1.古くは「綱輪天神」と呼ばれていたために「つなわ」が「綱場」となったようです。
現在の本殿は南向きですが、200年前の博多図では参道は西側にあり、「下土井町」に含まれていました。
天満宮のすぐ北側には「大水道」と呼ばれる運河が走っており、
東の御笠川から西に街中を抜け博多川まで繋がっていましたが、「入り海跡」だったようです。
2.綱敷天満宮の説明
「漁師が網を輪にして敷き物にした」そうですが、恐らく海水に濡れないためか、砂浜が歩きにくかったからかもしれませんね。
3.901年に大宰府へ遷任
道真は903年に大宰府で逝去し、その地に葬られました。
4.御神灯がともる。
今でも学問の神様として、氏子による厚い信仰が保たれているようですね。
5.昭和41年の「町界町名整理事業」では133の旧町が24に整理統合され、付近一帯が綱場町になりました。
運河があったためでしょうか、現綱場町の昭和通り辺りは江戸期から「蔵本町」と呼ばれる倉庫街でした。
商圏が天神に移る前までは「綱場町商店街」も栄えていたそうです。
撮影:CANON Powershot S100
現在の本殿は南向きですが、200年前の博多図では参道は西側にあり、「下土井町」に含まれていました。
天満宮のすぐ北側には「大水道」と呼ばれる運河が走っており、
東の御笠川から西に街中を抜け博多川まで繋がっていましたが、「入り海跡」だったようです。
2.綱敷天満宮の説明
「漁師が網を輪にして敷き物にした」そうですが、恐らく海水に濡れないためか、砂浜が歩きにくかったからかもしれませんね。
3.901年に大宰府へ遷任
道真は903年に大宰府で逝去し、その地に葬られました。
4.御神灯がともる。
今でも学問の神様として、氏子による厚い信仰が保たれているようですね。
5.昭和41年の「町界町名整理事業」では133の旧町が24に整理統合され、付近一帯が綱場町になりました。
運河があったためでしょうか、現綱場町の昭和通り辺りは江戸期から「蔵本町」と呼ばれる倉庫街でした。
商圏が天神に移る前までは「綱場町商店街」も栄えていたそうです。
撮影:CANON Powershot S100