波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

高取城の猿と熊(伊賀・大和路散策その4)

2024-11-06 01:28:55 | お城

ハッピーハロウィン!白黒茶々です。

この挨拶をするのには思いっきり出遅れてしまいましたけど、その直近となる前回の日記ではワケあって、謎のパスワードで入らなければなりませんでした。 だからといって、ハッピーハロウィンのかけ声をしないまま深秋を迎えるのはイヤですし。 仮装やゾンビの真似などはしなくても、せめて景気づけにこの挨拶を使わせてくださいませ。 その一方で波狛日記では、私・の1人と2頭は、宿泊先(車中泊)となる道の駅吉野路大淀iセンターで9月16日の朝を迎えました。

前日の不安定な天気とはうって変わってこの日は朝から快晴で、青空も見えていました。

こちらの道の駅はドッグランはないので、その周辺を散歩しました。 そんな感じで、ぐるっと廻ったら………

波と狛の朝ご飯の時間と相成ります。 彼女らが食べ終わったら………

私がモーニングをいただきますよ 道の駅の中にはレストランときんさんがあって、そのお店にはモーニングメニュー(こちらは630円のほう)が用意されています。 こちらで美味しく楽しく朝の活力を注入したら………

今回の旅の大本命の目的地となる、高取城跡に向かいますよ そのお城は、標高583.6mの高取山の山頂に築かれました。 麓から歩いていくと1時間以上もかかり、波と狛に厳しい山登りを強いるのは気の毒なので、できるだけ車で上れるところまで行くようにしました。 とはいっても、その山道は曲がりくねっているうえに幅が狭い 頼むから、対向車は来ないでくれ〜 とかなんとか言っているうちに………

お城の主要部の片隅に位置する、壺坂口郭の近くまで行き着くことができました。 このあたりには車を止められるスペースがあるのですけど、そのまた先は通行止めとなっているので、ここからは歩いていきます。 それから間もなくして………

壺坂口門跡に差し掛かりました。 そこで立派な石垣が、私たちを出迎えてくれました。 ………って、詩人的な表現というか、擬人化してしまいました。

そんな高取城の全体像は、こうなっています 最頂部に当たる二の丸跡本丸跡天守台などは目と鼻の先なのですけど、お城のスケールを実感しつつ皆さまにもその姿をお見せするためにも、山頂部の正面入口となる二ノ門跡まで廻りこみますよ さらにその近くには、ぜひ見ておきたい謎石もあるのですよ 有無を言わせないのですけど、波と狛も頑張って付いてきてくださいませ。 壺坂口門跡を通過してから、30分程かけて………

私たちは、二ノ門跡に到着しました ここから本丸跡までの標高差は110m、距離は872mもあるそうです。 かなり遠くまで来てしまいましたね。 引き返すのは大変なのですけど、その前に………

その手前にある猿石に癒してもらいましょう ※猿岩石ではありません。 この石は、高取城築城の際に石垣に転用するために飛鳥から運ばれたとも、郭内と城内の境目を示す「結界石」としたとの説もあるのですけど、真意は謎のままです。 それでも、このお顔は愛嬌があると思いませんか?
そんな猿石を前にして、このお城の説明をさせていただきます。 高取城は、南北朝時代の14世紀に越智邦澄によって築かれたのが最初とされています。 それから250年程後の天正12年(1584年)に筒井順慶によって修復され、さらに羽柴秀長の支配下となってから、本多利久が大改修をおこない、今日見られるような近世城郭となりました。 そんな高取城をARで再現すると………

こうなります 険しい山頂部に高い石垣を築き、さらにその上に白壁で本瓦葺の天守や櫓、門、塀などが建っておられる このような立派なお城が明治初期まで存在していたなんて、驚きです そうしたら、再びその主要部に迫っていきましょう。

足場は多少ゴツゴツしているのですけど、所々歩きやすいように整備されていました。 それからしばらくして「国見櫓跡」なるところを示す案内板があったので、登城道から外れたところにあるその地点まで行ってみました。

この段階で、波と狛は少々お疲れのご様子でした。 そんな彼女らの向こうに見えた景色は………

素晴らしい眺望ですよ 高取の街並みはもちろんのこと、橿原市街、大和三山や、さらには遠く大阪のビル群、生駒山、遠く比叡山まで見ることができました なんか、天下を取ったような気分です。

それから間もなくして、私たちは矢場門跡まで来ました。 この山城っぽい感じは、なかなかいいですね。

さらに、ゴツゴツしたところなどを通っていったら………

大手門跡に行き着きました ここからいよいよお城の主要部に入ります。 さらに二の丸の入口となる十三間多聞跡を経たら………

太鼓櫓新櫓の石垣に行き当たりました。 高くて立派なのですけど、これまでに見てきた石垣のように苔むしてはいません。 それもそのハズ、こちらは昭和47年(1972年)に修復されたので。 その向こうに本丸跡があるのですけど………

そこに至る途中に、このような案内熊がいました ご覧の通り、見事な木彫りなのですけど、サングラス姿が強烈です それは誰かの落とし物だと思うのですけど、よく似合っています。

そんなサングラス熊が案内する本丸の虎口は幾重にも折れ曲がっていて、城内では際立って堅固な造りとなっています。

また、天守の土台となる天守台は高さが12mもあって、城内で最大の高さを誇っています。 その上に上ってみたら………

またしても狛が下を覗き込んでいました。 彼の勇気は認めるのですけど、どうか落ちないでください それはさておき、城内で最も高い場所となる天守台からの眺めは………

う〜む……… その真ん前とまわりにある木がジャマで、あまり良くありません。 位置的にも、国見櫓跡のほうが見晴らしがよかったですし。

あとは「これぞ高取城だ 」という場所で「高取城に行ってきました 」写真を撮って、引き上げるだけです。 城址碑の横に波と狛を座らせていたら、あとからやって来た登山者たちが「わぁ〜、カワイイ 」とか「大人しく座っていて、お利口さん 」のような声をかけてくださいました。 そんな彼らにも写真を撮っていただき、高取城でのミッションを終えました。 しかし、こちらのお城が私が思っていたよりも広く、見応えもあったので、予定していた時間をかなりオーバーしてしまいました。 そのあとは、宇陀市にある宇陀松山城跡に寄っていくつもりだったのですけど、そちらは時間と歩行距離を要するところでもあるのですよ。 しかも、波がかなり疲れている様子だったので、急遽予定を変更することにしました。 そのような流れで、私たちが次に立ち寄ったところは………

三重県亀山市にある、伊勢亀山城跡でした  中学校のグラウンドのフェンスに遮られているのですけど、高い石垣の上に白壁の多門櫓が見えるのが、亀山城であります。

この建物は、三重県では現地で唯一現存する城郭建築にございます。 ちなみに私がこちらのお城に来るのは、伊賀上野城と同じ11年ぶりとなります。 帰りの通り道からはあまり離れていなくて、歩行距離もあまり要しないので、今回の旅の最終目的地として、こちらを選びました。

伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に関実忠が若山の地に築いたのが最初と云われています。 のちに中世の亀山城は現在地に移され、天正18年(1590年)に岡本宗憲によって修築され、天守が設けられました。 さらに本多俊次が寛永16年(1639年)から大改修をおこない、今日見られる規模のお城となりました。

ところが、出雲の松江城主だった堀尾忠晴は、幕府から丹波の亀山城の天守を取り壊すように命じられたのに、間違えてこちらのお城のものをやってしまいました。 以後、天守は再建されませんでした。 それはさておき、今では伊勢亀山城のシンボルとなっている多門櫓は、無料で開放されているのですよ もちろん中に入っていき、皆さまにもその様子をお見せします。

この建物は、18世紀後半頃に建てられたと推定されています。 東西15.8m、南北10.9mの単層櫓で、屋根は入母屋造りの本瓦葺。 のちに壁を板張り、屋根は桟瓦葺などに改造されたのですけど、平成21年(2009年)からおこなわれた修理によって、創建時の姿に戻されました。 そんな伊勢亀山城を堪能したら、帰路に就きますよ

みえ川越インターチェンジからは伊勢湾岸自動車道に乗っていき、途中の刈谷ハイウェイオアシス(刈谷PA)で休憩したりして………

豊橋市まで戻って来ました。 自宅まであと少しなのですけど、その市内にあるびっくりドンキーで、今回はモーニングで注入したミニマムではないほうのチーズバーグディッシュのМ(1150円)を食べていきました。 そして、19時半ぐらいに無事に帰宅。  波、狛、お疲れ様でした。 それから、皆さまも長々と綴った旅日記を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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飛鳥の古墳と珍石(伊賀・大和路散策その3)

