孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

マメ2歳9ヶ月

2024-01-30 17:38:47 | 2歳半から

お伝えしているように、1〜2ヶ月まえから言葉の急発達が見られるマメです。

たくさんおしゃべりするし、おとなと、ほぼふつうに会話ができます。

発音の不明瞭さも徐々に改善しています。

 

たとえば、以下の例。

先日、昨年末の札幌行きのことを娘と話していたら、マメがわりこんできました。

マメの発言部分をできるだけ正確に表記してみます。

 

「ぱぱとーままとーばあばとーまめちゃんとー、ひこうきのったねー」

「じいじはーいなかったねー」

「びょういんいったねー」

「しぇんしぇいがーおりこうしゃんっていったねー」

「まめちゃんおりこうしゃん」

「うちーあったねー」

 

「うん」「そうだねぇ」「ほんとだね」などとおとなが相槌をうって、楽しく会話が進みます、

でもちょっと待って。

最後の発言に???と当惑するばあばとママです。

「うち? なんだろう? マメちゃん、うちってなあに?」

うち だよー」

「えっわかんないよー」

 

その後、「うちさわったねー」「うちちゅめたかったねー」とつづいたのがヒントになりました。

うち=ゆき なのでした。

 

さて、数ヶ月まえから「1、2、3」などと言うようになりました。

わかって言ってるの? と始めは半信半疑でしたが、このごろはバッチリです。

おもちゃや食べものなど、指さしながら数えています。

「1、2、3」のあとは「5、8、4、、、」みたいになってしまいますが。

 

つぎに文字言語についてです。

自分の名前のひらがながわかります。

文字列の中からさがしだすことができます。

 

そろそろかなと思い、以下2点を導入しました。

1.ひらがな積み木

2.絵&文字カード

 

積み木は長男家庭からのお下がり。

絵&文字カードは「くもんでこんなのもらったよ」と、以前娘が見せてくれたのを思い出しました。

片面は犬の絵の横に「いぬ」というひらがな、裏面には絵がなく「いぬ」という大きなひらがなのみ。

A5サイズのペラペラ紙です。(身近な言葉、約40枚。)

これを、街のコピー屋さんでラミネートしてもらいました。(1枚100円)

 

この2アイテム、さりげなくおもちゃの横に置いてあります。

何となく手にとって、何となく理解し始めてほしい。

「教える」というアプローチは、まだ取らなくていいかな。

(ベビーくもんでは教えてもらっているようです。)

 

2歳9ヶ月のマメ、こんな感じの言語状況です。

 

 

 

 


初めて気づいたのは

2024-01-22 14:42:07 | 2歳半から

2年まえの今ごろ(2月)のことです。

マメは生後10ヶ月でした。

初節句ということで、娘の七段飾り雛人形を30年ぶりに出しました。

記念写真を撮るため、いつものつなぎ服をオシャレなワンピースに着替えさせました。

 

写真を撮り終わってヤレヤレとみんながバラけたとき、え〜んとマメの泣き声がします。

見ると、ワンピースのすそが膝にからまって、うまくハイハイできません。

「ああそうか、よしよし」

急いで救援に駆けつけると(つなぎ服に着替えさせる? or ワンピースのすそをズボンにたくしこむ?)、

マメはすでに自力で問題解決を済ませていました。

移動方法を、膝をつかない高バイスタイルに切り替えていたのです。

え〜んとひと声泣いたあと、即座に状況を理解して対処したのです。

 

おお!

この子はもしかして、かなり地頭(じあたま)の良い子では?

胸躍る発見を伝えると、「ええまあ、そうなんですよ」と悠然とほほえむ婿さん。

 

このときのことは、とても鮮明に覚えています。

マメのかしこさを初めて意識した瞬間でした。

 

その後も、日常のはしばしにマメのかしこさが感じられて...。

「もしかして」が「絶対確実」になって...。

でも、そのうれしさや誇らしさを、両親と祖父母の4人の間でしか共有できなくて...。

息子たちにはいまいち伝わっていない気がして...。

 

そんな中、部外者である義弟夫婦が、マメのかしこさをきっぱりと認めてくれたこと。

このインパクトはとても大きいものでした。

 

「難聴というハンディを補うにじゅうぶんな知的能力」がマメには備わっている。

<9歳の壁>など恐れるに足らず。

勇気りんりん、意気揚々のわたしです。

 

