波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

1Q79と家康のビフォーアフター

2019-02-27 01:27:54 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さんは昭和54年(1979年)には何をやっていたか覚えていらっしゃるでしょうか? なかには、まだ生まれてもいなかったという方もいらっしゃるかも知れませんね。 いずれにしても、その頃の時代背景を振り返るためにも、その年にあったことを抜粋させていただきます。
その年の1月に、江川卓選手をめぐる「空白の一日」事件が起こり、阪神と読売の特にファンの間に遺恨が残りました。4月からは、大山のぶ代さんが声優を勤めた先代の「ドラえもん」が放送開始。 7月には、やおきんがロングセラー商品となる「うまい棒」の発売を開始し、9月には日本の初代ジャイアントパンダでもあったランランが死亡しました。

さらにその年に浜松市博物館が開館し、今年で40周年になることから、昨年の12月には同施設で昭和54年(1979年)にスポットを当てた特別展がおこなわれました。 その頃に浜松市で青春時代を過ごした箔母さんを博物館に誘ったら、行く気満々に せっかくなので、たつぴも付いてきなさい。



ということで、やって来ましたよ 浜松市博物館……… ではないのですけど、駐車場に車を止めたら、その近くにある蜆塚遺跡を通って、博物館に行くような導線となっているのですよ。 こちらは縄文時代の遺跡なのですけど「縦穴式の住居がやけに新しいような………」と思われた方もいらっしゃるでしょう。これは、最近茅の屋根を葺き替えたばかりなのです。 忠実に復元された住居の、気になるその内部は……… 天井に火災報知器のセンサーが設置されていたのは見なかったことにしましょう。



前置きが長くなってしまいましたけど、今度こそ本当に浜松市博物館にたどり着きましたよ いきなり特別展に行くのもナン……… というよりは館内の順路に従って、常設展から観ていきます。



その展示室に入ってすぐのところには、巨大なナウマン像の骨格標本があって、この博物館のシンボル的存在となっています。



そのすぐ近くには、蜆塚遺跡から屈葬の常態で出土した人骨が展示してあるのですけど……… 白骨死体でもあり、なかにはショックを受ける方もいるかも知れないので、自主規制でモザイクを入れさせていただきました。



古墳時代に作られた馬形埴輪人物埴輪には、愛嬌すら感じますね。



さらに浜松城から出土した、本物のシャチホコのカケラも展示してありました。 これによって、そのお城には天守が存在したことが証明されたのですけど………



ここでシャチホコの説明をさせていただきます。 それはお城の天守や櫓などの屋根を飾るもので、炎を嫌って水を吐く性質があることから、火災よけの効果があるとされています。竜や虎のようなイカつい顔に、サカナの身体という姿が一般的なのですけど、カケラから復元されたシャチホコは、顔がのっぺりしているうえに出っ歯ときたもんだ さらに、鼻のつき方もヘンですし。なので浜松城には、ゆる~い部分もあるのですよ。



その展示室の真ん中にありましたよ 徳川家康のリアル「しかみ像」が。 その像は製作されてから、浜松市役所、浜松城天守門、………と、転々としていったのですけど、ようやくこの場所に落ち着いたみたいですね。ただし話の展開上、ここでネタばらしするワケにはいかないので、またしてもモザイクを入れさせていただきます。
※最近の箔波日記には、モザイクが多くないですか?(編集部注)



いつもにも増して前置きが長くなってしまいましたけど、いよいよ特別展の昭和54年の世界に入らせていただきます。 昭和54頃の浜松市は………



浜松城公園の現在は日本庭園となっているあたりに動物園があって………



昭和初期に造られた浜松市公会堂の建物を利用した児童館が、子供に人気で………



松菱百貨店が、西武百貨店とともに繁盛していました。 ただしこれらのものは、今回の展示にはありませんでした。



展示品の大半は写真のパネルだったのですけど、その時代の浜松に皆さまを誘います。



浜松市の玄関口でもある浜松駅は、昭和54年までは木造でした。 箔母さんは、今でもその駅舎のことをハッキリと覚えていると言っていました。



しかし、国鉄東海道線(今のJR)の列車が地上を走っていたことから、駅の近くの平田(なめだ)の踏切は閉じている時間が長く「開かずの踏切」とも呼ばれていました。 そのおかげで、その付近の道路はいつも混んでいたそうです。



そんな悩みも、昭和54年の鉄道の高架化によって万事解決 それに伴って駅舎も場所を移し、リニューアルしました。さらに昭和63年(1988年)にその隣接地に駅ビルが建てられ、現在に至ります。



市営浜松球場も、その年に建て替えられました。 ただし、収容人員は3万人となっていますけど、実際にはその半分程度です。



あと当時出回っていた、ステレオタイプのカセットレコーダーや………



その後大ヒットした、ゲームウォッチファミリーコンピューターなども見ることができました。
昭和どころか平成も終わろうとしているので、これらの風景はより遠くなっていくように感じますね。 そうしたら今見られるまわりの景色も、いずれは変わるかも知れないので、脳裏に焼き付けておくようにしたいですね。



話は変わって、ここからは「徳川家康像」の話をさせていただきます。 先ほど博物館で先送りしたことと大いに関係あるのですけど、事の発端は昨年の秋に岡崎公園でおこなわれた、サモスピによる紅葉狩りでのアルパパさんが発した一言からでした。彼は同公園にあるこの家康の石像を見て「本当にこんな姿になったのか?」と仰っていました。 「これは、家康が描かせた『しかみ像』を立体化させたもので………」と説明している間に、私は浜松にはもっとリアルな『しかみ像』があるということを思い出しました。 さらに、その数時間前の彼の姿を生々しく再現した像の存在も………

話は今から400年以上も前の、元亀3年(1572年)の12月にまでさかのぼります。 その頃、上洛を目指していた武田信玄は2万5千(諸説あり)の兵を率いて、西に進んでいました。浜松も通ったのですけど、徳川家康のいる浜松城には目もくれずに、そのまま兵を進めていきました。 そのことに腹を立てた家康は、織田の援軍を含めた1万1千(諸説あり)の軍で迎え撃ったのですけど………



前回の箔波日記に出てきた元城東照宮にある家康の銅像は、歴史家の磯田道史先生の監修によって、その出陣前の血気盛んな彼の姿を再現したものであります。 それだけではなく………



浜松城の模擬天守内には、その姿をよりリアルにした像(蝋人形?)があるのですよ これは、現在まで多数伝わる老年期の家康の肖像画から彼が若い時の姿を推定し、3D化したもので、二重まぶたに大きな瞳、それに引き締まった顔や体型は、男前と言ってもいいでしょう それだけではなく、浮き出た血管や毛穴までリアルに再現されているので、私はこの像のことを「毛穴家康像」と呼んでいます。



まず皆さんは、この家康の姿をよく覚えておいてください。
武田の大軍に半分以下の徳川軍が挑んでいったのは、無謀なようにも思えますけど、合戦の勝敗は決して兵の数で決まるとは限りません。 浜松城の北に広がる三方原台地を進んでいく武田軍が祝田坂を下っていくと推定した家康は、その背後から奇襲する作戦を立てました。 それは、武田軍に勝てる唯一の戦法でもあったのです。ところが、信玄は家康の動きを読んでいて、幾重にも軍が重なる「魚鱗の陣」の態勢で待ち構えていたのです いわゆる、ドラゴンクエストでいうところの「まわりこまれてしまった 」状態です。 これによって、世にいう「三方原の戦い」が始まりました。
あとには引けなくなった家康は、横一線に軍が平がる「鶴翼の陣」で斬り込んでいったのですけど……… 武田軍によって完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。 家臣の夏目吉信らが身代わりとなっている間に家康は敗走し、命からがら浜松城に帰りました。 その間に食い逃げをしたり、恐怖のあまり脱糞したり、………と、いろんな伝説ができたのですけど。さらに何を思ったのか、家康は城に絵師を呼び寄せて、敗戦直後の最も情けない自分の姿を描かせたのです。 その肖像画は蓬左文庫のある徳川美術館に伝わり、それを立体化かつリアルにしたのが………



先述した浜松市博物館にある、リアル「しかみ像」なのですよ 蒼白した顔は恐怖でひきつり、右手は震える足を抑え、左手で首が繋がっていることを確認しています。 戦の前の血気盛んな毛穴像とのギャップがあまりにも激しすぎて、同一人物とは思えない程です。いや、失礼ながらギャグ漫画の域と言ってものかも。
戦に惨敗した直後の極限状態の中でありながらも、家康は冷静さを取り戻し、彼にとってはどん底にいるときの姿を残すことによって、若気のいたりで大事な家臣や多くの兵を犠牲にしてしまったことを反省し、その後も自らを戒め教訓とするために、常にその「しかみ像」を傍らに置いていたそうです。

