季節の移ろいin絵手紙 Ⅱ

 絵手紙&水切り絵&パステルアートに日々の出来事を添えて・・・

深々と・・・

2015-02-04 06:30:25 | 絵手紙
友の訃報が届いたのは、1月半ばの事でした。
ご主人からのお葉書です。

 思い起こしますと、昨年9月中旬
「進行性の胃がんだったの」と彼女から電話があり、しっかりした口調で今の状況をしゃべると、そこから先は泣き声にかわり電話の向こうとこっちで泣きつづけました。
 電話を切るときに友は「絵手紙頂戴ね。繋がっていたいの。
特にあのパステルの柔らかくて明るいのが欲しい・・・」と。

 私は友にパステルアートを中心に月に2枚の絵手紙を送りつづけました。

 その次に友からの電話がかかってきたのは、12月の半ば過ぎ。。。
驚くほど明るい声で「よく生かされて生きるって言葉を使うけど、何かに生かされてるだけあって、死ぬこともできずまだ生きてるの。
 昨日はいよいよと思うくらい苦しくて苦しくて・・・
でも、今朝起きると、とても気分がいいので今のうちにあなたに電話しておこうと思って・・・」

 どのくらい何を話したのでしょうか。
驚くくらい、病気に関係ないいつものおしゃべりをしました。
 電話を切るときに「また気分のいい時は電話頂戴ね。待ってるからね」というと、
「分かったわ。バイバイ」
        この電話が最期となりました。

 訃報のハガキが届いて数日経ったある日、
友のご主人が、我が家を探して訪ねてきてくださいました。
「マンションの下に降りてきてください」の言葉通りに降りていき、
「家に上がってください」の言葉に、
「いえ、ここで・・・」とここ数か月の事をことを話してくださいました。
 その中で「12月の末、あなたの処に野菜を届けてほしいと言ったのですが、
あのころは特に一刻も目が離せない状況で、あなたの処は勿論、畑にもいく余裕なんてありませんでした。
妻が亡くなって2週間、やっと彼女の言った通り野菜を届けることができました」と抱えきれないくらいの野菜渡されました。

 車の見えなくなるまで見送り、
ご主人からお聞きした友の最期の言葉を心の中で反芻し、
友の遺言通り大好きだったボレロの曲の中でのご家族だけでの密葬という、なんとも彼女らしいお別れと、
抗がん剤治療は受けない! 最期は家で。。。
と貫き通した友とご主人に改めて深々と頭を下げました。

 今日の絵手紙です。
 筆を持ち、墨で描くなんて久しぶり。
数か月ぶり?もしかしたら1年以上も描いてないかも・・・