2024-11-02 02:58:03 | お出かけ

くぁwせdrftgyふじこlp、白黒茶々です。

前回の日記の流れから、今回は「ふっかつのじゅもん」を入力して日記を始めることになったのですけど、その暗号がネットスラングみたいになってしまいました。 いや、中には「『ゆるキャン△』で見たことがある 」という方もいらっしゃるかも知れません。 はい、これは志摩リン斉藤恵那とチャットでやり合っている中で彼女が発した、断末魔の声(書き込み)であります。 それはさておき、そのパスワードのおかげ(?)で、私・による飛鳥の里の散策回に無事に入り込むことができたので、そこから始めさせていただきます。 石舞台古墳の見学を終えた私は、肩の荷(波と狛)を降ろしてから、そこから近いといえなくもないところにある………

都塚古墳にやって来ました 現在は田畑に囲まれた静かな環境の中にあるこの古墳は、6世紀後半に造られた円墳または方墳であります。 毎年元旦に金鶏が鳴くと云われていることから、「金鳥塚」とも呼ばれています。 石室の入口は鉄柵で塞がれているのですけど………

その内部を覗き込むことはできます。 石室の中央には、見事な家形石棺が置かれていました。 その石室内からは、須恵器や鉄製品などが出土したそうです。 さらに私たちは、その地域にある………

◯◯石を訪れました Google Earthでたまたま見つけてからずっと気になっていたので、今回の訪問地に組み込みました。 画像と名前は自主規制で伏せてみたのですけど、皆さまの想像力が実物を超える恐れがあるので………

包み隠さずに見せることにしました はい、私たちが見に行ったのは、マラ石であります マラは魔羅、チ◯ポというか、いわゆる男性のシンボルのことで、誰が何の目的で立てたのか謎のままの珍石が、道端に伸びているのですよ 一応、子孫繁栄や農耕信仰に関係したものと推定されています。 それよりもよくよく考えてみたら、これはあくまでも◯ンポを模したアート(?)なので、隠すどころか皆さまに鑑賞することを勧めなければなりませんでした。 そんなマラ石を堪能してから………

私たちは高松塚古墳に向かいました 裏の細道を入っていったところにある小さな駐車場に車を止めて、歩いていきました。 私を含めた昭和世代には、その古墳のこのような姿が頭に残っているのですけど………

現在はこうなっています。 綺麗に復元・整備されているのですけど、ただの土盛りというか……… 高松塚古墳は、昭和47年(1972年)に発掘されました。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径は上段18m、下段23m、高さ5mの二段式の円墳です。 この古墳は極彩色の壁画で有名なのですけど、発見・発掘される前に南側の壁に穴を開けられ、副葬品の一部が盗掘されました。 石室は 非公開&封鎖して保存したのですけど、壁画にカビを生やしたり、修理中に器材で傷つけてしまったり、………と、保存方法でかなり悩まされたみたいです。 結局、石室は解体され、壁画は石から下地となっている漆喰ごと剥がされ、保管庫で大事に保存されています。 そんな高松塚古墳の近くには………

高松塚壁画館という施設が造られています。 こちらでは、壁画のレプリカを見ることができるのですよ ちなみに私は、亀形石造物、石舞台古墳との共通券(700円)で入りました。

しかもこちらの施設の中では、一部の展示物を除いて写真を撮ることができるのですよ そうしたら、それらの中で主立ったものを紹介いたします。

こちらは教科書などによく出てくる、西壁の女子群像にございます。 剥落や汚れで見づらくなったところなどを修正した一部復元模写の絵もあるのですけど、発掘・発見された時の姿を捉えた現状模写であります。

女子群像と同じ西壁に描かれた白虎の顔からは、愛嬌すら感じます。 それに、前者ともども見事な筆致で細かく描かれていて、わが国の美術・絵画史上優れた作品と評価されています。

あと、天井部の星宿図も見逃してはいけません 非公開の現物はいうまでもないのですけど、それらを忠実に模写した方たちのことも誉めなければなりません。 そんな高松塚古墳を見学したら………

やっぱりキトラ古墳も合わせて訪問しておかなければなりません 高松塚古墳と同時期の7世紀末から8世紀初頭頃に造られた円墳で、上段の直径は9.4m、下段の直径は13.8mの二段の構造です。 昭和58年(1983年)に発掘された際には、18個の凝灰岩の切石を組み上げられた石室と極彩色の壁画が発見されました。 こちらは高松塚古墳の反省からなのか、調査や保存のための取り外し作業は慎重におこなわれ、現在は良好な状態で保存されています。 石室が抜かれた古墳は綺麗に復元・整備されているのですけど、こちらもただの土盛りに見えてしまいます。

それはさておき、その近くに設けられたキトラ古墳壁画体験館四神の館には、模写された壁画などが展示されていて、キトラ古墳のことをより知ることができるのですよ しかも入場無料ときたもんだ ただし、私が訪れたのは閉館間際だったので、急ぎ足で見ていきます。

その館内には、原寸大のキトラ古墳の石室の模型が展示されています。 その壁や天井には壁画が模写されているので、これだけでも古墳について把握することができます。 それにしても、この時期の古墳の石室は切石を綺麗に組み上げているものの、内部はかなり狭い 棺が入ればいいという感じで、追葬などは想定されていないみたいです。 この他には、壁画の4面マルチ高精度映像や当時の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、古墳の発見から調査・研究を経て埋め戻しに至るまでのドキュメンタリー展示などがあったのですけど、写してきたのはコレだけです。

キトラ古墳の諸施設をあとにした私には、日没前にどうしても寄っていきたいところがありました。 それはどこかといいますと……… って、Google Earthやカーナビを見たりして迫っていったのですけど、車が入りにくいところにあるので、なかなか近付くことができません。 なので、やむなく最寄りのコイン精米機の駐車スペースに車を止めて、歩いていくことに。 そんな私たちが目にしたのは………

亀石でした 重さ10トンを超える花崗岩に亀のような顔が彫られていて、マラ石と同じように何のためにここにあるのか謎のままとなっています。

………といいつつも、亀が動いて西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているのですよ 今、泥沼化されたら困るので、どうかジッとしていてください。 そういえば亀石のちょっと手前には、車1台を止められるスペースと休憩場所、自動販売機が設けられていました。 これから亀石を訪れる方は、先着1組のその設備をご利用くださいませ。 ここに至るまで我ながら欲張りコースでしたけど、皆さまの応援(?)もあって、予定されていた立ち寄りスポットはすべて踏破することができました そうしたら、あとはお風呂と食事を済ませて、宿泊地に向かうだけです。 そのような流れで………

まずは明日香村健康福祉センター たちばな内にある、太子の湯に寄っていきました。 こちらは公共の浴場なのですけど、地元民ではなくても600円で利用することができます。 太子の湯で旅の汗を流して、広い湯船に浸かったら………

次はお食事の順番と相成ります 今回私が選んだお店は、看板は橿原ごはんや見瀬町食堂となっているのですけど、フジオフードシステムが関西を中心に展開する、まいどおおきに食堂にございます。 こちらはセルフサービス形式で、たくさんある料理やおかずの中から選んだものをお盆に乗せていき、会計を済ませてから席に就くシステムとなっています。 今回初めて利用することになった私は、どれも美味しそうで迷ってしまったのですけど………

鶏の唐揚げと茄子のみぞれ煮をメインにして、冷奴生卵マカロニサラダ、………などを取り集めました。 ちなみに合計1080円となりました。 それらを美味しくいただいたら、まだ19時ちょっと過ぎなのですけど、宿泊地に向かいますよ そのようにして行き着いたところは、まいどおおきに食堂から南に車で10分程行ったところにある………

道の駅吉野路大淀iセンターでした 宿泊地としてホテルや旅館を予想された方は、ハズレです。 今からこちらで車中泊をしますよ 道の駅としては小規模で、私たちと同じように車で寝ていく人はあまりいなかったのですけど、人里離れた静かな環境の中にあって、ゆっくり休めそうだったので、私はこちらを選びました。 それに、翌朝に向かう大本命の目的地へも近いですし。

そうしたら、あとは波と狛にご飯を食べさせてから、寝る支度をするだけです。 まだ19時台だったのですけど、欲張りコースで2万3000歩も歩いたこともあって、私はすぐに眠りに落ちました。 ということで、皆さまおやすみなさいませ。



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飛鳥の里にようこそ!(伊賀・大和路散策その2)

2024-10-30 00:52:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに三重県の伊賀上野城に来ています。 「伊賀文化産業城」とも呼ばれる模擬天守に上って、そのお城の見学を締めると思いきや………

まだ見どころが残っているので、もう少しお待ちくださいませ。 波と狛が立って、いや、座っているところは、城代屋敷の跡にございます。 模擬天守がある本丸より高いところにあって、かつては城主の住居や政務を執り行う場所となった御殿がありました。  またその一角には、寛永10年(1633年)頃まで、筒井氏の3層天守が存在していたそうです。 そのあと、私たちは………

お城の公園内にある、俳聖殿も見に行きました。 こちらの建物は、松尾芭蕉の生誕300年となる昭和17年(1942年)に建てられました。 芭蕉の旅姿をイメージした外観をしていて、その内部には………