徳川家康といえば「タヌキおやじ」とか「ズル賢い」とか「織田信長豊臣秀吉の手柄に乗かった」とか、かなりイメージが悪いのですけど……… 彼はその三傑の中では幼少期から最も苦労し、敗戦から多くのことを学び、信長や秀吉の片腕となって働きました。そして何よりも、戦のない世の中を実現させた功績は大きいです。 徳川幕府に対しては賛否両論あるのですけど、260年以上も平和な時代が続き、その礎を築いた家康を、私は尊敬しています。 なので、彼の未来の姿でもある出世大名家康くんのことを少しでも誉めていただけると、嬉しいです。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「屈葬された縄文人の人骨を見たぐらいなら、夢に出てくる心配もない」とまだ余裕のある方は、こちらに投票してやってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヌートリアに逢いたい!」佐鳴湖編

2018-09-08 00:44:50 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
ヌートリアは、ネズミ目ヌートリア科に属する哺乳動物で、原産地は南米となります。



水辺に住んでいることから、沼狸などの別称があります。カピバラに似ていて、愛くるしい姿をしているのですけど、本来分布していない日本でも繁殖し、農作物への被害や在来の生態系の破壊を伴うことから、特定外来生物に指定され、駆除の対象となっています。
そのヌートリアが、最近は浜名湖を通り越して、伊場遺跡のすぐ近くを流れる堀留運河や、佐鳴湖でも目撃されたというのですよ も、そのヌーさんに逢ってみたい



………ということで、私たちは佐鳴湖にやって来ました 実は私がワンコを連れてこちらを訪れるのは数年ぶりで、波にとっては初めてとなります。外周が5,5kmもあってかなり広いのですけど、以前にも散策したことがある西岸から攻めていくようにします。



まずは、その湖岸を歩いていってみます。 なんかこの段階から、ヌートリアがいそうな気配がしていましたよ。 それから間もなくして………



私たちの目の前を、カニが横切りました。彼らは湖岸のすぐ近くに穴を掘って住んでいるみたいですね。そんな彼らに波ちゃも興味津々のご様子ですけど、それ以上近付いたら、ウケを狙ったワケではなくても「(ハサミで鼻を)挟まれた~ 」というギャグになってしまいますよ。



さすがに暑くなってきたので、園内にある「あづまや」でひと休み。 お波さん、ヨダレがスゴい……… って、危うく前回の日記の再現VTRになるところでした。 この波ちゃは後ろ足が真横に開いているのですけど、決してヨガのポーズを意識しているというワケではありませんよ。
ここまでは私の直感を頼りにして捜索してきたのですけど、ヌートリアはおろか、足跡や糞といった彼らの痕跡さえも見つかっていません。 なので、作戦を練り直すことにしましょう。佐鳴湖とはいってもあまりにも広いので、その全域を探し歩くのはさすがに厳しいです。それならば、多くの目撃情報がある場所を重点的に探せば、きっと見つかるハズです そのような流れで、私がはじき出した場所は……… 「あずまや」から約500m先の、佐鳴湖の西岸中央を西に入っていったところにある、根川湿地というところでした。



………ということで、やって来ましたよ こちらは人工的に造られた湿地帯で、葦などの植物が生育していて、佐鳴湖の水質浄化に一役買っているそうです。 さらにそこにはボードウォークも設置されているので、湿地の中心までグイグイと入っていくことができます。すると、そこで私は水面で動くものを見つけたのです
「あっ あれは………」
そこで、私たちが目にしたものは………



ミシシッピアカミミガメでした。いわゆるミドリガメが成長したもので、ヌートリアと同じ特定外来生物ではあるのですけど、本命とはあまりにもかけ離れています。 気を取り直して、湿地をくまなく探していったら………



今度は、ウシガエルがいました。それにしても、先ほどのカメより大きい ウシガエルは、食用としてアメリカから輸入されたという経緯があることから、食用ガエルとも呼ばれています。 私も小さい頃に、親に連れられて入った炉ばた焼きのお店で、このウシガエルのモモ肉の唐揚げを食べたことがあるのですよ。淡白で鶏肉に似ていて美味しかったのですけど、食べるところが少なかったことはよく覚えています。 あとで調べてみたら、ウシガエルまでもが日本在来の生態系を荒らす特定外来生物となっているというではありませんか なので、ミシシッピアカミミガメやウシガエルを捕獲された方は、再びもとの池や沼などに放したりしないで、うまく調理して食べるなりしてくださいませ。



そういえば、ヌートリアも食べられないこともないみたいで、実際に中国の広東料理にもあるそうです。 しかし、私がそのヌートリアを捕獲&精肉して、箔母さんに「晩御飯の食材にどうぞ」と差し出しても、喜んでもらえないと思います。
いや、今回は食べるつもりはありません とにかく、この日にひと目逢うことができるだけで充分です。その後も粘り強く探してみたのですけど、波のヌートリアセンサーは1度も作動しませんでした。



話の流れからとはいっても、食べる妄想をしたのがいけなかったのでしょうか? いや、私の作戦に問題があったのかも知れません。波の獲物センサー(名前が変わっているような………)という強力な装備がありながらも……… 彼女は、私が言うのもナンですけど、カワイイ顔をしていながらも野生的で、最近は猫の銀ちゃに闘いを挑んだり、私が止める間もなくセミを捕食したりするのですよ。 たぶん、前世は獣系の生き物だったと思われます。
※犬なので、現世も獣系なのでは?(編集部注)
しかし、この野獣ちゃんは狩猟願望はあるものの、スズメやハトを狙っても逃げられたり、銀姉さんには返り討ちに遭ったり、………と、戦闘には向いていません。 つい、波ちゃの弱点(?)まで暴露してしまいましたけど、いつか彼女とヌートリアのご対面が実現することを願っています。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 カニ料理ならOKという方は、こちらに投票してやってください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虫トークが止まらない!磐田市竜洋昆虫自然観察公園

2018-07-25 01:21:54 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
夏といえば、昆虫観察が盛んになる時季でもありますよね。特に最近は、哀川翔さんや、香川照之さんといった昆虫大好きタレントがその本性を表しつつあり……… いや、昆虫の魅力を熱く語ったりしています。 特に香川さんの昆虫愛はハンパではなく、彼はEテレで専門の番組「香川照之の虫すごいぜ!」を持ったり、「婚活」ならぬ「昆活」なるスローガンみたいなものを作って、若手タレントを巻き込んだり、………と、虫に関しては「香川さんって、こんなキャラクターだったっけ?」と思うほど、突っ走っています。
そういう私も実は、小さい頃は虫が好きで……… いや、今でも好きなのですけど、昔は草むらでバッタを追ったり、朝早くにクヌギの木に群がるカブトムシを捕まえに行ったり、ハチの巣にイタズラをして、彼らに追いかけられた上に逃げ遅れ、顔の形が変わるほど刺されたり、………と、虫と深く関わっていました。 そんな昆虫を手軽に観察することができる施設が、白黒茶々地方の近くの磐田市にあるのですよ 私はその存在を以前から知っていたのですけど、5月の末に波とそちら方面に行くついでがあったので、寄ってみることにしました。



………ということで、やって来ましたよ 磐田市竜洋昆虫自然観察公園に。こちらの施設は静岡県磐田市南部の、旧磐田郡竜洋町にあります。



駐車場を出たところからは自然林が続いていて、こちらでは昆虫を捕獲したり、観察したりすることができるようになっています。



その先に資料館があるのですけど、波ちゃと一緒に行けるのはここまでです。 ということで、彼女には車の中で待機していてもらって………



私はその屋内に入っていきました。そこには、いきなり「完全変態」とか「単為生殖」などといった、昆虫書き初めが貼られていました。 そして、その下には………



本物の昆虫がいました。まずは、カイコの幼虫にございます。私は昔、このカイコを飼ったことがあるのですよ 彼らは桑の葉っぱを食べて、その冷たくてつるつるした感触が心地よくて……… 私はイモムシの中では、このおカイコ様が一番好きです。
しかしカイコはその後、絹糸の原料となる繭の中でサナギになり、さらに成虫の白い蛾へと変化していくのですけど……… 羽根と口は退化していて飛ぶことも食べることもできず、ただ卵を生んで子孫に命を受け継がせることにその力を使い果たします。



