ちょっと大きめのボリュームでレイ・ブライアントの「GOTTA TRAVEL ON」なんかかけて、煙草に火を着け、陽光を浴びながら軽く背伸びをする・・・・ここで優しい言葉とともにモーニング・コーヒーでも出てくれば完璧なのでありますが、無い物ねだりはよして、ともかく、酒で狂いがちの体内時計のリセット・・・・
気持ちの良い休日の朝です。
今年最後の月12月は、小春日和に恵まれた週末でスタートしました。
そうそう、遅ればせながら昨日12月1日より、我が地域におきましても『地デジ』の試験放送が始まりまして、『地デジ』否定論者の私としてはいささか不本意ではありますが、「剛君にほだされて」我が家で唯一『地デジ』を受信できるTVで試しながら、『地デジ』の臨時説明会であります。
「なによ、時間表示してんじゃん」
「だから、正確な秒表示までは不可能なんだって・・・・つまり、秒針のある時計を地デジの時計で合わせることは出来ないわけよ。」
「○○、今度は東京放送は入んないのかい?」
現在、我が地区では東北でありながら関東向けのキー局放送を受信できるのでありまして
「基本的には地方局だけになると思うけど、全地域で本放送が始まってみないと分かんないね」
データ放送、番組表、相互通信、等々をザッと説明して、
「ちなみに、このTVではフルハイビジョンの再生はできないから」
「・・・・・・??????」
しかたなく、ハイビジョン放送の信号状況と再生機器の説明をザッと・・・
少ない電波帯で多くの情報を送れるものの、それを何処まで再生するかは再生機器の能力に係わる、てな話を母などにしたところで分かるわけもなく
「何でもいい、テレビが見られれば」と母
これがまさに本音、大方の意見ではないでしょうかね。電波帯の有効活用等、デジタル化のメリットは充分承知しておりますが、わざわざ金をかけて急ぎやるべき事なのか?私は未だ疑問に思っております。
我が家に初めて白黒テレビがやって来たとき、私はまだ小さくて良くは覚えていませんが、大騒ぎだったことは記憶の片隅に残っています。
しばらくして、端に『カラー』と入った番組が始まると憎たらしくて、やっとカラーテレビに変わった時にも感動しました。
『地デジ』を初めてフルハイビジョンで見たら、同じような感動があるのかなぁ????
ヘタをすると、操作がリモコンに変わったときより感動が薄かったりして(笑)
良い所だけ目の前にぶら下げられ、踊らされているようにも思えるのは、私だけでしょうか?
まぁ、決まってしまったことを今更とやかく言ってもしかたがないわけで、
「問題は、他のテレビをどうするかだよなぁ・・・」
「はい!先生」
「ん?なんだね?」
「2011年に本放送が始まると、アナログの受信機は全く必要なくなるんですよね。」
「そうですが」
「ということは、今売っているテレビやDVDレコーダーにはアナログ・チューナーが付いているわけじゃないですか、それが付いてないものになればその分安くなんの?」
「・・・・?????」
どうなんでしょ?誰か教えて?(仮に安くなっても微々たるもんでしょうけどね...笑)
さて、今日の一枚は、オーネット・コールマンの初リーダー・アルバムです。
まさか、これをキャノンボール・アダレーの同名アルバムと間違えて買ったという人はいないと思いますが、!マークが四つ付くと同じアルトでも全く違うことは分かっていただけると思います。(笑)
コールマンというと、フリー・ジャズの象徴的イメージとして捉えられがちですけど、このアルバムを聴くかぎり、いくぶん印象が変わるかも知れません。
と言っても、そこはコールマン、ドン・チェリーのフロントですから、「ハード・バップ!」みたいで無いことは想像でますよね。
興味深いのは、このアルバムがコンテンポラリーというウエスト・コーストの老舗から出ている点です。
コールマンがビー・ウィー・クレントンのバンドに加わり、初めてロサンゼルスに出てきたのは1950年でした。苦しい生活に一度はくじけ、フォートワースに戻ったりもしましたが、再度決意をし、ご存じエレベーター・ボーイや皿洗いをしながら独学で音理を学んでいきました。
ロサンゼルス→コンテンポラリーというのは、一見ごく普通に思われるかもしれませんが、すでにドン・チェリー、エド・ブラックウェル、チェリー・ヘイデン、ビリー・ヒギンズ、後に加わったボビー・ブラットフォード、ジョン・カーターらと、実験的試みを行い始めていた時期であり、いくぶん保守的とも取れるコンテンポラリーでレコーディング出来たのは、レッド・ミッチェルと知り合い、コンテンポラリーのレスター・ケーニッヒに引き合わせてもらったおかげに他なりません。
このアルバムが、ある意味コールマンらしからぬ内容になったのは、実験的試みがまだまだ発展途上(嫌いな方には発展と言うべきかどうか分かりませんが)にあったことも影響しているでしょうし、そういった背景や、初レコーディングの緊張、なによりオーソドックスなウォルター・ノリスのピアノ(後に変化しますけど)が入った時点で、決定されたものだったのかもしれません。
ともあれ、そういったことを思いながらこのアルバムを聴くと、それなりの楽しみが生まれてきますし、私などは2曲目「THE BLESSING」を、ジョン・コルトレーン、ドン・チェリーの共演盤「THE AVANT-GARDE」での同曲と聴き比べるてな楽しみもあって、そこそこ気に入っている一枚になっています。
SUMETHING ELSE !!!! / ORNETTE COLEMAN
1958年2月10, 22日, 3月24日録音
ORNETTE COLEMAN(as) DON CHERRY(cor) WALTER NORRIS(p) DON PAYNE(b) BILLY HIGGINS(ds)
1.INVISIBLE
2.THE BLESSING
3.JAYNE
4.CHIPPIE
5.THE DISGUISE
6.ANGEL VOICE
7.ALPHA
8.WHEN WILL THE BLUES LEAVE ?
9.THE SPHINX
おまけ、
午後になって母が、「近所の茶飲み友達が、今日息子さんのところから帰ってくるんだけど、一人暮らしだし、夕食の準備もたいへんだろうから家に呼びたい」と言い出しました。そこで『料理当番、本日の一品』
ご飯組にはこんなんを用意しました。
簡単鶏と茄子の煮込みに、ハッシュドポテト、トマト、グラタン添えサラダを、ワン・プレートに(本当は鯵を焼く予定でいたのですが、鯵の数が足りなかったので)
私はもちろんオチャケ用のシメ鯖ならぬシメ鯵です。
鯵を三枚におろし、塩をしたら1時間、塩をおとして、昆布酢に2時間、最後に皮をむいて出来上がりです。