等身大の大伊賀焼の「芭蕉坐像」が祀られています。 この像は、伊賀上野城の模擬天守を建てた川崎克氏の手によるものであります。 それから、俳聖殿は平成22年(2010年)に国の重要文化財に指定されました。

伊賀といえば、やっぱり忍者が名物となっていますよね 公園内には伊賀流忍者博物館の一部として、忍者屋敷こと下忍の居宅が移築されています。 さらに、その内部を見学することもできるのですよ しかも 建物は本物で、どんでん返しや隠し通路の入口、抜け穴などの仕掛けを、忍者姿のスタッフが案内してくれます。 ここまで話を広げておいて申し訳ないのですけど、開館が10時からとなっていて、さすがにそれまでは待てないので、今回は外から眺めてヨシとさせていただきます。

伊賀上野城をひと通り見終えた私たちは、再び車に乗り込んで次の目的地に向かいました。 名阪国道こと国道25号線を使ったりして50km程走っていき、行き着いたところは………

奈良県明日香村にある飛鳥寺さんでした。 こちらは推古天皇4年(596年)に創建された、日本最古の寺院であります さらに「飛鳥大佛」の石碑が示す通り、日本最古の仏像もあるのですよ 私はこちら方面に来たら、このお寺も見学したいとずっと思っていて、ようやく実現させることができました。

今からおよそ1400年前の6世紀末から7世紀にかけての約100年間、明日香村には都が置かれ、飛鳥時代の舞台となりました。 聖徳太子の「十七条の憲法」の制定、中大兄皇子中臣鎌足による「大化の改新」など、中央集権律令国家が築かれた「日本のはじまりの地」として知られています。 そんな飛鳥の里には、古い寺院や古墳、謎の石造物などが点在していて、見どころがたくさんあるのですよ 創建時の飛鳥寺は、3つの金堂五重塔を囲むようにして建ち、さらにそれらの外を回廊がめぐり、中門南門講堂などを備えた大伽藍でした。 その頃と比べると現在は小ぢんまりとしているのですけど、大仏様はあちらの本堂の中に据え置かれてます。 もちろん拝観料(350円)を払って、中に入っていきますよ

そうしたら、お逢いすることができました 推古天皇17年(609年)に造られた釈迦如来坐像で、高さは約3m。 この大仏様に、奈良市の東大寺の大仏ぐらいの大きさを期待してはいけません。 平安・鎌倉時代の火災による損傷を負いながらも、細部にわたり飛鳥彫刻の特徴をよく残しているので。 そんな飛鳥寺のすぐ近くには………

蘇我入鹿首塚があります。 これは、645年に起きた乙巳の変で殺害された、蘇我入鹿の首塚であります。 実際に中大兄皇子中臣鎌足らに討たれたのは飛鳥板蓋宮になるので、その殺害場所からは少し離れています。 ここから先は波と狛も連れていきたいので、車ごと移動します。 それは飛鳥寺からは近いといえなくもないエリアなのですけど、駐車場所を見つけるのに苦労しました。 万葉文化館の駐車場は混んでいたものの、なんとか止めることができたので………

その近くの亀形石造物なるものから見ていくことにしました。 こちらは 有料のゾーンなのですけど、ワンコと一緒に入ることができました。 亀のような形をした奇妙な石槽は、斉明天皇の時代に造られた祭祀の遺跡であります。

さらに、その裏の竹やぶの小丘を上ったところには………

酒船石があるのですよ こちらも祭祀の施設の一部で、先ほどの亀形石造物と連動していたとされていて、それらをひっくるめて「酒船石遺跡」と呼ばれています。 私は今からン十年前に大学で考古学を専修していて、その一環の見学ツアーで明日香村を訪れました。 その際に石舞台古墳と酒船石を見学したのですけど、後者のほうは「こんなところにあったっけ?」と思いました。 しかしよくよく考えてみたら、私がその時見たのは博物館の庭に造られたレプリカで、元祖というかホンモノの酒船石は実はこうだったのです そのあとは、そこから歩いていけなくもないところにある………

飛鳥宮跡まで行きました。 はい、「歩いていけなくも………」なんて言いつつも、歩いてきました。 飛鳥京跡は、6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた諸宮を中心とする複数の遺跡群からなる都市遺跡であります。 宮殿のほか、朝廷の支配拠点となる諸施設や、飛鳥が政治都市であったことに関わる祭祀施設生産施設流通施設などから構成されています。

 それらが存在した時期は、舒明天皇飛鳥岡本宮皇極天皇飛鳥板蓋宮の2期と、斉明天皇後飛鳥岡本宮天武持統天皇飛鳥浄御原宮の2つを合わせた3期に渡っていました。 ちなみに波と狛がいるのは、飛鳥宮の北東隅で発掘・復元された、石敷井戸にございます。 ということは、こちらは先述の蘇我入鹿が中大兄皇子らに殺られた飛鳥板蓋宮(伝)ということに そんな飛鳥宮跡を見学し終えた私たちは、再び車に乗り込み、新たなエリアに向かいました。 そのようにして、行き着いたところは………

石舞台古墳でした 洞穴や古墳の石室が好きな私にとっては最上級の場所で、いつか愛犬を連れ行ってみたいと思っていました。 それがついに実現するのですけど、焦らしというか、真っしぐらに突入するのもナンだったので、近くに設けられた展望台から古墳を見渡してから、行くことにしました。 そうしたら、歴史のアテンダントを担っている波と狛が、皆さまを石舞台古墳にいざないますよ

………って、なんじゃコリャ〜 私は波たちが門前払いされるようなことがないように、前もって石舞台古墳のワンコへの対応を念入りに調べていました。 そうしたら、飼い主さんが愛犬と一緒に現地レポートをするブログなどが多数出てきたので、こちらはワンコに理解のある観光地と認識していました。 後で調べたら、ほんの数ヶ月前にこの規制がかけられたそうです。
とはいっても、共通券を買ってあるので、諦めるワケにはいきません。 だからといって、今から波と狛を駐車場に止めてある車に連れ戻すのもイヤですし。 どうする茶々さん

ハァハァ……… 結局、波と狛を両脇に抱えて入っていくことにしたのですけど、暑くて重い 「1.抱っこでの入場は………」は、小型犬を想定していたに違いありません。 私が大変な状態なのですけど、ここでこの古墳の説明をさせていただきます。
石舞台古墳は7世紀初頭頃に造られた、全国で最大規模の方墳であります。 被葬者は蘇我馬子入鹿の祖父)と推定されています。 古墳ができた頃には、巨石を積んで造られた石室は盛り土で覆われていたのですけど、長い年月の間に失われました。

やっとのことで、その石室の内部にまで行き来ました。 総重量が2300トンにも及ぶ30数個の巨石で造られ、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、築造された当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。 あ、写真は波と狛を下に降ろしてから撮りました。 それにしても、天井も高いですね。

せっかくなので、石室の最深部から入口を撮ってみました。 内部を見学している間は、写っている案内役の方が親切丁寧に古墳の説明をしてくださいました。

再び波と狛を抱えて、石室の外へ。 疲れて彼女らを降ろしたところで1枚撮るぐらいだったら、許してもらえると思います。 たぶん、きっと。
私たちによる古(いにしえ)の都・飛鳥めぐりはだんだんとノッてきたところなのですけど、編集部がコンテニュー(保存用のパスワード)を勝手に入力してしまったので、皆さまには申し訳ないのですけど、ここで一旦終えざるを得ません。 お母ちゃんに「もう約束の時間は過ぎてるでしょ 」とか言われて、突然ゲーム機の電源を来られるよりはマシだと思うのですけど。 とにかく次回も、私たちに危険を及ぼす敵が出てこないロールプレイングゲームを続けさせていただきます。


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そうだ!あの山城に行こう(伊賀・大和路方面散策その1)

2024-10-26 02:59:20 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

今年は季節上は秋になっても、暑い日が続いていました。 それが10月下旬に入ったら急激に冷え込んだり、真夏日になったりと、気候がハッキリしないのですけど、皆さまは体調を崩したりされていないでしょうか? しかし、今回は暑いほうで安定していた9月中旬の話となります。 私には、以前から行きたいと思っていたお城がありました。 そこは日本三大山城の1つなのですけど、交通の便が悪いこともあって、なかなか訪れることができませんでした。 奈良県の山あいの標高583,9mの険しい山の上に築かれ、最寄りの私鉄の駅からは麓まで徒歩1時間。さらに山道を1時間あまりも登っていかなければならないので、ある意味難攻不落の城でもあります。 そんな◯◯城を車で行く方法をなにげなく調べてみたら、難なく近付けそうでしたよ さらにその方面に行くのなら、ついでに寄っていきたいところも続々と出てきて、その計画はトントン拍子に進んでいきました。 そして私は、三重県の伊賀地方を経て大和路になだれ込む「伊賀・大和路方面探訪計画」の行程表を書き上げました。 それには、もちろんにも付き合ってもらいますよ それは、私にとっては数少ない連休となる9月の15日と16日に実行することになりました。