次は、カブトムシの中でも「キング・オブ・カブトムシ」ともいうべき、ヘラクレスオオカブトにございます。 南米原産で、角の先からお尻までは170~180cmもあります。小さい頃は「虫博士」とも呼ばれていた私ですけど、こんなにも間近で見るのは、今回が初めてです。



こちらの大きなクワガタムシは、インドネシア・ジャワ島原産の、ダイオウヒラタクワガタであります。カブトムシの寿命は1年ほどなのですけど、クワガタムシは1年~3年にもなるそうです。それよりも、あのハサミに挟まれたらどうなるのでしょうか?指を切断しない程度の力だったら「いてててて!」ってやってみたいです。



こちらにいるのは、ベトナムオオムカデにございます。名前の通り、ベトナム産の巨大なムカデであります。その姿があまりにもショッキングな方もいらっしゃると思うので、自主規制でモザイク処理させていただきました。



クロゴキブリは、名前からしてその姿を載せるのはNGですよね? もし家の中で彼らと遭遇したとしても、瞬時に逃げられるか抹殺されてしまうので、このようにして飼育ケース越しにじっくりと観察できるのは、ある意味貴重です。



メキシカンレッドニータランチュラ……… いわゆる、手の平ほどの大きさの毒グモであります。 昆虫好きの「虫ガール」は、このようなタランチュラでも平気で手に乗せたりするのですけど、そんな彼女らに「カワイイから大丈夫だよ 」と促されたら、私も触ってみようかな?となるかも。しかし、どうしてもダメな方たちのためにも、タランチュラ君の姿は伏せさせていただきました。



これらの他にも、こちらにはたくさんの季節の昆虫がいるのですけど、それらにはこのような説明書きが添えられていました。スタッフの手書きで、じっくりと読んでみたら、蒲郡市の竹島水族館を彷彿させるほどの面白さというか、竹島水族館の昆虫バージョンというか……… とにかく、昆虫の魅力を引き立てていました。



シロモンオオサシガメなる昆虫は、要注意なのですね。 針のような口を突き刺して、相手の養分を吸い尽くして、シワシワにするなんて……… まるで「ドラゴンボール」の完全体になる前のセルみたいです。



2階には昆虫の標本が並べられていて、その中にはヤママユガがありました ヤママユガといえば、エーミールですよ わかりやすく言うと、昔中学校の教科書にへルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」という作品が出てきて、その話の中でヘッセの客人が少年の頃に蝶をコレクションした話をし出して………
彼の友人のエーミールという子がとんでもない模範少年で、ヘッセの客人(ここからは「私」とさせていただきます)が彼にコレクションの蝶の標本を見せたら、誉めるどころか難癖をつける始末。
そんなある日に「私」は、エーミールが激レアなヤママユガ(クジャクヤママユだったかも?)を手にしたというウワサを耳にしました。 「私」はそいつを一目見たくてエーミールの邸宅を訪れたのですけど、彼は不在でした。そのような中でヤママユガの標本を目にした「私」は、魔が差してそいつをポケットの中に突っ込んで帰ってきてしまいました。

その後、良心の呵責に苛まれた「私」は、損傷したヤママユガをエーミールに返して謝罪したのですけど、そんな「私」に彼が投げかけた言葉は………
「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」と。「私」が今まで集めたコレクションをすべて彼に譲ると言っても「結構だよ、君の集めた蝶はすべて知っている。それに、君がどんな風に蝶を扱っているのか、知ることができたさ」
一度起こした過ちは取り返せないという話だと思うのですけど、すべての事情を知っている「私」の母は、帰ってきた「私」に何も言わずにそっとしておいてくれました。そして部屋に戻った「私」は、標本の蝶を1つずつ取り出し、握りつぶしてしまいました。

「少年の日の思い出」は、インパクトのある中学校の教材ランキングでは、上位に入るほど衝撃的だった……… というか、この作品は中学生に向いているのでしょうか?



それらの他にも、有料ゾーンには昆虫が生息しやすいように森や草むら、小川などが整備されていて、そちらではキャッチ&リリース形式で、スタッフによる解説がありました。 ちなみにこれは、トンボの幼虫のヤゴの下アゴは小魚などを捕獲するのに適していて、これほど伸びるというものでした。ヤゴ、すごいぜ



今回、私が昆虫自然観察公園で触れた昆虫はほんの一部なのですけど、それだけでも追っていってみたら、奥が深かったです。 それに、ついつい虫と戯れた少年時代に戻ってしまいましたし。いや、今でも虫好きだということを、改めて実感しました。 さらに季節によってはまた違った虫が見られることでしょう。
そうしたら、最後に私から皆さんに虫クイズを出させていただきます。 虫書道の中にある「蟋蟀」と「螽斯」は、何と読むでしょうか?ヒントは、ともに秋に鳴く虫です。 5秒前、4、3、2、………



正解は、この通りであります 夏真っ盛りの今の時季は、セミが勢いよく鳴いていますけど、早く涼しくなって彼らのほうの鳴き声も聴きたいですね。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 ゴキブリを見たら、ロボコンのようなパニックに陥り、家中を破壊してしまうという方は、こちらに投票してやってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一前向きな名前の駅

2018-07-21 01:50:45 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
その駅は天竜浜名湖鉄道にあるのですけど、そのことを語る前フリとして、その鉄道の前身となる旧国鉄二俣線の話から入らせていただきます。



東京と大阪を結ぶ東海道本線は、昔から日本の重要なライフラインとなっていました。しかし、太平洋戦争が始まる気配が漂っていた頃に、艦砲射撃などで浜名湖の鉄橋が寸断されることを恐れて、そのバイパス線として山側を走る鉄道が計画されました。 そのコースの選定で紆余曲折あったのですけど、昭和15年(1 940年)に豊橋~新所原間は東海道本線に乗り入れ、さらに遠江二俣(現在の天竜二俣)を経て掛川に至る全線67.9Kmの国鉄二俣線が全線開通しました。その二俣線は、昭和62年(1 987年)に国鉄が民営化された際に経営が切り離され、第三セクターの天竜浜名湖鉄道(略して天浜線)として再出発しました。 それと同時に、湖西市内にある⚪⚪⚪という大きな工場の従業員の利便性を図るために、⚪⚪⚪前駅が新設されたのでした。



すぐにその駅を訪れたいのですけど、そうしたら今回の日記がすぐに終わってしまうので、もう少し焦らさせていただきます。
………ということで、私は豊橋駅にやって来ました。現在その駅には東海道線東海道新幹線飯田線といったJRの路線の他にも、名鉄線も乗り入れていて、それらは横一列に並んでいます。 その8番ホームまでが東海道線で、1 1 番ホームから東海道新幹線が割り当てられているのですけど、その間の9、10番ホームはどうなっているのでしょうか? まさか、魔法界に通じる秘密の空間とか………



いや、違います 実は豊橋駅には9、10番ホームに該当するホームがあるのですけど、それらの番号は割り振られていないうえに、関係者以外の立ち入りは禁止されています。 現在、ちょっと短めのその謎のホームは回送列車などの停留所などに使われているのですけど……… 勘のいい方はもうおわかりですよね?そうです こちらのホームは、旧国鉄二俣線で実際に使われていたものであります。
民営化にともなって、東海道線とカブる豊橋~新所原間は廃止されたのですけど、その名残がまだあったのですね。



二俣線の起点がわかったので、私は今度は新所原駅を訪れました。 そのうちの東海道線のほうの駅舎は最近建て替えられ、今風の橋上駅となっていました。その左端に、天浜線の新所原駅が併設されています。



その天浜線の車両は、第三セクターによくあるワンマンの1 両または2両のディーゼル機関車が使われています。 昨年はその沿線が、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の舞台となったことにあやかって、期間限定で直虎列車が走っていたのですど………



今年はかつて東海道線で主流だった緑とオレンジの、いわゆる「湘南カラー」に塗り替えられていました。 実は私はその列車にお世話になった世代であります。しかし、その頃のその車両にはまだエアコンが付いていなくて、夏は天井で扇風機が回っていて、冬は足元から暖気が出てくるのですけど、局所的に熱いうえにドアから冷たいすきま風が吹き込んで来たのですよ。 それから、トイレにはタンクがなくて……… とにかく、昭和の電車でした。



