波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

天空の?洲本城(讃岐・淡路方面二人旅その3)

2015-09-12 00:01:01 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
家族旅行から始まったお盆休みの一連の旅行記は、今回で最後となります。 いつものごとく長々と綴ってしまいましたけど、もう少しお付き合いしてくださいませ。
………ということで、話は私とたつぴが男二人旅の最後の目的地に向かうために朝早くに宿を出たところから、話を始めさせていただきます。 その日も、岡山駅前には………



桃太郎一行の像がありました。いや、正確にはさらに生身の鳩のお供も加わっていましたよ。 今から私たちはある島に向かうので、彼らにもぜひ同行してもらいたいのですけど……… 島とはいっても、鬼ヶ島ではないのですよ。強いていえば、竜宮城に近いものを見に行くのですけど。いや、それ以前に彼らと列車に乗れるのかどうか?というより、いろいろと問題が出てきそうなので、このあたりで妄想はやめておきます。
岡山駅から列車に乗って、2時間ちょっとで………



私たちは神戸市の三ノ宮駅に到着しました。 さらに、そのすぐ近くにある三ノ宮バスターミナルから神姫バスに乗っていき………



海路ではなく、陸路となる明石海峡大橋を渡っていきました。 その名前が出たら、もうおわかりですよね?そうです 私たちがその日目指していた島は、淡路島だったのです。 三ノ宮からそのバスに揺られること約1時間半で………



淡路島の中心でもある、洲本市の洲本バスセンターに到着しました。 ちなみにこちらまでの運賃は片道1850円、往復で3330円となります。時刻のほうは、11時をまわっているので………



まずはそのバスセンター内にあるレストランで、腹ごしらえをしておきましょう。 ちなみに、私たちが食べようとしているのは、ミートソーススパゲティーと酵母パンのセットにございます。これからちょっと体力勝負のところに行く予定なので、しっかりと準備をしておきますね。 その洲本市内からはどこからでも見えるのですけど………



三熊山の上には、洲本城というお城があります。 今から、そのお城を目指して山を登っていくのですよ。 カメラさん、わかりやすいようにもう少しアップしていただけますか?



はい、OKです。 高そうな山の上に立派な石垣が見え、さらにお城の建物っぽいものもありますね。その風貌は、今流行りの(?)「天空の城」のようです。これで、山頂付近にまで霧がたちこめていたら、カンペキです。
洲本城の前身となる城は、室町時代の末にはあったのですけど、天正13年(1585年)に入った脇坂安治によって大拡張され、現在みられる規模となりました。 脇坂安治といえば、賤ヶ岳七本槍(織田家の跡目争いで、羽柴秀吉と柴田勝家が対決した賤ヶ岳の戦いで、羽柴軍のほうで武功を揚げた七人の侍)のうちの一人でもあります。しかし安治はその後、伊予大洲に移り、江戸時代初期には山上の「上の城」は廃城となってしまいました。 この流れは、元祖「天空の城」である竹田城にも似ていますね。とにかく、今からその洲本城の実態に迫ります。



まずは、山麓の「下の城」の方から入らせていただきます。 こちらは御殿、御家、御屋敷と呼ばれていたのですけど政庁ではなく、徳島藩主が参勤交代の際に宿泊する藩邸として使われました。その御殿の建物の一部が………



金天閣として洲本八幡神社の境内に移築され、現存しているのですよ。しっかりと施錠されていたので、残念ながらその内部に入り込むことはできませんでした。



さらに下の城のお堀端には、桶と柄杓を手にして笑っている、お登勢さんの像があります。彼女は船山馨の小説「お登勢」の主人公で、庚午事変(明治維新後に島内で起こった内乱)に巻き込まれたりもしました。彼女の健気な姿を描いたそのお話は、テレビドラマ化もされたそうです。
三熊山は標高133m。 このような山は、高そうに見えても実際に登ってみるとたいしたことがなかったりするのですけど………



ハアハア……… けっこう大変でしたよ。木々が繁っていて涼しいハズなのに、汗か止まりませんし、膝がガクガクします。



それでも麓から20分ほどで、上の城が見えてきました。 ここまで来たら、もう三熊山を制したといってもいいでしょう。 それでも、ここは敢えて………



洲本城の規模や構えがわかりやすいように、私たちが登ってきた道からは逆方向にある、大手口から迫るようにします。



その大手門跡は、車での登山道や駐車場の方向にあります。幾重にも石垣が交差していて、厳重な守りとなっていますね。 たつぴが言うには、「その脇の藪の中に、野生の鹿が軽快に駆けていった 」らしいのですけど、私は見逃してしまいました。そのあと、落ちている糞は確認できたのですけど……… たつぴだけ本体を見るなんて、ズルいです。



