阪神淡路大震災から20年の17日、私は夫とともに東遊園地の追悼会場に行きました。
着いたのはお昼過ぎで、14時46分の東日本の追悼式の準備で、竹灯籠の移動中でした。
阪神淡路、東日本の震災の犠牲になられた方々に手を合わせ黙とうをしました。
そして会場の片隅に目をやると、
大きな枠組みがあり、見上げると上の方に(10)の数字が・・・
「あの数字は何?」と夫に尋ねると、
「10メートルの津波の高さ。。。」と。
高い位置に視線をあげたまま私は身がすくみました。
あの高さの波が轟音を立てながら襲ってきて、犠牲になられた多くの方々の恐怖が急に我こととして涙があふれました。
その時です。
強い風と共に、雨ともみぞれともつかない激しい降りに、会場にいた人たちはテントに飛び込んだり、地下街に移動したり・・・
私たちも地下街に降りて、ずぶ濡れになった体をハンカチで拭いていましたがおっつかず、
駐車場に行き車の中で暖を取りました。
仕方なく帰路につき、車を走らせて10分もしないうちに青空になり陽も射してきました。
いったいなんだったのかと心残りの一日でした。
今日の絵手紙です。
今年初めての絵手紙ですが・・・
描けない時は(お地蔵様!)を思いだし、お地蔵さまを爪楊枝で描きました。
着いたのはお昼過ぎで、14時46分の東日本の追悼式の準備で、竹灯籠の移動中でした。
阪神淡路、東日本の震災の犠牲になられた方々に手を合わせ黙とうをしました。
そして会場の片隅に目をやると、
大きな枠組みがあり、見上げると上の方に(10)の数字が・・・
「あの数字は何?」と夫に尋ねると、
「10メートルの津波の高さ。。。」と。
高い位置に視線をあげたまま私は身がすくみました。
あの高さの波が轟音を立てながら襲ってきて、犠牲になられた多くの方々の恐怖が急に我こととして涙があふれました。
その時です。
強い風と共に、雨ともみぞれともつかない激しい降りに、会場にいた人たちはテントに飛び込んだり、地下街に移動したり・・・
私たちも地下街に降りて、ずぶ濡れになった体をハンカチで拭いていましたがおっつかず、
駐車場に行き車の中で暖を取りました。
仕方なく帰路につき、車を走らせて10分もしないうちに青空になり陽も射してきました。
いったいなんだったのかと心残りの一日でした。
今日の絵手紙です。
今年初めての絵手紙ですが・・・
描けない時は(お地蔵様!)を思いだし、お地蔵さまを爪楊枝で描きました。