懐しさのあまり、つい話が脱線してしまいましたけど、このあたりで軌道修正させていただきます。 今回は「日本一前向きな名前の駅」の話でしたね。その⚪⚪⚪前駅は、始発駅の新所原駅の次のところにあります。本来なら、天浜線に乗ってその駅を訪れるところなのですけど、外部からその核心に迫りたいので、車で向かわせていただきます。
同じ湖西市内に住んでいながらも、実は私は今までに一度もその駅を見たことも行ったこともありませんでした。



え~と……… スマホの地図情報によると、このあたりに⚪⚪⚪前駅があるハズなのですけど……… 電話ボックスが立っているので、あの先っぽいですね。



あった ありました。単線の線路に沿ったその先に、築31 年の無人駅のホームが見えてきました。



ということで、波ちゃがその階段を上り詰めたところで、いよいよその駅の名前を発表いたします



その名はズバリ「アスモ前」であります アスモとは、この近くにある大きな工場のことで、おもに自動車のワイパーやパワーウインドウなどを動かす小型のモーターを製造しています。



その駅のすぐ近くに、アスモへの通用口が設けられていました。 しかし、そのまわりには何もなく、アスモの正門は逆方向なので、正確には「アスモ裏」なのですよね。
さらに今年の春に、アスモは自動車部品大手のデンソー(愛知県刈谷市)と事業統合し、デンソーのモーター事業部に組み込まれました。それは事実上の吸収合併で、社名もデンソーに変わりました。 それに伴って、駅名も「デンソー前」とするところなのですけど………



「アスモ前」は「明日も前」とも読むことができ、どんな困難なことがあっても明日も前を向いていくという、前向きな姿勢に通じています。なんか、元気付けられますね。
それにあやかって、「アスモ前」の名前が刻まれたキーホルダーも作られ、新所原駅などで販売されています。 「アスモ前」の名前は人気があったので、アスモがデンソーになっても、その駅名だけは残ったのでした。



そうしているうちに、1時間に1本しか来ない(上下線が行き交っているので、正確には30分おきなのですけど)貴重な列車が姿を現しました。 今回は波連れなので、乗り込みたい気持ちをグッと抑えていたのですけど………
乗客がみんな、こちらを見ていましたよ ホームでワンコと一緒に見送っていたのが、珍しかったのかも知れません。



天浜線の列車が走り去ったあと、私たちもアスモ前駅を出ていき、電話ボックスの向こうの草むらの中に消えていきました。 ………なんて怪奇的な表現をしてしまいましたけど、ちゃんと生きています。 アスモ、いや、足も付いていますし、はい。とにかく、草むら(駐車場)に止めてあった車に乗り込んで、帰っていきました。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 湘南カラーの列車にお世話になられた方は、こちらに投票してやってください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎパイでうな丼を作ろう!(蒲焼き編)

2018-02-28 01:17:16 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
皆さんは、NHK大河ドラマの「背5丼」……… ち、違うでしょ ウチのパソコンで「せごどん」を変換したら、怪しい丼(どんぶり)みたいな名前が出てきてしまいました。 何ですか?背5丼って。それでも、ネタになりそうなのでそのまま載せてしまいました。
※「せごどん」で意のままに一発変換できる器機は、多分ないと思うのですけど。(編集部注)
とにかく「西郷どん」のことにございます。そのドラマの中で、鈴木亮平さん演じる西郷吉之助(のちの隆盛)はウナギが大好物で、彼が川でウナギのつかみ取りをするシーンが多く観られます。 その当時は、日本にたくさんのウナギがいたのですね。 そのような中で………



最近、新聞にこのような衝撃的な記事が載りました。 養殖ウナギのもととなる稚魚のシラスウナギが、前年の同時期の100分の1しか獲れないなんて……… ただでさえ品薄で高価なウナギが、より手の届きにくい存在になってしまいそうです。そんな危機的状況の中で、私は考えました。「そうだ またあの企画をやってみよう」

その気になる企画とは……… って、すでに今回の日記のタイトルにも出ているので、バレバレですよね。そうです あのうなぎパイでうな丼を作るというのです。実は私は以前にも同じことをやっていて、当箔波日記のネタとして載せたことがあるのですよ しかも、1度ならず2度までも。 うなぎパイは、ウナギの産地の浜名湖や浜松の銘菓で、その地方にある春華堂が製造・販売しています。
………という流れで、今からうなぎパイを調達しに行くのですけど、ただ近くの店で買うだけではナンなので………



浜松市西区大久保町にある、うなぎパイファクトリーにやって来ました ちなみにこちらは、春華堂が運営している工場で、うなぎパイを製造している様子などを見学することができます。



その屋外には、移動カフェのうな君号うな君の像がありました。ちなみに、うな君は春華堂のオリジナルキャラクターで、うなぎパイ職人の見習いでもあります。彼が頭に巻いているウナギの鉢巻きにはなんと 人格、いや、鰻格があって、こいつはしばしば動いて人間語でしゃべったりするのですよ。
それはさておき、今から皆さんをうなぎパイファクトリーの屋内にご案内いたします。



入ってすぐのところには受付があり、そのすぐ横から見学コースが始まっています。 その覗き窓からは、うなぎパイを焼いている様子を見ることができるのですよ。



パリッと焼かれたうなぎパイには、ハケでガーリック入りの特製だれが塗られ………



その完成品は検査を経て、箱に詰められ出荷されます。 こちらの様子は、2階から観察できます。



さらに順路は、うなぎパイシアターに続きます。こちらでは、うな君と少女の案内で、生地からうなぎパイが完成するまでの工程を、わかりやすく解説してくれます。
その出口から、うなぎのトンネルを潜っていくと………



巨大うなぎパイとの撮影コーナーが待ち構えているのですよ ちなみにこちらのうなぎパイは、非売品にございます。



ファクトリーの欄干をよく見てみたら、うなぎの形をしていました。 その向かい側にはカフェがあり、そこではうなぎパイをアレンジしたスイーツなどを味わうことができます。
順路は、階段を降りていって再び1階に。そこには………



小椋佳さんが歌う「うなぎのじゅもん」のビデオが、振り付けつきで流れていました。気分が乗った方は、その場でお踊りくださいませ。
 うなぎの元気根気勇気本気~、うなぎ~ぱいぱいぱ~い。
数々の誘惑で、うなぎパイ食べたい欲に支配された状態で、工場見学を終えようとしたところに………



おみやげコーナーがあって、こちらでうなぎパイ関連の商品を買わせようという魂胆にございます。 うなぎパイにすっかり魅了されたら、両手が塞がるぐらいご購入くださいませ。



そういう私は、見学者用プレゼントのミニうなぎパイだけを持ち帰って……… 検証に使う量は、少しだけでいいので……… スミマセン。



うなぎパイ丼を作るには、うなぎパイの他に、ウナギのたれ、山椒少々と、ご飯を用意します。



まずはうなぎパイに付いている砂糖を、スプーンなどで可能な限り削ぎ落とし、さらに皿の上でウナギのたれを塗って………



オーブントースターで焼きます。 今回は3分ほどやってみました。これだけの時間があれば、先述の「うなぎのじゅもん」が踊れますよ。 しかも、フルバージョンで!待ちきれない方は、体を動かしながらお待ちくださいませ。



焼き上がったら、そいつを丼に盛ったご飯の上に乗せ、ウナギのたれと山椒を振りかけて完成となります。



気になるお味のほうは………
ふぉっ! うなぎパイのカリカリっとしたスナック感は抜けていないのですけど、ウナギのたれが必死になってうな丼の方向に向かわせようとしています。それに、山椒も助太刀していますし。
炭焼きレストランさわやかの看板商品のげんこつハンバーグは、ハンバーグをステーキに近付けようとして開発されたと云われています。 うなぎパイにはウナギの粉が練り込まれているので、私たちの努力と探究心で、よりうな丼に近付けるハズです。もしその夢が叶ったら、うなぎパイはウナギの救世主として崇められることでしょう。 それとは別に、箔波日記に何回か出てきた奥山の方広寺では、ウナギや肉類を使わなくてもうな丼の風味がする、その名もズバリ「精進うな丼」なるものが食べられるそうです。 私はうなぎパイ丼を究めつつも、そちらのうな丼にも近々手を、いや、口をつける所存にございます。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 うなぎパイ丼を食べたあとのデザートに、うなぎパイを所望される方は、こちらに投票してやってください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猪鼻湖に沈むお宝

2017-08-12 01:04:49 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
世の中はお盆休みに突入し、お子様や学生だけではなく、大半の大人の方もまとまった休暇を取られていることと思います。 さらに、終戦記念日も近いということで、今回は夏休みの自由研究というだけではなく、戦争と平和にも関わるネタを持ち込もうと思います。



