折々のうま-当たらぬでもなし

競馬記事で埋めちゃうから、随想に心打たれた人はブックマークだ。

ブログ形式の限界

2011年08月27日 06時55分45秒 | IT
私のブログなど頭から読んでいる人など誰もいないだろう。
私自身記憶があやふやなところがある。
たまに過去のものを見て、時間の経過で内容がおかしくなっていれば、
削除したりもしているが、私の私的日記の性格もあるので、
人格的に歪んでいると思われる部分も敢えて残している。

ブログというのは当然最新の投稿が上に来る。

順序に従って読めば何のことはないが、この形式が誤解を招くことがある。
私の例でいくと、今はまとめてしまったが、以前は競馬予想の結果が来て、
その遙か前に予想がある、といった状況だ。

ブログを読んで意味不明の場合は、1ブロック分ぐらい遡ればたちまち諒解、
逆に感服ということがある。
私のブログは作者が心を病んでいるので感動を与えることは考えられないが、
心の病気の人は、こんな考えになるということは分かると思う。

ブログが往々にして炎上してしまうのは、大衆を意識しない不見識なものの表現、
不適切な内容、そして、この形式自体にも限界があるのではないだろうか。
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震災を「神の与えた試練」で片づけるな

2011年08月27日 06時23分22秒 | 社会
苦悩のあまり沈黙している宗教者はまだいい。
立腹するのは震災は「神の与えた試練」で片づけようとしている人たちだ。

冗談ではない。
神は耐えられない試練は与えられないなどといっているが、
津波で一家全滅の人たちは耐えられないと神が判断されたのか。

いかなる人たちも神の定めた摂理を超えることはできないということだ。
摂理を超えたとき、それは震災などの天災であったり、様々な事故に見舞われる。
人的要素が原因なら、戦争や社会崩壊に繋がる。

震災も風水害も、この現実で生活する以上避けられないことである。
その被害を食い止めよう、小さくしようと人間は努力してきたはずなのだが、
力が及ばなかったり、思いが至らなかったり、さまざまな思惑であるべき方向から
外れてしまうことがある。

人間は誤る。自然の摂理に跳ね返されることもある。
それは往々にして残酷でもある。
しかし、あるべき理想、果たすべき人道、守るべき正義に立ち返るなら、
人間に未来はある。
犠牲となった人たちの思いを果たすべき責務が、我々にはある。
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非合法勢力が力を持ち得ない社会を作らねば意味がない

2011年08月27日 05時33分17秒 | 社会
暴力団関係者は生活保護を受給できないことになっている。
切断された指の「義指」の製作や、入れ墨の消去で支援する動きもある。

非合法勢力といっても、指定暴力団でお城みたいな邸宅に住んでいる人たちから、
銭湯にベンツで乗り付け、路上駐車している人まで様々である。

末端の構成員などは悲惨なもので、シノギができなくなった元組員などは
新聞配達の子供のバイト代を前借りしようとする有様だ。
その子供達が私が以前勤めていた施設の池の鯉を釣ろうとしたので怒られていた。
困窮ぶりをしっていたので、こそっと缶ジュースなど買ってやったりしたが、
この子はどうなるのだろうと不安に思ったものだ。
高校など行けるわけもなく、少年自衛官になったようだが、
その後その施設は閉鎖されたので、私は近所に行くこともなく音信不通だ。
鯉釣りをして食ったりしていたようだから、体格も良くなかった。
地頭はそれなりによいのだが、学習の絶対量が足りない。
性格も悪くはないのだが、境遇のせいもあって人見知りがひどい。
自衛隊という極限の集団生活に耐えられたのだろうか。

親にバイト料を前借りされるような境遇が想像できるだろうか。
これは平成に入ってからの話である。
自衛官で勤め上げればいいが、免許も取らず社会に放り出されたら、
非合法勢力一直線である。
このような人たちがいなければ、建設業、ひいては原子力事業が成り立たないのは
承知している。
職人としても独り立ちできず、いい年をして単純作業を炎天下にこなしている
人たちを見るたび、境遇を考えずにはいられない。
せめてけがや病気はするなと祈らずにはいられない。

けがでもしたら、生保、労災、自賠責、パチンコ屋の常連さん。
若くなくても投げやりな心境では非合法勢力の誘惑には耐えられないだろう。

缶ジュースをひったくるように持ち去り、遠くでにやっと笑ったあの笑顔が、
今でも歪んでいないことを願いたい。
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国連も架空の世界

2011年08月27日 05時04分38秒 | 政治
言ってみれば国連も架空の世界だ。
アメリカやEUが動かなければ実効ある施策は動かない。
安保理で中国、ロシアが拒否権で茶々を入れたらおしまいだ。
拠出金の制度なども、多く出しても名誉も権力もあるわけでないし、
決め方自体が実にアバウト。滞納しても議決権が停止されるわけでもない。

国連職員といっても、外務省などの政府職員が各国のローテーションで
派遣されているものから、プロパー採用の職員が中心の機関もある。
ユニセフなどの附属機関の運営にも問題はあるが、
ボランティアみたいなスタッフに頼り切っている機関もあるし、
言ってみれば日本の裁判所の執行官みたいな身分になっている者もある。
自分でスポンサーを募り、自分が事業を切り盛りしているようなものもある。
事業形態だけならNGOとの区別がつかないものもある。

カトリック教徒などは地域や影響力の及ぶ範囲は限定されるが、ある意味、
ローマ法王の方が権力を持っていると冗談半分に言う。

一面では確かにそうである。

これも「架空」を「理想」に置き換えれば、国連のあるべき姿と問題点が
見えてくる。
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天国は架空の世界ではなく「理想の世界」

2011年08月27日 04時47分11秒 | 東日本大震災
震災後、宗教者が沈黙しているのは理解に苦しむものである。
善行すれば報われるのか。
震災の犠牲者は悪行三昧だったのか。
幼気な子供、動けない障害者、避難誘導の市民、水門を閉めた消防団員に
何の落ち度があったのだ
私は震災自体の悲惨な状況に圧倒されるとともに、
宗教者の沈黙に大きな失望を感じている。

私たちは現実という不完全な世界に生きており、
天国という理想の世界を希求しているのだ。
地獄についても、ただ宗教的な恫喝の道具ではなく、
正義・人道の貫徹という哲学観、倫理観に裏打ちされた世界でなくてはならない。

震災で生きるよすがを失った今こそ、語らなければ宗教は全く存在価値がない。
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<福島第1原発>放出セシウム…広島原爆の168個分

2011年08月27日 04時34分33秒 | 東日本大震災
 経済産業省原子力安全・保安院は26日、東京電力福島第1原発1~3号機と
広島原爆から、それぞれ大気中に放出された放射性物質の核種ごとの試算値を
公表した。セシウム137(半減期約30年)の放出量を単純比較すると、
福島第1原発は広島原爆の168.5個分に相当する。(毎日新聞)

 ただ、涙だ。何度も言うが、この莫大な放射性物質をどこに隔離すればいいのだ。
 政府はただ逃げて、被災者に努力していますと言うだけでは駄目だし、
マスコミも「菅蹴り」はもうできないのだから現実を語らなければならない、
 東電支配の軛(くびき)を超えて、原子力サイクルの破綻を明らかにし、負担を
して頂く福島県民、青森県民に頭を下げなければならない。

 放射能そのものを瞬時に消滅させる除染方法はないのだ。
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