孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

出しゃばりばあさん

2022-05-21 17:00:36 | 1歳から

先週は、こども病院耳鼻科の受診日でした。

2月にマイ補聴器をわたされて以来、3ヶ月ぶりの受診です。(それまではほぼ毎月受診だったのに。)

 

いつも通り、聴力検査 ⇒ 医師の診察 ⇒ 補聴器技師との面談、という順番ですすみます。

聴力は「裸耳60db、補聴器装着40db」 というもので、ここ半年ほど変化なし。

つぎに医師の診察。 耳の穴をじっくり見られて(耳垢も取ってもらって)マメちゃんは大泣き。

 

診察のあいだ、わたしは入り口ついたてのかげで、目立たぬように気配を消しています。

前回、「ひとりの患児におとな3人の診察付き添いは多すぎる」とやんわり注意されてしまったからですが、廊下で待つのは不安なわたしです。(医師の発言や説明は直接聞いておきたい。)

医師と娘夫婦のやりとりはスムーズに進み、安心してそっと廊下に出ようとしたとき「次回は?」という医師の声。

「次回は2~3ヶ月先でいいのですが、夏休みはとても混みます。」

「7月上旬か8月下旬、 どっちにしますか?」

 

...返事がありません。

アレかコレかと決断をくだすのが大の苦手の婿さん、「うーん」と考えているようです。

娘は夫まかせで、何も考えていないようです。

思わずついたてから顔を出して「7月上旬でお願いします」とわたし。

医師も看護師もビックリ顔。(「このひと、どこから出てきたんだ?」)

 

んもう、つぎの受診日は、少しでも早いほうがいいに決まってるじゃん。

まだまだ補聴器使用は安定しないし、聞こえの状況もよくわかっていない。

病院で診てもらえるチャンスは、少ないより多いほうがいいに決まってるじゃん。

 

これだから、娘夫婦には安心してまかせておけません。

(つーか、我ながらいやな出しゃばりばあさんです。)

 

 

 

 

 

 

 

 


「耳の聞こえない私が講演をする理由

2022-05-16 09:32:51 | 1歳から

「耳の聞こえない私が講演をする理由」(松橋英司)

 

1955年生まれの松橋さんは、生後3ヶ月で失聴します。(ストレプトマイシンの副作用。)

母親の夢中の奔走で、かれは、小学校から高校までを聴覚教育トップレベルの教育大(現筑波大)附属聾学校で学びます。

高校卒業後は、歯科技工士として安定した生活を送ります。

 

前回ご紹介した若い韓国女性は、周囲からの適切な援助がない中、自分の才覚だけをたよりに道を開いていきました。

いっぽう松橋さんには、お母さんや教師たちの手厚いサポートがつねに与えられます。

そのぶん、かれは「自分には障害があるからあれもこれもできない」といった消極的な思いにとらわれがちなようです。

自己憐憫感や自己卑下感もたっぷり味わいます。

 

40代のころ、母の影響で一種の宗教と出会い、ようやく心の平安を得られた松橋さん。

その感謝の思いを胸に、積極的に講演活動に乗り出します。

 

☆ふーむ。キム・スーリンさんのはっちゃけた人生を読んだ直後だったので、生真面目でやや陰気な(失礼!)松橋さんには、あまり親近感を感じられませんでした。

☆講演活動が宗教がらみなのもちょっと...。

 


「耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由」

2022-05-15 10:45:42 | 1歳から

難聴がテーマの本を2冊つづけて読んだので、ご紹介します。

どちらも「耳の聞こえない私が...」で始まるタイトルです。

まずは若い女性の「耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由」(キム・スーリン著)。

 

韓国生まれのキムさんは、複雑な家庭事情の中で祖母の愛情につつまれて成長しますが、6歳で失聴します。

適切な対処もしてもらえぬまま、そのまま学校生活をおくり、ひたすら自分の工夫と努力で困難な日常を乗りきります。

12歳で母のいる日本にやってきたキムさん。

初めて処方された補聴器もあまり助けにならない中、並々ならぬ努力で日本語をマスターします。

 