ということで、私はとともに浜名湖の北側にやって参りました。 こちらは東名高速道路の三ヶ日インターチェンジに直結しているレイクサイドウェイの終点のあたりで、駐車場や売店も整っています。また景色もきれいで、箔と波の後方には浜名湖で唯一の無人島の礫島(つぶてじま)が見えます。こちらの島にはダイダラボッチ伝説があるのですけど、話すと長くなるので今回は割愛させていただきます。 また、島には船に乗らないと渡れないのですけど、安全面から上陸は禁止されているそうです。私は小さい頃から、いつかは礫島に行ってみたいと願い続けているというのに。



その浜名湖の奥は入り江となっていて、猪鼻湖という湖が広がっています。8月上旬には、こちらの湖上で三ヶ日花火大会がおこなわれ、2500発ほどの花火が打ち上げられるのですよ。こちらの花火は手筒花火とは違って、上から見ても横から見てもよろしいですね。



浜名湖と猪鼻湖の間には、赤い鉄橋と銀色の吊り橋が架かっています。ということで、私たちは今からそれらを仰ぎ見ながら、猪鼻湖神社というところを目指します。



そのあたりはマリンスポーツが盛んで、この日はクルーザーやマリンジェットなどが湖上を行き交っていました。 また、何人かの釣り人も糸を垂らしていましたよ。
さらにバーベキューを楽しむ団体もいたのですけど、その中のおばちゃんが「わぁ~懐かしい、これって昔のスピッツだよね?」と言ってきました。しかし、私は「ええ、まあ」としか答えられませんでした。なぜそこで「今でもスピッツですよ」と言えなかったのか?その時の私よ。



それはさておき、遠くのほうに私たちが目指している猪鼻湖神社が見えてきましたよ。 湖岸に沿って、赤い鉄橋の下を潜り、銀色の吊り橋を越えていったら………



小さな鳥居が姿を表しました。 猪鼻湖神社まであと少し………



と思いきや、私たちの前には岩場が立ちはだかっていました。 かなり足場が悪いのですけど、箔と波は乗り越えられるのでしょうか?………って、大丈夫みたいですね。 その難関(?)を乗り越えた、私たちの視線の先には………



猪鼻湖に突き出た巨岩の上に鎮座する、猪鼻湖神社がありました。 神橋と相まって、聖地感がありありですね。それに、まわりと合わせた景観も、いい感じですし。



まずは、岩場の上に建てられている神社の本殿を参拝し………



せっかくなので、その神橋の上で記念撮影をしておきましょう 猪鼻湖神社の創祀年代は不明なのですけど、古代からあったと思われます。また、こちらは天下泰平・家運隆昌・海上安全・五穀豊穣・縁結びの神様として有名とのことです。私はこのあたりを通る際には、この神社を対岸から見たことはあるのですけど、直接降り立ったのは今回が初めてとなります。



猪鼻湖神社にたどり着いたら、今回のミッションは終わり!というワケではありません。 実は、私たちがこちらに来たのには、もう1つの目的があったのですよ。浜名湖から猪鼻湖に入ってすぐのあたりは、深さが16mもあるそうです。さらにその湖底には、あるお宝かが沈んでいると云われています。



そのお宝とは、戦車のことであります 平成11年(1999年)に、地元に住んでいた大平安夫さん(享年81歳)が「戦時中に戦車を沈めた」と証言したことから、すべてが始まりました。 戦車は「四式中戦車チト」というもので、太平洋戦争末期に米軍に対抗する切り札として、旧日本軍によって2両が試作されたそうです。そのうちの1両は旧三ケ日町の戦車部隊にあったのですけど、終戦直後に秘匿のため浜名湖北部の猪鼻湖に沈められたと伝えられています。
それから幾らかの月日を経て、地元有志によって引き揚げを目的とした探査チームが結成され、そのことは地元紙にも掲載されました。 猪鼻湖の湖底に幻の戦車が沈んでいるなんて……… 私の冒険心というか、探究心も掻き立てられました。 しかし、資金難などの問題があって、決定的な成果を挙げられないままそのプロジェクトは霧散し、私もそのことを忘れつつありました。

それからさらに年月を経た今年の4月に、テレビ東京系の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」という番組で、猪鼻湖の戦車のことが採り挙げられたのです。 その番組は、「日本の秘境」と呼ばれているところを探険したり、開かずの金庫をこじ開けたり、………などなど、思わず引き込まれてしまうような内容となっております。 そんなテレビ局が本気で取り組んだら、猪鼻湖の戦車の件にもきっと新たな発見や動きがあるに違いありません。



まず番組スタッフは、現地となる猪鼻湖周辺に聞き込み調査に行きました。 すると、また新たな証言が続出 近くに住む90歳ぐらいの老人は、その戦車を沈めるのに直接携わったというではありませんか 四式中戦車チトは、試作機として2両造られたのですけど、そのうちの1両は終戦直後に米軍に回収されたのちに解体されてしまいました。「せっかく苦労して開発したのに、米軍に亡きものにされてなるものか 」ということで、彼らはその戦車を猪鼻湖に沈めることにしました。そうしたら、どのようにして沈めたのかというと……… 彼は戦車のエンジンをかけてから飛び降り、無人となったその戦車は自走して湖に向かっていったそうです。
さらに50~60代の男性は、中学生の頃に遠泳でそのあたりを泳いでいたら、戦車が沈んでいるのがハッキリと見えたというのです。しかも、彼らが指差した方向は、すべて一致しているではありませんか それらのことから、その場所に戦車が沈んでいることは間違いないと言ってもいいでしょう。

そうなったら、今度は湖底の戦車を調査&確認し、引き揚げにつなげたいですね。 番組はそこまで踏み込もうとしたのですけど……… 長い年月の間にみかん畑からの土砂や農薬が流れ込んだからなのか、戦車はそれらに埋まっているみたいで、見つけることはできませんでした。 また、掘り起こしたくても、湖水が濁ったら近くの漁猟にも影響が出てしまうので、難しいというのです。

今となっては、世界に1つしか存在しない幻の四式中戦車チト。私は決して戦争に興味があるというワケではないのですけど、その時代に実際に存在した兵器は、きっといろいろなことを語りかけてくれるハズです。 宮崎駿氏も「戦争は嫌いだけど、兵器は好き」と仰っていますし。できることなら引き揚げて、実物を見てみたいのですけど、沈んでいるあたりの湖上を眺めつつ、まだ見ぬその戦車に思いを馳せるのにも、ロマンがあると思います。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「今度は番組に、礫島の調査を依頼してみては?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きかんしゃトーマス号、再び

2017-07-26 01:28:05 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、大井川鐵道沿線の島田市北部の山あいにいます。 さらに前回の終盤にあった予告通り、期間限定でこちらの地域を走っているきかんしゃトーマス号の様子を、なるべく話を脱線させないようにしてお伝えします。



その前に、まずは「きかんしゃトーマス」について説明させていただきます。 正式なタイトルは「きかんしゃトーマスとなかまたち」といって、1984年からイギリスで始まった幼児向けの番組です。 イギリスのアイリッシュ海に浮かぶソドー島という架空の島に敷かれたノース・ウェスタン鉄道で働く、顔と意志を持った蒸気機関車や車両たちと、それに関わる人々を描いています。私が昔、甥っ子たちと観たトーマスは、鉄道のおもちゃを使って撮影されたもので………



登場人物は、セリフはあっても動かない人形だったりしました。その中でも、特にソドー島の鉄道の重役・局長のトップハム・ハット卿は、ある意味恐かったです。彼が登場して、泣き出す子供はいないのでしょうか?