………とはいっても、実際にはそのまた前日となる14日の土曜日の夜に出発していきました。 天気予報ではその日から15日にかけては雨の比率が多かったのですけど、目的地では「時々曇り」のところに当たることを期待して、計画を強行することにしました。 そのような勢いで、東名高速道路から伊勢湾岸自動車道に入っていき、まずは刈谷パーキングエリア(刈谷ハイウェイオアシス)で休憩していきました。 ところが、そこに着いた途端に雨が降ってきたので、記念写真は屋根の下で撮りました。 その後も土砂降りに遭ったりしつつ、高速道路を進んでいきました。

しかし、四日市ジャンクション(JCT)のあたりが分かりづらくて、南下する東名阪自動車道に行くべきところを、誤って西に続く新東名高速道路に入っていってしまいました。 いずれも標示が「大阪方面」となっていたので、翻弄されてしまいました。 しかも16年落ちの私の車のカーナビでは、その道はまだ造られていなくて、その中では未開の山の中に進んでいました。 走りながらでは道を調べることもできないので、こうなったら最寄りのパーキングエリア(PA)まで行くしかありません。 そのようにして鈴鹿PAに行き着いたのですけど、その時の私にはそこの様子を撮る余裕はありませんでした。

それでも、そのまた先に引き返せるJCTがあって、そこを通っていけば多少遠回りになるものの、軌道修正ができるではありませんか そのようにして、私たちは本来目指すべき亀山インターチェンジに行き着くことができました。 さらに、そこから先は「名阪国道」と呼ばれる国道25号線に入っていきました。 そして………

日付をまたいだ15日の1時ちょっと前に、道の駅いがに到着しました 予定より早めに自宅を出発したのですけど、結果的に計画したのとほぼ同じ時刻にこちらに行き着きました。 そうしたら、今からここで車中泊をしますよ ということで、おやすみなさい。

皆さま、おはようございます 私たちが滞在していた道の駅いがで、夜が明けました。 空は鉛のような雲で覆われていて不安定極まりないのですけど、今のところ曇りの状態を保っています。 そのような中で、道の駅の周辺を散歩したら………

ドッグランに入りましょう こちらの道の駅には、このような施設も設置されているのですよ

前の日の雨で地面は濡れていたのですけど、使えないこともない こちらでの運動を終えたら………

の朝ご飯の時間と相成ります もうじき7時で、私もモーニングを食べたいのですけど、道の駅のレストランは8時からとなっていました。 そんなに待てないので………

伊賀といえば、忍者の里としても有名ですよね 無料で利用できる道の駅いがの休憩所には、それに肖ったトリックアートやオブジェが作られていました。 それらを眺めながら………

売店で買ってきたものをいただきましょう 手前の大きなおむすびは芭蕉さんの五目満腹おにぎりといって、お店のオリジナル商品みたいです。 伊賀は江戸時代の俳人の松尾芭蕉の出身地でもあるからなのか、彼の名前を冠しています。 そのおにぎりは握りたてで、まだホカホカしていて美味しかったです。 それに味噌汁コーヒーを付ければ、強力な朝食となりますよ それらを平らげたら、15km程離れたところにある、この日最初の目的地に向かいますよ

………ということで、たどり着きました 「上野城跡」と表記されているのは、伊賀上野城のことであります。 私がこのお城を訪れるのは、11年ぶりとなります。 その時は1人で列車に乗ってきたので、車を運転してきたのも、ワンコを連れてきたのも、今回が初めてとなります。 その本丸の西側には………

全国で高さの1、2位を競うほどの、30mにもなる石垣があるのですよ せっかくなので………

その上に来ました そこから下を覗き込むと足がすくむほどの高さなのですけど、自ら見に行くなんて狛は好奇心旺盛というか、チャレンジャーです
伊賀上野城は天正13年(1585年)に、伊賀盆地の小丘の上に筒井定次よって築かれたのが最初となります。 その後、この地方の新たな領主となった藤堂高虎は、大坂の豊臣方との決戦に備えるために、お城を大改築しました。 この高石垣は、その時に築かれたのですよ その伊賀上野城には、現在………

3層の木造の天守が聳えています。 藤堂高虎はこの天守台の上に5層の天守を建造したのですけど、完成間近となった頃に大暴風で倒壊。 やがて大坂の陣が終わったこともあって、以降は再建されませんでした。 それから300年もの時を経た昭和10年(1935年)に、この地方の代議士の川崎克氏が私財を投じて建てたのが、今日見られる天守なのですよ

彼は「伊賀文化産業城」と名付け、新たなお城を築いたとされているのですけど、実質的には史実とは異なる模擬建築となります。 それでも、内部を見学していきますよ

入ってすぐのところで、ご当地キャラのた伊賀ーくんが出迎えてくれました。 タイガーは藤堂高虎に肖っているのですけど、うまい具合に名前に伊賀を組み込んでいますね。 そういえば、コレとは別に伊賀市にはいが☆グリオなるキャラクターもいたような。

現在の天守は天守台いっぱいには建てられていないのですけど、3層天守にしては規模が大きめです。 それに初層は天井が高くて、柱も太くあらせられる

2階も、味があっていいですね 建てられてから90年にもなることもあって、建物には風格が漂っていました。

そして私は、最上階となる3階へ。 その天井は高級感のある格天井となっていて、その間には………

完成を祝って寄贈された色紙がハメ込まれています。 それらの中には、川崎氏と親交があった横山大観「満月」の絵もあるのですけど、違うものを撮ってきてしまいました。

それはさておき、その最上階の窓からは伊賀の市街地はもちろんのこと、伊賀盆地を囲むまわりの山々も眺めることができます。 このあと、私たちはちょっと離れた次の目的地に向かうのですけど、キリがいいのでここで一旦仕切らせていただきます。



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夏の終わりを惜しむ?犬キャン△

2024-10-23 02:30:22 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

すでに気付いている方もいらっしゃるかも知れませんけど、私が地元でキャンプをする際には、その前には必ずと言っていい程どこかに立ち寄っていきます。 それは、自宅からそのキャンプ場に直行すると、日常を引きずったままになりそうなので、近場でも構わないのでどこかに出かけた感を味わいつつ、キャンプに突入したいからなのです。 ただし、今回は名所旧跡とはちょっと違う戦争遺跡でしたけど。 それはさておき、前回の日記の終盤から………

私は波と狛を伴って、湖西市にあるヒュッゲ湖西市民キャンプ場に来ています 諸事情で先月と2ヶ月連続で同じところを利用することになったのですけど、今回はオート(ペット)サイトを確保しました。 そこでテントなどを設営し、お昼を食べて、「めんつゆひとり飯」談義を済ませたら………

オリエンテーションというか、近くを散策しましょう とはいっても、こちらでは定番のコースとなっている茶屋松拱渠ですけど。

こちらは、明治時代に東海道本線の土手に開けられたレンガ張りのミニトンネルなのですけど、霊的な怖さはなく、肝試しには使えそうにありません。 それならば、この拱渠を題材として殺人事件を伴った話を作って、まことしやかに流布すれば、新たな心霊スポットになるかも。 しかし、そのようなことになったら、近くの住人や毎日通り抜けしている方々には迷惑ですよね。

それはさておき、散歩から帰ってきたら夕暮れ時になっていたので、にご飯を食べさせましょう。 そのあとは、私のほうの晩ご飯の支度に取り掛かりますよ

夏といえば、やっぱり焼肉ですよね かなり前のキャンプでは、肉を焼きながら食べる一人焼き肉をやったことがあるのですけど、今回はフライパンで焼いたものをお皿に盛って食べるスタイルにしました。 タレ要らずの味付き肉にしたのですけど、油が出る出る &飛ぶ飛ぶ そうしているうちに………

キャンプ飯が揃いましたよ 日記のタイトルにもなっている通りで、今回は「夏の終わりを惜しむ」というテーマに則って、今年最後になりそうなそうめんにしました。 めんつゆの使い道は、単純にそのつけ汁にしたのでした。 それと、焼き肉はプルコギで、それにビールを付ければ最強のメニューとなります 実は、そのビールがノンアルコールなのにはワケがあったのです。 それは………

その前に、向こうの山に夕日が沈むところを見ておきましょう。 時刻は17時54分。 これからだんだんと、日没の時間が早まっていくのですよね。 話はもとに戻って、今回私がノンアルビールにした理由は………

その日の夜は自宅の近くの集会所で常会(会合)があったので、キャンプ場を一旦抜け出して参加しました。 そういえば、じゅんいちダビッドソンさん「じゅんダビの遊火メシ!」という静岡県のラジオ番組で、「今回はキャンプの途中で出てきた」という回があったような。 とにかく、それが終わったら非日常の空間に戻ります。

………ということで、再びヒュッゲ湖西市民キャンプ場です この日は私たち以外にも1組の家族がキャンプをしていたのですけど、夕方には撤収していき、貸切状態となりました。 日月キャンプは体力的に少々キツいので、その日程で組む人は少ないのかも知れません。 そのぶん余裕を持って予約ができるので、利点はあります。 それから、寂しいとか怖いとかいうことはないので、どうかご心配なく。