高校卒業後18歳で英国留学。

2年間の留学で英語も身につけたキムさん、その後世界的な証券会社ゴールドマン・サックス社に就職を果たします。

そのまえには30カ国世界放浪の旅に出て、スペイン語も身につけたり...。

 

ほんとかよ、と思うような内容で、かなりの唾を眉につけながら読みました。

でもこの本から確かに伝わってきたのは、「難聴を理由に自分に行動制限はかけない」といういさぎよさ。

いさぎよさというより、たくましさ。

読後、胸が広々とひろがって、勇気りんりんになりました。

 


もう一日泊まってもいいかな

2022-05-08 19:55:00 | 1歳から

きのう土曜日(7日)は、娘一家が引き上げる予定の日でした。

でも、朝起きてきた娘が言うには、「もう一日泊まってもいいかな」。

ギョ!

 

わたし:「う、うんいいけど。でも、 マメは自分の家がいちばん落ちつくんじゃない? 大丈夫かな?」

娘: 「大丈夫だよー、マメもここですごく楽しそうにしているもん」

娘のうったえるような表情を見ていると、『たまには親元で思う存分甘えたいのんびりしたい』という心の声が聞こえてきて、『OK、よしよしわかったよ』と受けいれてしまいます。

 

わたし: 「でもさ、**くんはいいの? 嫁さんの実家に長く泊まるのは居心地悪いんじゃないの?」

婿さん: (さわやか笑顔で)「いえ全然そんなことはないです」

 

というわけで娘たちは、ようやく今日(日曜日)の午後、5泊6日の日程を終えて「あー楽しかった」と引き上げていきました。

 

「マメちゃんバイバイ」と、笑顔全開で手を振りづづけるわたしと夫。

車が見えなくなると、「ああ、やっと帰ってくれたよ」と居間にもどり、ぐったりとソファに倒れ伏します。

長い長い6日間でした。

明日はのんびりゆったり、好きなことをして過ごそうっと。

 

 


無表情キープのマメちゃん

2022-05-06 13:41:44 | 1歳から

「こどもの日」のきのう、長男一家4人、次男一家5人、娘一家3人が、うちにあつまりました。

わたしたちを入れて総勢14人。

この大集合は去年の「赤ちゃんデビュー」(5月30日)以来1年ぶりです。

 

1歳になったマメちゃんをみんなに見てもらいたい。

順調な成長ぶりを見てもらいたい。

いきいきはつらつの可愛らしさを見てもらいたい。

ワクワクと楽しみにしていました。(よく似合う可愛い服を着せて。)

 

でも...。

見てもらえなかった...。

 

もう、マメちゃんときたら...。

ほぼ終始、無表情を通したのです。(お得意の「この世の中ってな~んも楽しくないのよね」の顔つき。)

2歳~6歳のいとこたちが大はしゃぎで走りまわるのを、じつにつまらなそうに見ています。

伯父伯母に抱っこされても、固い表情でじっとしています。(一度だけベソをかきました。)

 

息子たち嫁さんたちはぜったいにこう思ったろうなあ。

「小耳症のほかにも何か障害があるんじゃないか?」

「情緒や知恵の発達が遅れているんじゃないか?」

「やっぱりトロい**(娘の名)に子育てはムリなんじゃないか?」

 

ああ残念。

夕方、みんなが引き上げたら、マメちゃんはいつものマメちゃんに戻りました。

笑顔やいたずらっぽい表情を見せ、黄色いキャーキャー声ではしゃぎまくっていました。

マメちゃん、昼間はおおぜいのひとの中で、緊張して小さくなっていたのね。

 

ちなみに、きのうも、マメちゃんの両耳難聴のことは言いませんでした。

言ったらそれこそ、マメちゃんは正真正銘の「かわいそうな障害児」と見られてしまうもの。

もう少し状況が見えてくるまで(難聴の度合い、言葉の習得、など)、この情報は伏せておかなくては。