その「きかんしゃトーマス」は最近、CGアニメになっていました。おもちゃに生を与えるようにして創られたものに慣れていた私にとっては、顔の動きなどが滑らかになったトーマスたちは、失礼ながら違和感ありありです。
そのトーマスが、大井川鐵道のほうで本物の蒸気機関車を使って再現し、走らせるという企画が3年前から始まり、4年目となった今年もおこなわれることになりました。 前の日記でも触れたのですけど、私は3年前にそのトーマス号を見に行ったことがあります。



それから時を経て、今年の運行開始の様子をニュースで観ていたら、再び生で見たくなってしまいました。 その間にスマホも換えたので、自分で撮影したトーマス号を待ち受け画面にもしたいですし。 それよりも、こちらの写真に写っているトップハム・ハット卿は、やけにリアルですね。本物なのでしょうか?
そのトーマス号は、始発駅の新金谷駅や、終着駅の千頭駅ではじっくりと観察することができ、それらの駅ではジェームス号ヒロ号といったトーマス号の仲間の機関車も合わせて見ることができます。 さらに転車台に乗せたり、来場客を楽しませるような催し物が用意されているのですけど、そのぶん混んでいてワンコを連れて行くのは厳しそうなので、3年前の前回と同じように、走っているトーマス号を沿道から見るようにします。

そうしたら、今回はどの場所から狙いましょうか?前もってさまざまな撮影スポットを吟味してみた結果、結局こちらも前回と同じところで落ち着きました。



………というワケで、やって来ましたよ 島田市川根町笹間渡にある、川根温泉ふれあいの泉に。こちらは日帰り温泉や温泉付きプール、コテージが併設されている道の駅であります。 さらにその隣には、川根温泉ホテルもあるのですよ。



ここはひとっ風呂浴びておきたいところなのですけど、暑い中で箔と波を連れているので、足湯に手を浸して「手湯 」と言ってヨシとしておきました。 川根温泉は湯量が豊富で、源泉かけ流しの天然温泉。泉質はナトリウムー塩化物温泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、疲労回復、健康増進、………などに効果があります。 また、溢れた温泉のお湯は目の前の大井川にも注がれているので、そこで水浴び、いや、お湯浴びをすることもできます。



温泉情緒はこのぐらいにしておいて、今回私たちが目指していたのは、その川根温泉からも臨むことのできる笹間渡の鉄橋こと、大井川第一橋梁であります。



大井川をまたぐこの鉄橋は、開放的で阻むものはなく、車両の全体像を見ることができるので、SLやトーマス号を撮るのに向いているのですよ。 それだけではなく、こちらでは列車のほうもスピードを緩めてくれるので、撮る側にとってもありがたいです。 すでにそこには、私と同じ目的の人たちが集まっていますね。トーマス号の通過予定時間まで、あと少し。鉄橋の向こう端に注目していたら………



きたきた、来ましたよ!
汽笛を鳴らしてきかんしゃトーマス号が姿を現しました



だんだん………



だんだんと迫ってまいりました!



うおおおぉ~~~!トーマスキターーー! \(^o^)/



おお~い (大井)
私たちに最接近したとき、客車の乗客たちは手を振ってきました。 土手でカメラを構えていた方たちも、手を振り返していますね。もちろん、私も手を大きく振って彼らを見送りましたよ。 久しぶりに見たトーマス号は、大迫力で愛嬌があって、子供だけではなく大人の私にもグッときました。
今回計画していたトーマス号の見学は、実はこれだけではないのですよ。 千頭駅に向かっていったその機関車が、約4時間後に引き返してくるのを、今度は違う場所から狙うというのです。 ちなみに、帰還してくる機関車のトーマス号を待ち構える場所として、今回私が選んだところは………



塩郷(しおごう)というところでした。こちらは大井川沿いに県道77号線と大井川鐵道がほぼ直線を並走していて、それらを跨ぐような形で塩郷の吊り橋が架かっています。 その橋を渡ったときのレポートは、次回の日記でお伝えすることにしておいて、その近くには………



無人駅の塩郷駅があります。こちらも3年前に来ているのですけど、やはりトーマス号がいい感じで迫ってくるので、今回も外すことはできませんでした。 ただし、こちらの駅は通過するだけではなくスピードを緩めるようなことはないので、先の撮影場所以上に失敗は許されませんよ。



トーマス号が姿を現すまであと数分。私はもう1度、そいつが来たときの手順を確認しました。 トーマス号が見えてきたら、まずはその姿をカメラで数枚撮影します。さらにいい具合に迫ってきたら、今度はスマホのカメラでも写しておきます。それらが済んだら、手を振りながら見送って、一丁上がり 迫力満点のトーマス写真は、待受画面にしたり自慢のネタにしたり、さらには箔母さんやたつぴにも転送したいですね。 私はカメラとスマホを撮影モードにしておいて、トーマス号がやって来るのを待ちました。



そうしたら3年前と同じように、何の前ぶれもなく迫ってきましたよ 駅に差し掛かる瞬間をカメラに納めることに成功。 それが済んだら、すかさずスマホで………

ところが、スマホのほうはどういうワケか通話履歴の画面になっていたではありませんか 
「あ、あ………」
私が取り乱している間に、トーマス号は勢いよく走り去っていってしまいました。 それだけではなく、その直後には道路のほうを、トーマスの仲間で人面バスのバーティーが通過 それに乗っている方たちは元気よく「お~い 」と手を振ってくれたのですけど、私は呆然としていて手を振り返すこともバーティーを写真に撮ることも忘れていました。



嗚呼、トーマス号が遠ざかっていく……… 最後の最後でしくじってしまいました。 無意識のうちにスマホのどこかのボタンを押していたのでしょうか?前半、いや、終盤間近までは順調だったのに……… 私は失意のままに帰路に就き、家に着いてからこれまでに収集したデータを確認してみました。 そうしたら………



トーマス号が塩郷駅に差し掛かる前にカメラで撮ったものに、いい具合でバーティーと仲良く並走している様子が写っていました。 こちらは私が写したこと自体覚えていないぐらいのものだったのですけど、いい1枚を残すことができました。
今回は3年前とほぼ同じ場所からトーマス号を狙ったのですけど、なぜか新鮮な光景に見えて、気分も高まりました。これは、トーマスの魔力によるものでしょうか? ただし、箔と波の反応はいたって普通で、トーマス号だからといってはしゃいだりはしませんでした。 それでも、人間の私にとってトーマス号は何回見ても飽きず、やはりスマホにその勇姿(?)を残したいので、私は近いうちにまたトーマス号目当てに川根路を訪れるかも知れません。 それまでには、新たな撮影スポットも見つけておきたいです。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「今度は生トップハム・ハット卿レポートを見てみたい」という方は、こちらに投票してやってください。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食糞の悩み

2017-07-12 00:18:32 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さまは問題や悩みを抱えていながらも、解決策がなかなか見つからずそのままズルズルと引きずったりしたことは、あるでしょうか? 実は私にもあります。いや、正確には私が飼っている犬の(※本ワンの名誉のために、名前は伏せさせていただきます )がある問題行動をするので……… 



とはいっても、すでに今回の日記のタイトルに出ているのでバレバレなのですけど。 とにかく、⚪んこなのですよ



話は、昨秋のDOG!フェスタ@アクトシティ浜松にまでさかのぼります。そのイベントの中で、愛犬救命訓練士の沙也佳先生によるワンコのしつけ講座がありました。 そこで彼女が「愛犬のしつけに関することで、何か聞きたいことはありますか?」と観衆に振ったら、「食糞をやめさせるには、どうしたらいいですか?」という質問がありました。そうそう、私も同じことを聞きたかったのですよ それに対して、沙也佳先生が出した答えは………
「ワンちゃんは飼い主さんの気を引くためにやっていると思うので、たとえ目の前で食べていたとしても大騒ぎしたりしないで、あえて無視してみてはいかがでしょうか?」
いや、そうじゃなくて……… 同じ食糞でも、ウチの場合はそのようなシチュエーションではないのですよ。 これから先はご飯がマズくなるような話になるので、お食事中の方は箸を置いて、さらに吐き気をもよおしたりしないように、念のために食べてから1時間はお空けくださいませ。



箔と波は……… あ、実名を明かしてしまいました。 いや、隠しきるのはどうやってもムリなので、こうなったらぶちまけてしまいましょう
彼らは、午後から私が夕方に帰宅するまでの数時間は、白黒茶々家の裏側にある柵などに囲まれたフリースペース……… いわゆる「箔波庭」で過ごしています。 こちらのスペースの地面は土や草なので、排泄もしたいときにできるようになっています。波ちゃは場所を問わず屋内のケージの中でもするのですけど、箔ちゃには屋外でしかしないというこだわりがあるみたいです。なので、彼にとって箔波庭は、トイレも兼ねているのですよ。

そんな彼らのう⚪こを、私は帰宅してから片付けるのですけど……… いつからか、1回ぶんの排泄にしてはやけに少なく、中途半端な断片だけが転がっているようになりました。 それだけではなく、箔の口の中もなんとなくうん⚪臭いし、あるときは歯の間に⚪んこのカスが付いていましたし……… 箔ちゃ、食べたな