翌朝は3時半ぐらいから行動を始めました。 その頃に近くを通った寝台夜行列車のサンライズ瀬戸・出雲の撮影に、今回初めて成功しました とはいっても、説明がなかったらコレは何を写したものかわからないかも。

それはさておき、まずは簡単に朝食を済ませましょう 毎回そのメニューはほぼ変わらないのですけど、今回はくるみパンにしました。

その次の朝散歩は、やはり茶屋松拱渠を折り返すところから始めました。 時刻は5時15分。 その頃には、なんとかモバイルライトに頼らなくても撮れる明るさになっていました。

そのあとは、キャンプ場の横を通っていき………

こちらも定番のコースですけど、私たちは妙立寺さんに行き着きました。 ここまで来たら、石段を上がってお寺の境内まで行きますよ

妙立寺さんは日蓮宗の寺院で、本堂からは和尚さんの読経の声が聴こえてきました。 宗派がウチと一緒ということもあって、法事の際にあげたお経と同じでした。

朝の散歩から帰ってきました。 前回は奥のほうのフリーサイトに設営したのですけど、今回は手前でよりトイレに近いオート(ペット)サイトとなります。

そのあとは、波と狛の朝ご飯の時間と相成ります それから間もなくして………

近くの土手に、始発列車が通っていきました 真っ暗闇で私がサンライズ瀬戸・出雲を見たところは、こうなっていたのですよ。 その列車を見送ったら………

今回の参加者全員を集めて、お約束の「キャンプに行ってきました 」写真を撮りますよ その儀式(?)を終えて、撤収に入ろうとしていたら………

ようやくキャンプ場に日が出てきました 今回は全日程が晴天に恵まれたので、よかったです。 そして「キャンプに行って………」から48分後には………

すべてが片付きました 夜との寒暖差がほとんどなかったこともあって、テントは露付きをしていなくて、そのまま袋に仕舞うことができました。 私の影のポーズがなんとなく不自然なところは、お気になさらず。 7時までには帰宅したので、出勤する前の箔母さんたつぴに逢うことができました。 そういう私もキャンプ道具を片付けて身支度をしてから、平常通りに職場に赴きました。


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戦争遺跡を探訪したあとは………

2024-10-19 00:35:36 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに豊橋市内の戦争遺跡を巡っています。 その余興というか、ユタカ自動車学校ユタカ合体ロボの擬似装着体験をしたあとには………

またしても寄り道というか、話が少しそれるのですけど、私たちは「負けヒロインが多すぎる!」八奈見杏菜(CV: 遠野ひかる)や温水和彦(CV: 梅田修一朗)らが通っていて、その作品の舞台となるツワブキ高校 ………のモデルとなった、愛知県立時習館高校の前を通っていきました。 できたらアニメによく出てくる東門や、その学校の最寄り駅となる愛知大学前駅を撮りたかったのですけど、そのためにはちゃんとした駐車場に車を止めておいてから、それらの前まで歩いていかなければなりません。 なので、この画像だけでカンベンしてください。 そんなツワブキ高校、いや、時習館高校をやり過ごして、私たちが行き着いたところは………

向山緑地公園でした。 桜のお花見や、手軽に世界一周気分を味わえる向山大池公園から近いところにあるのですけど、私たちがこちらを訪れるのは今回が初めてとなります。 現在この場所は梅の名所でもあって、遊具なども設けられていて、市民の憩いの場となっているのですけど………

にゃあ〜、こんな大事なところでカメラ機能を勝手にやめたらイカン 確かにこの日は暑くて、スマホカメラが悲鳴を上げるのはムリもないのですけど、もう少し堪えてください。

………なんてことを言いながら歩いていったら、「獨立工兵第四聯隊(連隊)碑」なる石碑が見えてきました。 向山緑地公園のある場所は、戦時中は独立工兵の連隊本部が置かれたところで、工兵隊の作業場もありました。 その連隊は、マレー作戦やビルマ戦線に参加しました。 また、その石碑の先には………

平和の塔が建てられています。 日清戦争以後の幾度かの戦いに、祖国の勝利と繁栄を信じて尊い生命を捧げられた戦没者と、空襲などによる犠牲者を追悼し、ひたすら世界の恒久平和を祈願し、再び戦争の惨禍を繰り返さないように平和への祈りを込め、終戦20周年となる昭和40年(1965年)に、広く市民の協力を集めて建立されました。 その南側には………

訓練用のトーチカが遺されています。 さらにその上に「豊橋工兵隊の跡」と刻まれた石碑が建てられているのが、なんとも。 トーチカは重厚なコンクリート製の防御施設で………

その裏側に扉があるのですけど、厳重に施錠されています。 それでも「内部がどうなっているのか気になって仕方がない」という好奇心旺盛なそこのアナタのためにも、なんとかして覗いてみます。 外側に開けられている銃眼からは、暗くて何も見えない。

………というところなのですけど、強力なストロボを備えたデジカメで撮ったら、しっかりと写っていました 中は意外と広くて、霊的なイヤな感じもありませんでした。 そんな戦争の痕跡がある向山緑地公園をあとにした私たちは、家で荷物を積んだり、スーパーで食材を買ったりしてから………

波狛日記ではすっかりお馴染みとなっている、私の地元にあるヒュッゲ湖西市民キャンプ場にやって来ました 今からこちらで、犬キャン△をやりますよ ちなみに今回予約したのは、オート(ペット)サイトにございます。 木柵で仕切られ、流しと電源が備え付けられていて、使用料は3000円(+施設利用料1人200円)と、かなり良心的な価格設定となっています。 現在の時刻は12時38分。 これから設営を始めますよ それから46分後には………

こうなりました 大きなテントは母屋で、その手前のやや小さめのテントはタープの役割りをするところとなります。

落ち着くところができたら、簡単にお昼を済ませましょう 甘いホイップあんぱんと一緒に、ちょっと辛いカレーメシを汗をかきながら食べて、コーラで流し込むという組み合わせは、夏場に向いていると思いませんか? それらを平らげたら………

テントの中でキャンプ読書をしたりして、ゆったりまったりとした時間を過ごしましょう ちなみに今回持ってきたのは、「めんつゆひとり飯」の2巻です。 静岡県出身の瀬戸口みづきさん原作の漫画で、最近実写ドラマの第2弾が始まりました。 そのドラマでは、特に面堂露鞘師里保)と保ケ辺勉加治将樹)がハマり役で、私のイメージ通りでした。 ドラマは原作に忠実で、再現度もかなり高いときたもんだ

「ラクでいい、ラクがいい。ラクしかしたくない 」をモットーとした「めんつゆ」こと面堂露は基本的に面倒臭がり屋で、万能調味料のめんつゆから簡単で手軽に作れる料理を編み出していきます。

1人で作っていたら単調になるからなのか、料理をする際にはイマジナリー十越いりこさん山口まゆ)が出てきて、かけ合いをするのですよね。 番組では、めんつゆ料理のレシピも紹介してくれるのですけど、私がキャンプ飯に使えそうなものはなかなか見つかりません。 2巻だけでは資料が少ないのでしょうか? あ、でも、次回の波狛日記では、オーソドックスにめんつゆを使ったキャンプ飯を作ります。



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続・豊橋の戦争遺跡

2024-10-16 00:18:16 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

終戦から80年となる来年を前にして、新聞で戦争遺跡について採り挙げられるようになりました。 戦時中に造られた戦闘機の格納庫や実験施設、トーチカ、防空壕、………などは全国に点在していたのですけど、老朽化や管理の問題などがあって、人知れず失われることが多々ありました。 時が経つと戦争の記憶も薄れていくのですけど、歴史から学び過去の教訓とするためにも、戦争の証人となる戦争遺跡はできるだけ遺していかなければなりません。 隣町の豊橋市には現在でも見学できるようなところがいくつかあって、私は今年の夏に訪問しました。 しかし、その時に気になっていながらも取りこぼしたところがあったので、9月になってから第2弾を組むことにしました。 そんな9月8日の朝に、私が最初に向かった場所は………

COFFEE SHOP ハッピーさんでした 話の流れを無視して戦争遺跡ではないのですけど、こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ こちらのお店は以前にも訪れたことがあるのですけど、その時は閉まっていたので、店名を伏せてモザイクをかけざるを得ませんでした。 今回画像も名前も出したのは、無事に入れたからですよ

これは私がお店を出る頃に撮ったので空いているのですけど、やや小ぢんまりとした店内は、常連と思われるお客で賑わっていました。 そうしたら、注文するメニューを決めましょう

とはいっても、モーニングはレギュラーの1択だけなのですけど。 なので、メインとなるドリンク類を選びます。 それにしても400円〜500円なんて、リーズナブルですね。

モーニング以外のフードメニューも、安いうえに充実していました。 それらの名前を読み上げていくだけで、ヨダレが出そうになります。 それは、お腹が空いているからなのかも。 とにかく、今回私が決めたのは………

