1964年東京五輪で金メダルを獲得したバレーボール全日本女子の、
主将だった中村(旧姓河西)さんが3日、
脳出血のため急逝された。
7年後の東京五輪では聖火ランナーも務めたいと言われていたそうです。
昭和の東京五輪では決勝でソ連を破り金メダルに輝いたときの、
テレビ中継を夢中になって観戦していたことを思い出す。
東洋の魔女と呼ばれた方々の顔が浮かんできます。
まだ全員ご健在とのこと。
中村さんが80歳で死去、残念でなりません。
「俺についてこい!」の大松監督のお顔も同時に浮かびます。
監督の下、厳しい練習の中で生まれた秘技・回転レシーブで金メダル。
仕事が終わってからのハードな練習は深夜に及ぶこともあったそうです。
粘りに粘って東洋の魔女は金メダルポイントを6回も繰り返し、
激戦の末ソ連を破りました。
手に汗する思いで応援していました。
その後のバレーボールの試合はテレビ観戦はもとより、
世界選手権の試合など何回も東京体育館に行き観戦しました。
東京五輪から49年、丁度今日は結婚記念日。
子供、孫とバレーボール好きは引き継がれ、
一緒に観戦に行き全日本のバレーボールチームを応援して来ました。
中村さんが率いる東洋の魔女の精神は今も連綿と受け継がれ、
日本のバレーボールの発展に繋がっているのではないでしょうか。
2008年に世界バレーボール殿堂入りを果たした、
中村さんに心からご冥福をお祈りいたします。
主将だった中村(旧姓河西)さんが3日、
脳出血のため急逝された。
7年後の東京五輪では聖火ランナーも務めたいと言われていたそうです。
昭和の東京五輪では決勝でソ連を破り金メダルに輝いたときの、
テレビ中継を夢中になって観戦していたことを思い出す。
東洋の魔女と呼ばれた方々の顔が浮かんできます。
まだ全員ご健在とのこと。
中村さんが80歳で死去、残念でなりません。
「俺についてこい!」の大松監督のお顔も同時に浮かびます。
監督の下、厳しい練習の中で生まれた秘技・回転レシーブで金メダル。
仕事が終わってからのハードな練習は深夜に及ぶこともあったそうです。
粘りに粘って東洋の魔女は金メダルポイントを6回も繰り返し、
激戦の末ソ連を破りました。
手に汗する思いで応援していました。
その後のバレーボールの試合はテレビ観戦はもとより、
世界選手権の試合など何回も東京体育館に行き観戦しました。
東京五輪から49年、丁度今日は結婚記念日。
子供、孫とバレーボール好きは引き継がれ、
一緒に観戦に行き全日本のバレーボールチームを応援して来ました。
中村さんが率いる東洋の魔女の精神は今も連綿と受け継がれ、
日本のバレーボールの発展に繋がっているのではないでしょうか。
2008年に世界バレーボール殿堂入りを果たした、
中村さんに心からご冥福をお祈りいたします。