これらのことによって、彼の食糞疑惑は確信へと変わったのですけど、その行為は私の目の届かないでやっているので、どう考えても私の反応を楽しんでいるとは思えません。 そうしたら、ご飯が足りなくて空腹に耐えきれなくてやむを得ずやったのでしょうか?いや、私が与えているのは適量で、これ以上増やしたら脂肪にしかなりませんし、う~む………

「対策を検討中」という名のほったらかしをしていたら、また新たな問題が起きてしまいました。 なんと、波まで真似してう⚪こを食べるようになってしまったのです 彼女の場合は、ケージの中で出したのを、私が片付けるのが遅れると喰い散らかすのです。そんなことをして、楽しいのでしょうか?美味しいのでしょうか?
ま、まあ確かに、それを見つけた際に私がつい「うん⚪~ 」とか「この⚪んこちゃん 」とか意味不明なことを言って騒いでしまうのも、悪いのですけど。 こちらのほうも、解決策を見つけられないままズルズルといってしまいました。

そんなある夜に、私は夢を見ました。 それは、愛犬家が一度は見てみたいと望んでいる(?)犬になる夢でした。しかも、私は箔になって箔波庭にいました。その傍らには、自分が出したであろう⚪んこが転がっていたのですけど、無視無視。
ところが体が勝手に動き、私の意思に反して先ほどのう⚪こに口を近付けていったのです 何の罰ゲームですか?頼むから、やめてくれ いや、夢なら何の問題もないから大丈夫。………と思いきや、夢のハズなのに口の中にうん⚪の臭いと感触と味がハッキリとしたではありませんか。 それはあまりにもリアル過ぎて、夢では説明しきれないぐらいでした。いや、これは……… 



昨年の映画「君の名は。」で流行った、夢で入れ替わるってヤツかも知れませんね。 もしそうだとしても、借り物の体で好き勝手にできるというワケではなく、半強制的に⚪んこを食………
と、とにかく、このようなことは二度とあったらイヤなので、早急に解決策を見つけますよ 私の真剣度は、劇的に変わりました。
………とはいっても、箔ちゃらに効きそうなものはなかなか見つからないまま、時間だけが過ぎていきました。

そのような状況の中で、もちたさんがある方法でレオ君の食糞を解決したというのです。 気になるその方法とは………



まずは、パイナップルを用意いたします。 まるごとでは捌くのが大変なので、今回私はパイン缶にしました。



せっかくなので、1口味見をば。んんっ! 甘味と酸味が効いていて、美味しいですね。 そうしたらもう1口、さらにもう1口……… は、いかんいかん!危うく本来の目的を忘れて、全部食べてしまうところでした。



そのパイナップルの一欠片を、ワンコのご飯に乗せます。



あとは、そいつを箔と波に与えるだけなのですけど、果たして彼らにとっては初めてとなるパイナップルを一緒に食べてくれるでしょうか?



おおっ、すんなりといったみたいですね。そうしたら、その後の経過を 見守ることにしましょう。
その数時間後に、パイナップルと一緒に消化&生成されたう⚪こが排泄され、それがワンコにとっては強烈にマズくて、もううん⚪を食べる気も失せるというのですけど、果たして………

はやる気持ちを抑え(?)つつ、箔と波を放したあとの箔波庭をチェックしてみたら、完全な状態の⚪んこが落ちていましたよ その後も同じようなものが何回か確認できたので、今回の実験、いや、対策は成功したと言ってもいいでしょう。
これでもう食糞に悩まされることも、夢で入れ替わって半強制的にう⚪こを食べさせられる恐れもないでしょう。パイナップル様、いや、貴重な情報をくださったもちたさん、ありがとうございました。

ところがその数週間後には、箔波庭に再び中途半端なうん⚪が見られるようになりました。 パイナップル効果によるマズい⚪んこの記憶がなくなった頃に、彼らは再び食糞に手(前足、いや、この場合は口ですよ )を染めたのでしょうか?これらのことから、やはりパイナップルは定期的に与えた方がいいみたいです。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「夢の中で⚪んこを食べる描写がリアル過ぎ!」で、オエッとなられた方は、こちらに投票してやってください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の堀江県

2016-12-24 01:01:32 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
年末に近付いているというのに、ここのところ12月にしては暖かい日が続いていますね。 ………というのは、私のいる地域のことで、北海道や東北、北陸地方では雪便りが聞かれるようになったそうです。 そのような状況のなかで、年末年始は故郷や実家で過ごすために、その準備をされている方もいらっしゃることと思います。やっぱり、生まれ育った場所っていいですよね。そんな皆さんのため(?)に、今回はある県の話をさせていただきます。



………ということで、私は箔や波とともに先月末にも取材に訪れた、浜松市の舘山寺にやって来ましたよ こちらは浜名湖の東に位置する内浦で、風光明媚なところでもあります。



そのすぐ近くに、市内屈指の高級温泉旅館の、ホテル九重があります。こちらはまわりの景色がきれいな上に、地元産の食材を使った料理も美味しく、さらに舘山寺温泉も素晴らしくて、三拍子揃っております。 ただし、今回はその宿泊レポートではなく………



ホテルの玄関近くには、「堀江城奥御殿の鬼瓦」なるものが飾られています。実はこの場所は、かつては県庁所在地だったのですよ。 ちなみに、その県の名前は……… って、もうおわかりですよね?そうです 今回の日記のタイトルにもなっている、堀江県であります。



話せば長くなるのですけど、とにかく今から650年ほど前にまでさかのぼります。 このあたりは室町時代中期頃から大澤氏の領地で、浜名湖に突き出た御陣山に堀江城を築き、本拠地にしていました。子供だけではなく、大の大人の絶叫もしばしば聞こえる、遊園地の浜名湖パルパルがある小高い丘が、堀江城の跡とされています。



16世紀後半に遠江に侵攻してきた徳川家康は、堀江城を攻めたのですけど、のちに和睦。大澤氏は徳川家に従うことになりました。 石高は5600石と、大名に認定される1万石には及ばない旗本でしたけど、吉良上野介と同じ高家(こうけ)の扱いでした。しかし、江戸時代初期に幕府から出された武家緒法度のなかの一国一城令により、堀江城はお城としての機能を失いました。その法令は、1つの国には1つのお城しか認めないというもので、少ない石高の大名や大澤氏のような旗本は、お城には住めなかったのです。
そんな彼らの住まいはどうなっていたのかというと、石垣や櫓などの防御機能が簡略化され、御殿などの居住空間がメインとなった「陣屋」という屋敷を構えていました。 なので、大澤氏は堀江城の一部を堀江陣屋として活用していました。


大澤基寿公

それからさらに時を経て、明治時代に入ってから大澤家は政府に、開墾によって10006石になったと申告しました。 それは、埋め立て計画地を含んでの申請だったのですけど、当時は政府が成立したばかりで混乱していたこともあって、ちゃんとした調査をしないで受理してしまいました。 その結果、明治元年(1868年)9月に大澤家は大名となり、堀江藩が成立しました。さらに明治4年(1871年)7月には廃藩置県によって、堀江県と相成りました。



これによって、浜名湖東岸に突き出す庄内半島とその付け根だけの、推定16平方キロメートルの超ミニ県が誕生しました。その際、藩主の大澤基寿(もとひさ)は堀江県の県令(初期の頃の知事の呼び名)に就任しました。



私たちは、浜松市西区庄内町にある宿蘆寺(しゅくろじ)にやって来ました。 こちらのお寺は大澤家の菩提寺でもあります。総門に続く道は「おんな城主直虎」で、柴咲コウさん演じる直虎(次郎法師)が、龍譚寺の南渓和尚を訪れるシーンに使われたそうです。 その門を潜り………



さらに石段を上っていったら………



立派な鐘楼や………



本堂が見えてきました。 こちらのお寺は、文正元年(1466年)に命天慶受和尚 によって創建されました。こちらの建物は、安永5年(1776年)に建立されたそうです。このあたりで、堀江県のその後の話をさせていただきます。
堀江県が成立した年の11月に政府の調査が入って、虚偽が発覚 内部告発という説もあるのですけど、それによって堀江県はわずか5ヶ月ほどで浜松県に編入され、消滅してしまいました。 この一連の騒動は、のちに「万石事件」と呼ばれるようになりました。さらに私たちは、お寺の境内のあるところを訪れたいのですけど、いくら探しても見当たりませんね。 あ、お寺の方ですか?○○って、どこにあるのか教えていただけないでしょうか?