ウインナーコーヒーでした コーヒーとの値段の差はほとんどなく、久しぶりに飲みたくなったので。 ところで、ウインナーコーヒーのことをコーヒーにウインナーが浮かんでいると本気で思っている人はいるのでしょうか? さらに、そんなコーヒーを飲んでみたいという珍客も存在するのでしょうか?
それよりも、すでに気付いた方もいらっしゃるかも知れませんけど、ハッピーさんのモーニングには味噌汁が付いてくるのですよ また、その相方となるトーストもかなり厚いときたもんだ そんな味噌汁モーニングを美味しくいただいたら………

一瞬、寄り道してもいいでしょうか? ハッピーさんの近くにはガストがあるのですけど、実はこちらのお店は「負けヒロインが多すぎる!」にも出てきたのですよ 第1話で八奈見杏菜(CV: 遠野ひかる)が幼なじみにフラれたところで、その場にたまたま居合わせた温水和彦(CV: 梅田修一朗)は、八奈見ちゃんの飲食代を立て替えることに。 そんな彼女らには、今度はハッピーさんに来てもらいたいですね。 話は変わって、そのガストから車で10分、距離にしたら2kmほど東南に行ったところには………

王ヶ崎東公園という細長い形の公園があります。 松の木などが立ち並んでいるその中央のあたりには………

門柱のようなものや記念碑、コンクリート製の小屋がありました そうしたら、せっかくなので………

まずはそれらの前で、記念撮影をしておきましょう それが済んだら………

小屋の中にも入っておかなければ これは、前回の日記にも出てきた豊橋公園の前にある廠舎と同じみたいですね。

レンガ貼りの門柱は重厚感があるのですけど、それに掲げられている木の看板の文字は消えていて読み取ることはできません。

記念碑には「騎兵第26聯隊(連隊)跡」と記されていました。 豊橋市はかつては「軍都」とも呼ばれていて、戦時中はこのような軍事施設が市内に多数存在していました。 また記念碑の文字は、この施設の連隊長(中佐)で、戦後は競馬の騎手から調教師にもなった松井麻之助氏によるものです。 さらに、そこから歩いて7分、距離にして400m程のところには………

ユタカ自動車学校の豊橋校があります。 その駐車場の植え込みの中には………

騎兵第二十五連隊跡」と刻まれた石碑があるのですよ 小ぢんまりとしていて、植え込みが今より茂っていたら、誰にも気付かれないようになりそうです。 それに、連隊についての説明書きみたいなものも、見当たりませんし。 それでも、私たちが来たことを示すために………

こちらでも、波狛写真を撮っておきましょう 戦時中は軍馬に関わる施設があった場所が、今は自動車の免許を取得するところとして使われているなんて、因縁のようなものを感じます。 私は今からこちらで教習を受けるというワケではなく、教習所の卒業生でもないのですけど、その中にズカズカと入っていきました。 実はその建物内には………

波狛日記の映画情報にも出てきたユタカ合体ロボの顔出しパネルが設置されているのですよ 私はどう見ても教習所の関係者ではなかったのですけど、教官と思われる方が「写真を撮りましょうか?」と、声をかけてくださいました。 そんな彼にお願いして写したのが………

こちらになります 惜しくも目隠し処理をしていますけど、見事に撮れていますよ しかし今思うと、彼には私がブロガーかインフルエンサーに見えていたのかも知れません。 そのような人にちょっと手を貸して、ユタカ自動車学校のことを広めてもらえたら、万々歳ではないか ………と。 私はそんな彼の策略にハマったというか、手の中で転がされていたというか。 そうとわかっていても、広めずにはいられないのですよ それが私こと白黒茶々のサガなので。
それはさておき、次回は豊橋市の戦争遺跡をもう1ヶ所紹介させていただきます。


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「負けヒロインが多すぎる!」の聖地・豊橋

2024-10-12 08:17:14 | 探求シリーズ

こんばんは、白黒茶々です。

自分の地元がアニメなどの舞台やモデル地、聖地になったら、嬉しいですよね 馴染みがあったり見覚えのある風景がテレビに出て、さらにそこで登場人物が何らかのエピソードを作ったら、それは架空の出来事では済まないようになります。 さらに、全国からその作品のファンがやって来て、今まで何のとりとめもなかった場所が聖地として崇められることに 私の地元ではないのですけど、隣町で行動圏にもなっている豊橋市が、最近そのような理由で脚光を浴びるようになりました。 その作品は何かといいますと………

「負けヒロインが多すぎる! (略して『マケイン』)」であります 豊橋市出身の雨森たきびさんのライトノベルの小説が原作となっていて、キャラクターデザインはいみぎむるさん そんな「マケイン」が、今年の夏にアニメ化され、全国で放送されました。 私のいる地域のテレビではやっていなかったのですけど、今ではABEMAなどのアプリで観ることができるのですよね。

ライトノベル好きの達観系ぼっち・温水和彦(CV: 梅田修一朗)は、ある日偶然クラスの人気女子・八奈見杏菜(CV: 遠野ひかる)が幼馴染の男子生徒に振られている現場を目撃してしまいます。 その後も立て続けに、陸上部の焼塩檸檬(CV: 若山詩音)、文芸部の小鞠知花(CV: 寺澤百花)という負け感漂う女子たちと関わりを持つことに。 負けヒロイン=マケインたちになぜか絡まれる温水の謎の青春が、ここに幕を開ける そんな「マケイン」の舞台となる豊橋市がどれくらい盛り上がっているのか気になったので………

9月1日の日曜日に、豊橋駅にやって来ましたよ 列車に乗ってきたような感じになっていますけど、実際には車を近くの駐車場に止めてきています。 この日は台風が通過したばかりで、雨が降ったりやんだりと、天気は不安定だったのですけど、駅の周辺ならアーケードや建物の庇の下に避難できるということで、も巻き込んで強行しました。 ちなみにこのあたりの景色は、「マケイン」 のオープニングにも描かれています。 そう、 豊橋といえば………

市内を走る路面電車も知られていて、「マケイン」にも出てきました。 もちろん、温水君も乗っていますよ そんな豊橋駅を起点にして、最初に向かったところは………

広小路通りの入口付近にある、かつての安藤動物園の跡地を示す標柱でした。 このあたりには、波狛日記の人物伝でも採り挙げた安藤政次郎さんが明治32年(1899年)に私費で創設した動物園があったのですよ

その場所に、私は初めてウチの動物を連れてきました。 さすがに「マケイン」には出てこないのですけど、その流れを受け継いだ豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)はその作品に何回か登場しました。 その向かいには………

精文館書店の豊橋本店があります。 こちらのお店は温水君がよく本を買いに来るところで、「マケイン」にも出てきます。 さらにその店内には、「マケイン」の特設コーナーや登場人物のパネルなどがあるのですけど、私はワンコを連れていたので入って確認することはできませんでした。

それはさておき、そのお店の横に連なっているときわ通りというアーケード街には、八奈見ちゃん、檸檬さん、小鞠ちゃんのタペストリーが掲げられていました。

そうしたら、今度は豊橋駅の南側を散策しますよ 向かいの建物の上にあるスペースシャトルはインパクトありありで、「マケイン」ではオープニングで一瞬飛び、初期のエンディングにも出てきました。 閉店したパチンコ屋のものなのですけど、今後もこのまま残しておいてもらいたいです。

次のスポットに向かう途中に、このようなものがいました 謎の生物のオブジェなのですけど、さすがにアニメには出てきませんでしたよ。 それよりも、さらにその先には………

水上ビルがあります こちらは昭和39年(1964年)から昭和42年(1967年)にかけて建てられた商業施設で、3群のビルが800mに渡って並んでいます。 建物はかなり古いのですけど、新たな店舗が入ったりして、現在でも活用されています。 「マケイン」にも描かれていて、八奈見ちゃんたちがその中のお店にカヌレを食べに来ていました。

そんな水上ビルの横には、橋の欄干のようなものが!「こんなところにあるのはおかしい」と思われた方がいらっしゃるかも知れませんけど、実はおかしいのはビルのほうなのですよ。 戦後の復興期を経た頃の豊橋にはビルを建てられる土地がなかったので、牟呂用水という川の上に水上ビルは造られました。 なので、欄干はその名残りとなります。 それよりも、ビルの説明をするために見えていた壁画をスルーしてしまったので、先ほどいた場所まで戻ります。 そこには………

巨大な八奈見杏菜ちゃんが描かれておられる 陽気で活発ながらも、食欲旺盛な八奈見ちゃん。 正確にはポスター状のものを貼っているのですけど、背景はビルに合わせてレンガのようにしてありました。 その次のビル群の壁には………

焼塩檸檬さんがいました 陸上部のエースで、常に日焼けしている焼塩さん。 ただし、焼塩という苗字は豊橋には多いというワケではありません。 さらにその向こうのビルには………

