国体通りから警固1丁目と今泉2丁目の間を南へ薬院方面に走るのが旧「上人橋通り」です。
由来によれば、国体通りは城の堀に那珂川から水を引くための運河だったようです。
日延上人が住職を務めた香正寺の山門。
9千坪の敷地を誇った名刹も市街化の波には勝てませんでしたね。
夕闇が迫り、辺りには飲食店の明かりがともる頃です。
由来によれば、国体通りは城の堀に那珂川から水を引くための運河だったようです。
日延上人が住職を務めた香正寺の山門。
9千坪の敷地を誇った名刹も市街化の波には勝てませんでしたね。
夕闇が迫り、辺りには飲食店の明かりがともる頃です。
最近は余り夜の天神界隈に出没していませんから疎いですが(笑)
香正寺の地所が9千坪もあったと言われるのは、福岡市が「京都市に次いで寺社仏閣が全国で2番目に多い」とされるのが分かるような気がします。
福岡城が平城なので、築城時に防衛のため城の周辺にに寺を集めたのも、多い理由かもしれません。
コメント有難うございます。
歴史にお詳しいようですね、色々と教えてください。
福岡市内の歴史的建造物は、先の大戦の空襲でかなりの被害を受けたのでしょうね。
その後の再開発もあって、城下町としての風情は少なくなりましたが、
最近になって、少し整備(記録)が進んだようです。
故郷の風景を自分なりに記憶していきたいと思い、街歩きをしています。
古地図を張貼っていただき、有難うございます。
文章と併せて地図を見ると、その頃の様子がよく分かりますね。
また、勉強になりました。
今後とも、有益な情報を宜しくお願いします。
また、義虫之獨言の蟻之丞さんも福岡藩の史料や史蹟に大変お詳しいので仲良くさせていただいております。こちらのアドレスは以下のとおりです。
http://yaplog.jp/aomomo-space/
haichaolu様のお写真はなんというか人情味があって、どうしてこんなに暖かみのある写真を撮影できるのだろうと感心しているところです。福岡都心部はこれからもますます変化していくでしょうから、ぜひこれからも「今」をいい写真で残していただきたいなと感じました。
私のブログでもたまに「ブラタモリ風」というカテゴリで福岡の街を紹介しております。お目汚しになりますが、ご紹介させていただきます。
http://e-your-life.jugem.jp/?cid=41
お近づきになれて光栄です。
情報を色々と有難うございます。
私のブログは退職後、上海に語学留学した時に始まっていますが、
「歴史好き」と言うより「風景好き」が根底です。
上海の街歩きと同じ方法論で、今も郷里を歩いています。
「人情味」とのお褒めのお言葉、大変嬉しく思いますが、
上海の街を撮影していて、「自分はファインダーのこちら側」にいることに常に「後ろメタさ」を感じていました。
貴ブログにも訪問させていただきたいと思います。