そうしたら、お堂の間にある道を行くように案内してくださいました。こんなところに答えがあったなんて とにかく、行ってみましょう。 その先で、私たちが見たものは………



大澤家のお墓にございます。高家ということもあって、立派な石塔が立っていますね。



ただし、そのなかの1つは倒れたままになっているのですけど。
万石事件によって大澤家は華族に格下げされ、基寿は禁固1年。虚偽報告をした家臣は、平民にされたうえに禁固1年半の刑に処せられてしまいました。 そのおかげで基寿は困窮し、堀江陣屋の御殿や門を売却して、生活の足しにしました。



湖西市新所の法泉寺には、陣屋の門が現存しています。 ただし、基寿のお墓はこちらではなく、東京駒込の吉祥寺にあるそうです。



大澤家のお墓は、最近浜松市の史跡に指定されたのですけど、案内看板や説明板のようなものは設けられていませんでした。それでも、宿蘆寺の隣接地に造られた浜松メモリアルガーデンから入っていけば、見つけやすいです。

堀江県を吸収した浜松県は、さらにまわりの県と合併し、紆余曲折を経て現在の静岡県に落ち着きました。皆様が浜松の舘山寺方面や浜名湖ガーデンパークなどを訪れた際には、少しでも「昔、このあたりが堀江県だったのか」と思いを馳せていただけたら、嬉しいです。

にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「堀内健さんって、都道府県名みたいな響きがする」と常々感じられている方は、こちらに投票してやってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直虎ちゃんに逢いたい

2016-12-21 01:00:21 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
NHK大河ドラマの「真田丸」がついに終了し、バトンは来年1月から始まる「おんな城主直虎」に渡されました。 そのドラマの舞台となる浜松市では、盛り上げる準備が着々と進んでいます。 そのような中で、出世大名家康くんと対をなすように、出世法師直虎ちゃんなるキャラクターが生み出されました。



大河ドラマの主人公となる井伊直虎をモチーフにしていて、出家後の姿ということで頭巾をかぶっています。また「虎」ということで、耳や尻尾がくっついています。 それから頭巾の後頭部にも、虎柄の模様が付いているのですよ。 あと、手に持っているウナギは杖のように見えますけど、開運の気を振りまく「うなぎの思い槍」とのことです。



さらにその直虎ちゃんが3Dの着ぐるみ化され、出世大名家康くんと一緒に地域の行事などに顔を出すようになったのですよ ゆるキャラ好きの私は、そんな彼女と逢ってみたくなりました。 さらにその場に箔波ちゃも連れていって、ゆるさ倍増の写真を撮ってみたいのですけど、そのようなチャンスはあるのでしょうか?
………なんて思っていたら、ありました。直虎ちゃんは家康くんとともに、毎週日曜日の13時から浜松城の天守前広場でグリーティングをおこなっているというではありませんか これはぜひ行かなければ。



ということで、やって来ましたよ。浜松城に……… ではなく、正確にはそこに通じる道となります。 こちらのレンガ張りのトンネルは亀山トンネルといって………



今から52年前まで浜松市の中心部から北区引佐町奥山まで走っていた、軽便鉄道の軌道の跡であります。 サヨナラ列車と一緒に写っている半円形の建物は、今の浜松城公園の駐車場の位置にあった浜松市体育館ですね。そうしたら、軽便の元城駅はホテルコンコルド浜松のあたりでしょうか?



そのトンネルを抜けていき、10分ほど歩いていったら………



………って、あまり近くないような。 とにかく、浜松城の本丸跡に行き着きました。



さらに石段を上っていき、天守曲輪の入口に復元された天守門をくぐったら………



浜松城のシンボル的存在となっている、模擬天守がどど〜んと視界に飛び込んできました。



その天守前広場には、ギャラリーが続々と集まってきました。



箔と波も注視する(?)その先では………



寸劇というか、演舞がおこなわれるみたいですね。見たからに悪役っぽい彼らは、今川氏の臣下の朝比奈の手の者で、徳川家康の命を狙って浜松に来たみたいで「家康はどこじゃ~ 」と叫んでおりました。



家康?家康くんなら直虎ちゃんと一緒にこちらにいますけど、彼のことではないみたいですね。 いや、この家康くんを今回の舞台に引き込んだら、ゆる~い話になってしまうのでは



………なんて私が懸念していたら、「家康」を名乗る男が現れましたよ 一緒にいるのは、井伊直政、井伊直虎、井伊直政……… って、直政が2人



そうしているうちに、激しい殺陣が始まりました。 こちらのイケメンの銀髪(白髪?)の家康は、戦国BASARA系のビジュアル路線をいっていますね。



その家康と一緒に戦う女武者は直虎で、こちらもビジュアルを走っております。 「無防備な直親様を殺したこと、絶対に許さぬ 」というセリフは、次郎法師の想いが乗り移っているような迫力でした。



彼らと一緒に悪役に立ち向かっていったこちらの直政は、なんと、DaiichiーTVの柴田将平アナウンサーが演じているというではありませんか 彼はこの舞台に立つために殺陣を練習してきたみたいで、なかなかキマっていましたよ。

私もこのとき初めてその存在を知ったこちらの武者たちは、浜松徳川武将隊といって、今年の4月に直政にゆかりのある松下氏屋敷があった頭陀寺で結成されたそうです。 彼らの演舞は予定外だったのですけど、迫力満点で見応え充分でしたよ



そのあと、私たちにとってはお目当てだったゆるキャラとの撮影会がありました。しかも、今回は武将隊の皆さんだけではなく、直政に扮した柴田アナも一緒にその撮影に応じてくれるというではありませんか ちょっと遠慮して出遅れてしまいましたけど、私たちもその順番を待つ列に並びました。
ところが、豪華な記念撮影まであと2組……… というところで、思わぬことが起こってしまいました。

「途中で申し訳ないのですけど、家康くんは他の用事の時間が迫っていて、武将隊のほうは次の演舞の準備があるので、このあたりで引き揚げさせていただきます」
と言い出したのですよ あともう少しだったのに……… それでも「あとは、直虎ちゃんだけで対応させていただきます」ということで、まだ救いの道はありました。よく考えてみたら、今回私たちは直虎ちゃんを目当てに来たのでした。
私たちの番になったとき、アテンダントのお姉さんは「ほら直虎ちゃん、ふわふわで可愛いワンちゃんが来たよ」と、彼女に振りました。そうしたら、直虎ちゃんは「まあ、カワイイ 」というような感情を、体の動きだけで表現しました。実物はもちろんのこと、私はこのとき初めて動く彼女を見たのですけど、その動きは独特で見事に直虎ちゃんに命を吹き込んでいました。それに、テレがあって言いにくいのですけど……… 直虎ちゃん、カワイイです。



そして、その直虎ちゃんと一緒に写真に収まることができました。 ちょっと家康くんや武将隊に目移りしてしまいましたけど、結果的に彼女を独り(………と2頭)占めすることができて、本当によかったです。



それからもう1枚、こっそりと箔と波を入れることにも成功しました。 これだけでも大収穫なのですけど、もう1つ朗報がありました。先ほどの柴田アナが殺陣で奮闘したのを編集し、9日後にDaiichiーTVの「まるごと」の番組内でオンエアするというのです!もちろん、忘れずに観ますよ

そして、そのお待ちかねの日がやって参りました。 「まるごと」は夕方の番組なので、私は職場のテレビで観ていました。そうしているうちに、いよいよ柴田アナの出番となりました。一度見たあの動きが、テレビではどのようになっているのでしょうか?それから、ひょっとしたらその様子を見ている箔と波の姿も、映っているかも知れませんね ローカル放送ながらも、箔波ちゃがテレビデビューすることになったら……… 楽しさ倍増です。
………といういいところで、お客さんが来てしまいました。それでも、大丈夫です。 その日の「まるごと」は、自宅のほうで録画予約しておいたので。おかげで、帰宅してからその映像を観る楽しみも増えましたよ。

ところが、録画予約されていなかったのです。いや、正確には予約しておいたと思っていたら、してなかったのでした。 「そんな……… 」ダメージをダブルで受けてしまって、さすがの私もしばらく立ち直れませんでした。
私たちが見た、特別キャスト入りの演舞の放送は終わってしまったのですけど、新番組の「おんな城主直虎」が始まったら、直虎ちゃんの出番や露出する機会は増えると思います。 そんな彼女のことを、私たちは応援しています。皆さん、出世法師直虎ちゃんのことを、よろしくお願いいたします。箔や波と同様に、可愛がってあげてくださいませ。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「実は、白黒茶々さんも甲冑姿で殺陣をやってみたかったのでは?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする