんだろうか。

さがせばもっと色々な手立てがあるのに、見逃しているんじゃないのか。

 

気持ちがあせります。