注<9歳の壁>

小4(9歳)くらいから急に学校の勉強が高度かつ抽象的になり、落ちこぼれる児童が多くなるとか。

難聴のマメは大丈夫かなと、不安にかられていた時期がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 


義弟夫婦がマメを絶賛

2024-01-20 12:41:11 | 2歳半から

ごぶさたしています。

老人ホームに入居している97歳母に、年明けからやや心配なことがありました。

気になって、2〜3日に一度様子を見に行っていました。(通常は5〜6日に一度。)

もちろん、週3回のマメ訪問を続けながら。

そんなことで、ブログを書く気持ちのよゆうがなくなっていました。

 

さてマメです。

お正月のことを書きます。

正月2日、娘がとつぜん「**おじちゃんの家に遊びに行く」と言い出しました。

「**おじちゃん」というのは夫の弟で、歩いて数分のところに住んでいます。

 

近いこともあって、以前は密に(密すぎるくらいに)行き来していた義弟一家ですが、最近は年に1〜2回会う程度。

そんな叔父のところに、正月早々姪一家が訪ねていくって、アリかな。

首をひねるわたしに「もう行くって電話しちゃったもん」と娘。

午後のおやつ時、3人でルンルンと出かけていきました。

(こういう義親戚とのつきあいを、少しも嫌がらない婿さんです。)

 

「長居は迷惑だから、せいぜい小一時間で引き上げるんだよ」

と言っておいたのに、帰ってきたのは2時間後。

「だって、おもちゃに夢中で(向こうの6歳4歳の孫用)、マメが帰りたがらないんだもん」

 

さて、その義弟夫婦。

恒例の「祖父母新年会」で4日に訪ねてきました。

子や孫の正月接待で疲れ果てた祖父母4人の、言ってみれば「慰労会」です。

 

その席で義弟夫婦が、マメのことをベタぼめしてくれたのです。

*すごく可愛い!

*耳が不自由なんてぜんぜん感じなかった。ふつうに会話が成り立った。

*情緒が安定して、ほがらかで落ち着いていた。

*おやつのロールケーキを、フォークを上手に使って完食した。

*何より頭が良くて感心した。

 

「頭が良い」の根拠は

<童謡のメロディに合わせて太鼓をたたくおもちゃで、音符の長さに合わせてたたく、休みのところはちゃんと休む>

<たたきながら、歌も口ずさむ>

<知らない曲の時は、数小節聞いたあとで曲のリズムに合わせてたたける>

でした。

 

単なるお世辞の域を超えた「前のめりなほめ言葉」がとてもうれしかったです。

もちろん、期待値が低かった、というのもあったと思います。

あの**ちゃんが子どもを産んで...>

<その子が聴覚障害で...>

<わー大変だ...>

みたいな先入観があったと思います。

 

その先入観を軽々とくつがえすようなマメの実態を目の当たりにして。

そのうれしい驚きを、力強く口にしてくれた義弟夫婦。

ありがたくて、うれしくて、誇らしくて、胸がいっぱいになったことでした。

 

 

 

 

 

 


2024年、マメサポートプロジェクト始動

2024-01-09 17:34:50 | 2歳半から

暮れの25日(月)から正月3日(水)までの10日間。

マメと密着して過ごした「濃ゆい日々」でした。

 

2泊3日の札幌行き。

元旦恒例の14人大パーティ。

どの時もマメがそばにいて、

どの時もマメが輝いていました。

 

マメが14人の一族大集結に参加するのも、今回で6回目。

今や堂々の存在感です。

4人のお姉ちゃんたち(4歳、6歳、7歳双子)に混じって、いっちょまえに遊ぶ。

伯父伯母に抱っこされて、余裕でニコニコする。

夜、ふた家族を見送る際など、ハイタッチをしたりいつまでも手を振りつづけたり。

ホストがわの役割を立派にこなしていました。

 

娘一家は3日(水)午前中に引き上げました。

10日ぶりにマメと別れるのは寂しかった?

いやいや...、ホッとしました。

やっと夫とふたりの気楽な生活に戻れて...。

 

4日(木)から今日9日(火)までの6日間は貴重な「お疲れ休み」。

ただもう、ひたすらグータラしました。

じゅうぶん英気を養ったところで、さあ、いよいよ明日からスタートです。

週3回(月水金)の娘宅訪問が再開です。

 

おもちゃで遊んで

絵本を読んで

散歩に行って

抱っこして

たくさんおしゃべりをして

午前中から夕方までの5〜6時間を、マメと濃密に過ごします。

 

マメサポートプロジェクト、今年も頑張るぞー。

エイエイオー。