徳川幕府により処刑された博多の豪商、伊藤小左衛門一族を祀った神社です。
神社の由緒書き。
処刑された一族郎党は270名に及んだとか。
三男小四郎、四男万之助はわずか5歳だったそうです。
鳥居は博多の繁盛と、子供の成長を願って奉納されたようです。
撮影:EOS5D3+EF24-105mmL IS
神社の由緒書き。
処刑された一族郎党は270名に及んだとか。
三男小四郎、四男万之助はわずか5歳だったそうです。
鳥居は博多の繁盛と、子供の成長を願って奉納されたようです。
撮影:EOS5D3+EF24-105mmL IS
怨霊?を畏れたのでしょうか?
でもそれにしては江戸時代でかなり新しい…
背景を知りたいですね。
当時の中央政権に対する地方財界の「反抗」だったのではないでしょうか。
海外貿易の利益を独占するのが徳川幕府の方針で、平戸を閉め直轄地の長崎だけを開港しましたね。
諸藩を浪費させるために参勤交代を実施しましたが、
実際には薩摩や長州も、密貿易で倒幕資金を貯めたのですから。
今も昔も貿易は国家財政には欠かせませんね。