上海支店の開設は1924年となっていますが、1893年には南京路で建物を借り、既に事務所を開設していました。
翌年に始まった日清戦争時はフランス銀行に業務を委託していましたが、戦後中国での地位を確立し、その後勢力を増していきました。
中国では大連支店(1909年)・北京支店(1910年)・ハルビン支店(1912年)・青島支店(1919年)・漢口支店(1921年)奉天支店(1925年)・天津支店(1926年)がありましたが、各支店の建物も多くは現存しているようです。
上海支店だった現存の建物は1924年8月に竣工。占地面積は2,500m2、6階建てで建築面積は18,932m2あります。
外灘24号地はサッスーン洋行が所有する物件でしたが、その頃麻薬取引禁止とともにサッスーン洋行の経営が傾き1923年に買い取りました。
外壁には武士と菩薩の塑像があったそうですが、これが文革時に傷つけられた菩薩像でしょうか。
大日本帝国の栄枯盛衰を物語るようです。
現在は中国工商銀行外灘支店が営業しています。
優秀歴史建築にも指定されています。
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翌年に始まった日清戦争時はフランス銀行に業務を委託していましたが、戦後中国での地位を確立し、その後勢力を増していきました。
中国では大連支店(1909年)・北京支店(1910年)・ハルビン支店(1912年)・青島支店(1919年)・漢口支店(1921年)奉天支店(1925年)・天津支店(1926年)がありましたが、各支店の建物も多くは現存しているようです。
上海支店だった現存の建物は1924年8月に竣工。占地面積は2,500m2、6階建てで建築面積は18,932m2あります。
外灘24号地はサッスーン洋行が所有する物件でしたが、その頃麻薬取引禁止とともにサッスーン洋行の経営が傾き1923年に買い取りました。
外壁には武士と菩薩の塑像があったそうですが、これが文革時に傷つけられた菩薩像でしょうか。
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