小鞠知花ちゃんの姿が 引っ込み思案で人付き合いがニガテなのに、文芸部の部長(のちに副部長に)を引き受けた小鞠ちゃん。 こちらは難なく撮れました。

それと、温水和彦君もいますね。 彼には読書以外にも、学校内の水を飲み歩くという珍趣味があります。 それよりも、中途半端なキメポーズが温水君らしいです。

あと、温水佳樹ちゃん(CV: 田中美海)も加えられていました。 彼女は言わずと知れた(?)温水君の妹で、彼への二人称は「お兄さま」。 そう、少々ブラコン気味でもあります。 水上ビルはおおよそ見終わったので、私たちはさらなる目的地を目指します そのようにして、車に乗って向かったところは………

豊橋公園でした この頃には小刻みに雨が降ったりやんだりするようになり、公園の入口に建っている、歩兵第18聯隊時代からある廠舎で雨宿りをしました。 ………って、その様子を写す私が濡れているのですけど。 とかなんとか言っているうちに雨がおさまってきたので、吉田城の本丸跡に向かいましょう 波狛日記では何回か触れたのですけど、豊橋公園のある場所はかつてそのお城の主要部だったところであります。

その北多聞跡の石垣は、改修工事中でした。 そこから急勾配で踏み幅も大きい石段を降りていくと、豊川の河辺に出られるのですけど、通行止めになっていました。 さらにお城のシンボルとなっている模擬鉄(くろがね)櫓を撮ろうとしていたら、またしてもザー とこられてしまいました。

なので、今度はその建物の入口で雨をしのぐことに。 模擬鉄櫓は普段は無料で開放されているのですけど、この日は閉鎖されていました。 しばらく動けそうにないので、最近手にしたばかりのマケインカメラをここで起動させてみましょう それは、スマホで撮ってきた画像に「マケイン」の登場人物を合成できる機能で………

普段は空堀なのに、台風の大雨で水堀の状態にとなっている本丸のお堀に小鞠ちゃんをハメたり………

こちらも台風の影響で増水している豊川に、焼塩さんをムリヤリ立たせたりしました。 我ながらヒドいことをしてしまいましたけど、なんとかコツを掴むことができました。 そうしたら………

まだ激しく雨が降っている中に、八奈見ちゃんと温水君を呼び起こしてみました 雨に打たれても、彼女らは決して表情を崩したりしないのですよね。 なんて遊んでいるうちに、外に出られる状態になったので………

吉田城の模擬鉄櫓をバックにしつつ、「マケイン」の主要なメンバー全員と一緒にバーチャル集合写真を撮っておきましょう アニメでは豊橋公園や吉田城は出てこなかったのですけど、続編が放送されたら、こちらを告白の場面にでも使ってもらいたいです。
………って、原作にそのようなくだりはあるのでしょうか?

それはさておき、今回の豊橋の「マケイン」巡りは豊橋市役所の前で締めることにしましょう。 こちらにも「マケイン」の八奈見ちゃんが大々的に掲げられていますね。 この日は見ることはできなかったのですけど、豊橋市は公用車にも「マケイン」のラッピングを施し、イタ車みたいにしたそうです。 そこからも、地元のテンションの高さを感じられます。 「マケイン」の放送や最初の配信は終わってしまったのですけど、聖地めぐりは余韻のあるあたりから本格化するのですよね。 そんな豊橋市に皆さまもお越しになって、「マケイン」の空気を味わってみてくださいませ。



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今度はビジターでハム観戦

2024-10-09 02:17:21 | 野球ネタ

こんばんは、白黒茶々です。

8月13日と14日に、白黒茶々家はエスコンフィールド北海道北海道日本ハムファイターズ千葉ロッテマリーンズの試合を観戦しました。 それから舌の根も乾かぬ18日の日曜日に、今度は京セラドーム大阪オリックスバファローズとの対戦を観に行くことになりました。 ………というよりは、しました 1週間以内に3試合なんて、我ながらハム濃度の濃い夏になりそうですね。 ホーム(本拠地)の試合は球場の演出などがファイターズびいきで、しかも同士のファンも多い それに加えてその試合に勝った場合は、ヒーローインタビューに複数の選手が呼ばれるなどの利点があります。 それに対してビジター(遠征先)の場合は、同じファンは少なめで肩身が狭いのですけど、そのぶん広い大地(?)で同士を見つけた時の喜びが大きくて、彼らとの結束力も強まるのですよね。 私はその両方の空気を味わいたくて、2兎、いや、3兎を追うことにしました。

そしていよいよその当日の早朝となりました とはいってもまだ日が出る前の4時38分。 の散歩やお世話を済ませたら、身支度をして出発します。 今回は空路ではなく線路を通っていくので、自宅の最寄りの駅から列車に乗っていき………

豊橋駅で乗り換えの合間に、一旦改札の外に出ました。 その頃は豊橋市を舞台としたアニメ「負けヒロインが多すぎる! 」が放送されていたこともあって、駅からして地元のテンションの高さを感じました。

さらにその1時間ほど後には、清洲城の前を通過 列車の車窓から、平成元年(1989年)に建てられた模擬天守を久しぶりに見ることができました。

そして11時ちょっと過ぎに、京セラドームの最寄り駅となるバファローズ……… の装飾がされた大正駅に行き着きました。 それから間もなくして………

京セラドームが見えてきましたよ 屋根付きの球場なので「雨でもいい」と言っておいたのに、この日は快晴を通り越して炎天下でした。 こちらにもオリジナルの選手グルメなどがあるのですけど………

エスコンフィールドの時ほど入れ込んでなくて、店に並ぶのもイヤだったので、ドームの近くのイオンモール内にあるマクドナルド(関西ではマクド)でお昼を食べていきました。 腹ごしらえをしたら………

ファイターズの応援スタイルに着替えて、「今から応援に行きます 」写真を撮りますよ 箔母さんはこの日は仕事だったので、今回のメンバーは私とたつぴの2人だけとなります。 その儀式(?)が終わったら、グッズショップなどを見たりしながら………

ドーム内に入りますよ 今回はレフト側外野席の一角を仕切ったビジター応援エリアなのですけど、前から2列目の観やすい席でした。

試合が始まる30分前にはスタメン(先発出場選手)の発表があって、応援席は盛り上がりました。 これまでファイターズ(この時は2位)は私たちが観た試合も含めてエスコンフィールドで2連勝したのですけど、ビジター先のバファローズ(この時は5位)戦には2連敗。 この日も負けたら下位のチームに3タテを喰らうことになるので、それだけは避けたいです。 そうしているうちに………

いよいよ試合が始まりました バファローズの先発は、山下舜平大投手 そのチームではエース級の選手なのですけど、昨季に腰を痛めてからは成績は芳しくなく、この試合では満を持しての登板となりました。 ちなみに彼の名前は、経済学者のヨーゼフ シュンペーター氏に由来しています。

対するファイターズの先発投手は、伊藤大海君 こちらもファイターズではエース級で、サムライジャパンのメンバーにも選出されたことがあります。 ウワサ通りで、この試合でも彼はロージンの粉を飛ばしまくっていました。

試合のほうは、2回表にバファローズの舜平大投手の制球が定まらず、味方のエラーもあって、ファイターズはノーアウト満塁に そこから犠牲フライで1点を先制しました しかしその直後に、バファローズのラオウ杉本裕太郎選手)のホームランで同点となりました。 その杉本選手は次の打席には3ランホームランを打ち、4対1とリードを広げました。

ファイターズの応援席は意気消沈しかけたのですけど、応援団の「イヤなことはとりあえず忘れましょう 次のファイターズの攻撃に期待しましょう 」という激励の言葉で、元気を取り戻しました。 そうしたらファイターズは1点を返して、2対4に ここから反撃開始です
ところが、その裏にバファローズの森友哉選手がホームランを打って、ファイターズの選手や監督だけではなく、ファンの期待も打ち砕き………

2対5のまま負けてしまいました。 「3タテだけは避けたかったのに………」応援席の雰囲気は悪く、たつぴは怒って出ていってしまいました。

こちらでも、試合後はドームの照明が落とされてファンがペンライトをかざす演出があったのですけど、素直に「きれい」と言う気分にはなれませんでした。

あ、それでも帰りに大阪駅でお土産を買っていくことは忘れませんでしたよ。はりくろーおじさんのチーズケーキを、たつぴは551蓬莱の豚まんを、それぞれ並んで調達していきました。

今思うと、私たちが観に行った試合の前日までバファローズに連敗して、イヤな流れだったこともあって、毎年陽気だった応援団には悲壮感が漂っていました。  応援席の空気も重く、私はそんな彼らと一緒になって「今日こそ勝てー ファイターズ」とか「気合いを入れろ ファイターズ」というコールをしてしまいました。 「現場はいつも気合いを入れて、一生懸命やっている。 そのようなコールは、選手も僕も傷つく」と新庄剛志監督が言ったことを報道で知って、私は反省しまいました。 勝ちたい気持ちは選手や監督も強くて、最善を尽くして挑んだ結果負けてしまったのなら、彼らを責めてはいけません。 私はもっと、彼らのことを信じてあげなければなりませんでした。

それでもファイターズはその後勢いを吹き返し、リーグ優勝こそはならなかったものの、75勝60敗8分けのパ・リーグでは2位で、今年のレギュラーシーズンを終えました。 これから日本シリーズ進出をかけてクライマックスシリーズに挑むので、ハム祭りはまだまだ続きます。
それにしても、今年のファイターズはマリーンズには6敗(勝ちは18)しかしていなくて、伊藤大海君の負けもたった5試合(勝ちは14)だけなのに、そのどちらにも当たってしまった私たちは稀有なファンなのかも知れません。


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エスコンフィールドでの勝利をお土産に

2024-10-05 03:15:10 | 野球ネタ

はむほー!白黒茶々です!

