孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

くもん2歳児グループを見学

2024-05-27 17:01:11 | 3歳から

というわけで、先週土曜日、娘宅から徒歩5分のくもん教室に出かけていきました。

娘たちにはあえて伝えず、家にも寄らず、スッと行ってスッと帰りました。(片道1時間。)

 

ふたりの男児が、ロの字型に並べた机の二辺に座ります。(親に抱かれて。)

(ひとりはちょうど3歳、もうひとりは2歳3ヶ月。)

正面が先生です。

 

速い、すべてがとても速い。

童謡を聞かせる

絵カードを見せて名前を言わせる

数字を100以上まで数える

国旗カードを見せて名前を言わせる

ことわざカードを見せて先生のあとに復唱させる

漢字カードを見せて読ませる

絵カードを見せて英語で言わせる

などなど。

 

流れるようなスピードで「授業」は進みます。

すごい!英才教育じゃん!

と驚くなかれ。

 

ふたりの男児はほとんど声を発しません。

先生のほぼひとり芝居です。

 

まあ、これはこれでありかも。

2〜3歳児への「授業」なんて、こんなもんかも。

何となく、少しずつでも耳に(頭に)残ればそれで良し。

 

わたしが興味深く見ていたのはふたりのこどもたちでした。

とにかくぼーっとしています。

先生に促されても、何もせず何も答えません。

(先生も、とくに気にせずドンドン進みます。)

 

へぇ、こんなんでいいんだ。

 

先日幼稚園のプレクラスに参加したとき、

マメは、歌にも手遊びにもあまり参加できませんでした。

「集団の場では、やっぱりよく聞こえないのかなあ」

と悲観したけど...。

待てよ、そうじゃないかも。

 

これって、「2〜3歳児あるある」なのかも。

先生の働きかけにろくすっぽ反応しない。

笛吹けど踊らず。

 

「聞こえない聞こえない」と必要以上に悲観するのはやめよう。

マメが何もせずにぼーっとしてたら、この男の子たちを思い出そう。

 

ほらね、来てよかったわ。

こうして、それなりの収穫があったわ。

 

2歳3ヶ月の子はとても落ち着きがなく、パパの膝でモゾモゾモゾモゾ。

去年の(2歳1か月の)マメは、もっとシャンとしてたなあ。

と、心のなかでマウントを取ったりもできたし。

 

この「授業」にはまったく魅力を感じなかったのでパス。

 

となると、3時からの「通常くもん」に参加することになるけど、それはどんな感じなのか?

くもんのポリシーが「自学自習」であることはよくわかっています。

でも、3歳児の「自学自習」って?

 

で、わたしのほうから提案してみました。

*配布された教材をこの場でやる(5〜7分)

*先生に見せて丸付けしてもらう(2〜3分)

*対面で絵カードなどを読む(5〜7分)

これにシール貼りや支度・片付けを入れて、計15〜20分

 

こんな感じでやってもらえないかと。

 

まわりに大きいお姉さんお兄さんがいる教室風景は、マメにとってもうれしいかも。

マンツーマン授業とは違った魅力があるかも。

 

「わかりました」と先生。

今週金曜日に入室テスト(?)

来週火曜金曜に体験授業

という段取りになりました。

 

さあどうなることやら...。


「くもん」ふたたび

2024-05-27 16:20:02 | 3歳から

9月か10月に幼稚園にはいれるまで、「なんかひま〜」なマメが行くところはないか。

娘と顔を見合わせて

「アレだよ!」

と考えついたのが

そう、くもんです。

 

マメも「うん、くもん行く!」と張り切っています。

さっそく、娘宅近くのくもん教室をさがして電話します。

 

電話口の担当者と、話がかみあいません。

「えーと、ですからね、教材を自宅で進めるという一般的なベビーくもんのやり方じゃなくてね」

と、まえのくもん教室のやり方を説明します。

「週2回、30分ずつ、対面マンツーマンで授業を受けるやり方でお願いします」

 

「あのー、そのようなやり方はうちではやっていないし、どの教室でもやってませんよ」

「えっ、そうなんですか?」

 

だんだんとわかってきました。

あのやり方はくもんの規定プログラムではなく、先生がまったくの善意でやってくれていたものなのだと。

 

あのとき(去年の今ごろ)の情景が思い出されます。

雨の日だったなあ。

わたしと娘とマメが教室に入ります。(もちろん事前予約ずみ。)

マメは、最初は場所見知り大泣きだったけど、そのあとは機嫌良くあたりを見まわしていたなあ。

娘はいつものように黙って座っていたなあ。

 

わたしがこちらの事情を説明し、他県から2時間かけて頻繁に通っていることを話すと、先生の顔に温かい共感の表情が浮かんだなあ。

「おばあちゃま、すごいがんばりですね」

 

そして言ってくれたのだった。

「家で教材を進めるやり方(2200円)でなく、教室で対面授業(7700円)もできますよ」と。

「えっほんとですか?ぜひぜひ、そのやり方でお願いします!」

 

あのとき、マメのこともすごくほめてくれたっけ。

「とてもかしこいお子さんです、見ていてわかります」と。

 

先生の大きな善意を(今さらながら)感じて、ありがたくて胸がいっぱいになりました。

 

電話口の担当者(先生)は、

「だって、そんなやり方、時給換算にしたらまるでボランティアですよね」

などとせちがらいことを言っています。

 

でもいろいろ話していくうちに、

「要するに対面での授業をご希望なんですね」

「それならこれはどうでしょう?」

「毎週土曜日10時から、2歳児2〜3人のグループレッスンをやっています」

 

正直なところあまり魅力は感じなかったけれど、何ごとも経験なので、見学に行ってみることにしました。

(そのようすは次記事にて。)

 

 

 

 


今すぐの入園はムリ

2024-05-27 15:39:23 | 3歳から

良い幼稚園を見つけて大安心ですが...。

すぐに入園するのはムリです。

 

 

<理由1>マメのメンタル余力がない(であろう)

 

引っ越しで環境が変わって、今はそれに対応するだけで精いっぱいの(はずの)マメ。

今、何より第一義に対応する(慣れる)べきは「難聴教室」です。

今月は週一の個人指導だけでしたが、6月からはグループ活動が始まります。

「個室で優しい先生とマンツーマン」の蜜月的楽しさに、新集団参加のストレスが加わると...。

 

*ね、だから、ろう学校を今やめたことは失敗だったのよね。

 (辛くて胸がかきむしられます。)

 

 

<理由2>トイトレが未完了

 

難聴については、いともフラットに寛容に受け止めてくれた幼稚園。

トイトレに関しては厳しいです。

入園の条件は「おむつが外れていること」です。

 

マメは3月時点で、おむつが外れる一歩手前まで行っていたのに。

引っ越しでダメになってしまいました。

新居のトイレがこわくてイヤだと言って、寄り付こうとしません。

 

 

<理由3>補聴器を取ってしまう

 

「うるさいうるさい」と言って。

または「何か変」と言って。

ほぼ毎日取ってしまい、小一時間はそのまま過ごしています。

引っ越し前には絶対になかった行動です。

 

もし幼稚園で補聴器を取ってしまったら...。

紛失の危険があるし、

その後先生たちがうまくつけられるのか、という問題もあります。

 

補聴器装用が安定するまでは、入園はひかえたほうが良さそうです。

 

 

さて、幼稚園入園が9月以降となると、それまでのマメの日常はこんな感じになります。

毎週月木: 難聴教室

隔週水: 幼稚園プレクラス

 

予定がスカスカ、なんかひま〜。

そこで浮上してきたのが...。

(次記事に続きます。)

 

 


幼稚園選び

2024-05-27 06:08:01 | 3歳から

幼稚園です。

 

引っ越しさえなかったら(ほらほらまた言ってるよ)、

今ごろはろう学校2歳児クラスに進級するかたわら、地元の幼稚園に通い始めていたはずです。

(「満3歳入園」制度では、満3歳になった翌月から入園できるので。)

 

ところが転居先では、もういちど幼稚園探しから始めなくてはなりません。

1.満3歳入園を実施していて(全幼稚園の半分くらい)

2.家からそれほど遠くない

園を5つ、厳選ピックアップしました。

 

順番に見学を申し込むとして、まずはA園からスタート。

「プレクラスにお試し参加したあと見学させてもらえる」ことになりました。

マメの難聴のことも、娘のコミュ障のことも、電話口では伝えませんでした。。

祖母も同行するとだけ。

 

プレクラスの担当先生は、やさしそうな年配の女性です。

「この3月まで園長先生だったんですよ」と、となりのママさんが教えてくれました。

えっそうなの?

おおそれなら。

 

プレクラス開始まで少し時間があったので、前園長先生に近づき、マメの難聴のことを話しました。

さあ、そのときの対応が素晴らしかった。

 

まるで「この子は左利きなんです」と聞かされたかのような、落ち着いたフラットな対応。

「ああ」とやさしく微笑んだあと、

「じゃあ、夏のプールのときは、補聴器の管理をしっかりしないといけませんね」

(「じゃあ、左利き用のハサミを用意しないといけませんね」みたいな。)

 

以前にも難聴の子をあずかったことがあるとのこと。

その時は職員たちも手話を勉強したとのこと。

 

すっかりうれしくなりました。

 

プレクラスや見学が終わって、園庭で少しマメを遊ばせていると、中年の女性先生が近づいてきました。

「園長です」と自己紹介され、あわててこちらの事情を繰り返そうとすると、「**から聞きました」とニッコリ。

 

その夜、メールで、マメの難聴についてもう少しくわしく伝えました。(小耳症のことも。)

娘の口下手についても。

すぐに、園長からていねいな返信がありました。

 

決まりです。

娘にも異論はありません。

 

何ともあっけない幼稚園選びでした。

去年と同じ状況です。

しょっぱなから本命にぶち当たるという。

 

良い幼稚園にめぐり会えて大安心ですが、じっさいに通い始めるのは夏休み明けになりそうです。

その理由は...。(次記事につづきます。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吹っ切る能力

2024-05-26 04:16:16 | 3歳から

公立高校で教員をしていたときのことです。

かなりレベルの高い進学校で、「一浪してでも志望校を目ざす」という生徒が少なからずいました。

 

Aくんもそういう生徒のひとり。

卒業翌年の3月、週刊誌でAくんの名前を見つけました。

「大学合格者数(高校)ランキング」という特集記事の中で。

 

この記事では、東大・京大レベルの大学に限って、高校名の他に合格者名も載るのです。

Aくんの名前は、理工系ではトップレベルの某国立大のところにありました。

「Aくんすごいじゃん!やったね!」

職員室で、同僚とも喜び合いました。

 

その夜、おめでとうを伝えたくてAくんに電話しました。

今から30年もまえの話です。

携帯電話などありません、電話と言えば家電(イエデン)です。

 

お母さんと二人暮らしのAくん宅。

電話には誰も出ませんでした。

 

まいっか。

また週明けにでも電話しよう。

 

2〜3日後に電話すると、今度はAくんにつながりました。

「おめでとう、良かったね!」

「え?何のことですか?」

 

何と!!

Aくんはトップ国立大の合格を知らなかったのです!!

 

どうせダメだと思い、発表を見に行かなかったとのこと。

「だ、だってさ、合格通知が届いたでしょ?」

薄いペラっとした封書で届いたから、やっぱりダメだと思い、封も開けていないとか。

あわててその封筒を取りに行って、電話口で開封するAくん。

「あ、ほんとだ!合格って書いてある!」

 

喜びと失望が同時にやってきました。

入学手続きの期限が過ぎていたのです...。

 

つらい経験でした。

わたしは何度も自分を責めました。

「なぜ、週刊誌を見たあの日に、もう一度電話しなかったんだろう?」

「その翌日でも間に合ったかもしれない」

 

でももちろん、いちばんつらい思いをしたのはAくんだったはず。

けっきょくかれは、滑り止め的に合格していた中堅私大に進学しました。

 

このエピソードを、最近たびたび思い出します。

わたしがあのときのAくんだったら、と想像するのです。

 

「何で何で」と果てしなく繰り返し、

時間を何百回も何千回も巻き戻し、

そのうち頭がぐちゃぐちゃになって、

前に進めずその場にうずくまってしまう。

 

わたしはつねに自分の能力を過信して生きてきたけれど、じつはこんなにも脆弱な部分があったんだと今更に気づきました。

過去を吹っ切る能力。

未練を断ち切って前を向く能力。

これがわたしには決定的に欠けているのでした。

 

つまりかんたんに言うと、

わたしは、ろう学校に関する判断ミスから、いまだに立ち直れないのです。

どういう角度から考えても、今年一年はろう学校に通いつづけたほうが良かった。

どうしてその適切な判断ができなかったんだろう?

3月まで時を戻したい。

ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ...。

 

そして、そのつらさが行き着くところは、「そもそも引っ越しさえなかったら」という埒もない繰り言です。

じつにもう情けない体たらくです。

 

そんな状態ではありますが、次記事から少しずつマメの近況を書いていきます。

自分の気持を奮い立たせるためにも。

 

ちなみに、メガトン級の判断ミス(というかうっかりミス)をしたAくん。

そのミスを吹っ切れたのか。

 

吹っ切れていませんでした。

直後に会ったときも、数年後に会ったときも。

その後はどうだったのか。

思い出すたびに胸が痛いです。