もう季節や風情の挨拶はすっ飛ばして、とにかく私は日記の冒頭からこう叫びたかったのです。 前々々々々回の日記で、私は家族と一緒にエスコンフィールド北海道(以降はエスコンFと略させていただきます)に北海道日本ハムファイターズの試合観戦をしに行って、目の前でそのチームが勝ったのでした。 ちなみに「はむほー 」は「かちほー 」の日本ハムバージョンみたいなもので「ファイターズが勝ったー バンザーイ を意味しています。 その試合が終わったばかりのグラウンドでは………

ファイターズの選手や監督、コーチたちが集まっていました。 今から、勝った際にのみおこなわれる一丁締めが始まります。 かなりのハイテンションで奈良間大己選手が音頭を取っているので、皆さまもお手を拝借してくださいませ では……… よぉ~、(パン! )

その次には、この試合で活躍した選手によるヒーローインタビューがあります。 そこでお立ち台に呼び出されたのは……… 8回1アウトまで6安打1失点と好投し、勝ち投手となった山﨑福也投手と、2回裏にスクイズを成功させた伏見寅威選手水野達稀選手の3人でした。 皆さまもこの3人を拍手でお迎えくださいませ
山﨑投手はインタビュアーに対して丁寧に対応していたのですけど、寅威さん(伏見選手)は「あの場面は自慢の打撃でキメたかったのですけど、監督からの指示があった」と答え、水野選手も「まさかのスクイズで、スゴく緊張した」と言って、観客の笑いを誘いました。 そんな爆笑ヒーローインタビューのあとには………

エスコンFの照明が落とされて、スタンドのファンたちがペンライトをかざしました。 その光景は綺麗で、幻想的でもありました。 そうそう、前々々々々回の日記の最後にスタンドから姿を消した箔母さんたつぴはどこへ行ったのかというと………

この球場の1塁側の内野席と外野席の境のあたりには、ファイターズライブフィールドという放送席があります。 そこでは土井悠平さんが実況、今成亮太さんが解説を担当してネットなどで中継しているのですけど、ファイターズが試合に勝った際には、その2人で巨大な黄金のビクトリーしゃけまるを持ち上げるのですよ 箔母さんとたつぴは片手サイズのビクトリーしゃけまるを持って、彼らのもとに駆けつけたのでした。 そこではお約束があって、土井さんと今成さんが「しゃけアップ 」と呼びかけたら、集まった観衆たちはコール&レスポンス方式で「ビクトリー 」と受けることになっています。 せっかくなので、パソコンやスマホの前の皆さまも、またファイターズ以外のプロ野球ファンの方々も、さらにはマリーンズのファンたちもご一緒に叫んでくださいませ では、しゃけアップ

ビクトリー ありがとうございます。 今までファイターズの試合をネット中継で観ていた私たちは、いつか本物のファイターズライブフィールドの前でしゃけアップをしたいと思っていました。 それがエスコンフィールドでの私たちにとって最終日となる第2戦目で叶えることができて、本当によかったです。 そういう私は、ライブフィールドがよく見える席からその様子を撮るチャンスを狙っていて、箔母さんたちはビクトリー しながら土井さんと今成さんをしっかりちゃっかり写してきていました。
※他球団のファンはともかくとして、この試合に負けたマリーンズ側にも「ビクトリー!」をやらせるなんて、アンタは鬼だ!(編集部涙)

勝利の余韻に浸ってから、私たちはエスコンFをあとにしました。 さらにシャトルバスと列車を乗り継いで、この日の宿となる………

エアターミナルホテルにたどり着きました。 こちらは、新千歳空港の中にあるホテルであります。 そうしたら、チェックインを済ませて………

客室に入りますよ 予約する段階に、空港の近くかアクセスのいいところで探していったら、こちらに行き着きました。 それにしても部屋は広めで、高級感も漂っていますね。 今の時刻は23時26分。 ホテルの宿泊客が利用できる大浴場はすでに閉まっているので、すぐに寝るしかありません。

皆さま、おはようございます 前日の夜に入れなかった大浴場は早朝からやっているので、私たちは朝風呂に浸かることにしました。 はい、その大浴場は空港内にある新千歳空港温泉のことにございます こちらはアメニティが充実していて、手ぶらでも利用することができます。 また、温泉は塩分を含むナトリウム塩化物泉で、入浴後の保温効果が高く、血液の循環を促進、切り傷・火傷・慢性皮膚病等虚弱児童、慢性婦人病等に有効。 さらに、美肌効果もあるそうです。
そんな空港温泉の露天風呂からは飛行機が見られるかも と思い、私が囲いの上から外を覗いてみたら……… 滑走路とは逆側だったみたいで、駐車場が広がっていました。 それはさておき、お風呂から出たら朝食と相成ります こちらのホテルの朝の朝食モーニングもビュッフェ形式なので………

お好きなものを食べられるぶんだけ、お取りくださいませ そうしたら、こうなりました。 我ながら和洋ごちゃ混ぜというか、さらにカレーもありますし。 とにかく、すべて美味しくいただいて、一部おかわりもしました。 モーニングで朝の活力を注入したら、荷物をまとめてチェックアウトをして………

こちらもまた空港内にあるお店で、お土産を買っていきます。 エスコンフィールド観戦旅行の最終日となる3日目は、どこにも寄らずに帰るだけの日程となっていました。 その空港の広場には巨大なクレヨンしんちゃんがあったので、各自職場などへのお土産を買いに回ったら、こちらの前に集合するようにしました。 存在感アリアリのしんちゃんがこちらにあるということは……… 彼は北海道出身なのでしょうか?
※違います!しんちゃんは埼玉県の春日部市出身&在住です。空港内に巨大な像(風船)があるのは、その頃に公開されたばかりの映画をPRするためだと思われます。(編集部注)

この日は空港の外に1歩も出ることなく飛行機に乗るのですけど、最終日になって快晴なんて……… ま、まあ、私たちを晴れやかに見送ってくれるということで。 それから間もなくして、10時30分発羽田行の飛行機が私たちを乗せて離陸していきました。

そういえば、8月15日のこの日は終戦記念日でした。 正午になったら、先の大戦の戦没者に黙祷を捧げたいのですけど、その時刻は羽田空港に着陸する寸前でした。 なので、私としては初めて上空で黙祷することになりました。 そこからは京急列車に乗っていき、13時頃に品川駅に到着。 朝食ビュッフェをがっつりいただいてきたこともあって、お腹はあまり空いていなかったのですけど、ここでいっておかないと食べるタイミングを外しそうだったので………

駅の中にある立ち食いそば屋で、軽く(?)冷やしかき揚げそばをすすっていきました。

それにしても、この日の東京は暑い 品川駅のホームも熱気に包まれていました。そのような中に、私たちが乗る新幹線が来ました。 ………って、撮るタイミングをハズしておられる

たつぴには「帰りの列車は豪華にいきたい」というポリシーがあって、グリーン車を手配してくれました。 実は私はこの時初めてその車両に乗ったのですよ ウワサ通りで、座席は高級感があってゆったりとしていて、終点まで座っていたくなりました。

車内販売はないので、駅のホームで買っておいたアイスを食べることにしましょう 新幹線でアイスを食べると、リッチな気分になれると思いませんか? やがて私たちは浜松駅に到着。 さらに在来線に乗り換えて、16時ぐらいに無事に帰宅しました。 そこで荷物を降ろしたら………

みんなで私の実家に行って、今夏が初盆となる父の送り火をしました。 1日ずれていたら、台風の影響で飛行機や新幹線が止まって帰ってこれないという事態に陥っていたので、こちらにも間に合ってよかったです。 その一方で、を含めたウチのワンニャンたちはどうしていたのかというと………

いい子にしていてくれたみたいです。 そんな彼女らを、エスコンFで買ってきたファイターズグッズと一緒に撮ってみました。 今回は連れていけなくて、旅行記の第1回と最終回しか出番がなかったのですけど、次回は……… スミマセン 時季的にはまだ真夏で、人間だけでのお出かけとなります。 皆さまはそれでもよろしかったら、お付き合いくださいませ。
それから、スマホの故障による連載の中断もあって、ただでさえ長い話がさらに間延びしてしまいましたけど、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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