大手口からほど近いところにある馬屋(月見台)跡からは、紀淡海峡の眺望が開けています。 そのことからも、洲本城は水軍の城としての機能を果たしていたことがわかります。



それから東の丸跡には、日月(じつげつ)の池があります。こちらはいざ籠城となった際には、山上の城の貴重な水源となったことでしょう。



さらにお城の中心に迫りますよ こちらの本丸への大石段は、見応えがありますね。 石垣も高くて立派ですし。ここを登りきって、本丸南の虎口を突破すれば………



山の麓からも確認できた模擬天守が姿を現すのですよ それにしてもこの建物、やけに小さくて不自然な土台の上に乗っているような………



そうなんですよ そうしたら、登頂記念の撮影をしながら説明いたします。 こちらの建物は、天守台の上にさらに天守台を造ってその上に建てられた、ミニ模擬天守なのですよ。脇坂安治によって築かれた本来の天守は、17世紀の初めには失われ、その姿や規模は不明なままでした。 時を経て、昭和3年(1928年)に御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、寄付を集めて史実とは関係ない姿で建てられたのが、こちらの模擬天守であります。 その頃は全国的にお祭りムード一色で、そのノリで造られた産物……… なんて言ったら失礼ですけど、私たちが以前訪れたことがあるコンクリート大仏の刈宿の大仏(愛知県西尾市)も同じノリ、いや、理由からできたのですよ。確かに怪しいお城ですけど、90年近くも存在し続けたこともあって、すっかりまわりの風景に溶け込んでいるように思えます。



せっかくなので、その内部に入って……… といきたいのですけど、老朽化などの理由から封鎖されているのですよ。 以前は空洞状の天守台の下からその建物に上る階段があったのですけど、外されていました。



それでも、その足元からでも見張らしはよくて、その時季は特に賑わっていた海水浴場や、先ほどバスを降りた洲本バスセンター、それにレトロな建物を利用した淡路ごちそう館御食国(みけつくに)、………など、洲本市内を一望することができました。それに加えて、そこには遮るものがないということあって風通しがよく、空を飛んでいるような、天界にいるような気分を味わうこともできました。
気が済んだら、先ほど登ってきた山道を降りていきますよ。



そして私たちは再び、下の城にやって来ました。 その一角には、洲本温泉からお湯を引いている足湯があるのですよ



もちろん、ここで足の疲れを癒しておきますよ ………という私の足が、タヌキの顔を直撃しているような。 とにかく、いい湯でした。



あとは、洲本バスセンターから帰りのバスに乗って、三ノ宮駅を目指すだけです。 その道中で見えてきた明石海峡の眺めもなかなかいいのですけど、そのあたりから道が混んできました。どうやら、帰省や行楽帰りの渋滞に巻き込まれたみたいです。
予定では、三ノ宮での乗り継ぎ時間にかなりの幅を取ってあったので「そこで晩御飯を食べていこうか」という話もしていたのですけど、この調子でいったら厳しそうです。そしてそのバスは予定時間より大幅に遅れて、三ノ宮バスターミナルに到着しました。

私たちに残された乗り換え時間は、わずか6分。外食はもってのほかで、お持ち帰りも厳しい状況です なんとか予定の列車に飛び乗ることはできたのですけど、これからかなり長い間、乗り換えはありません。



それでも21時過ぎの大垣駅で、ようやく時間を作ることができ、私たちはその構内にあるコンビニやベーカリー店で、食料を調達しました。 そうしたら、菓子パンやおにぎり、揚げたこ焼きなどをがっつり喰っておけ

そして23時ちょっと前には、ようやく自宅に戻ることができました。 これにて、長いようで短いような一連の旅行スペシャルはお仕舞いとなるのですけど、たつぴは翌日はまだ休みでいいですね。私は通常通りの仕事なのですよ。 それでも、非日常を味わうことによっていつもの生活がより潤うので、多少疲れが残っていてもなんとかします。 それよりも、今回はおとなしく家でお留守番をしていてくれた箔や波には、感謝しています。ちょっと離れただけで、彼らのありがたみも改めて感じましたし。これからは彼らに寄り添いながら、いつもの生活を過ごしていきます。 もちろん、彼らと一緒に非日常を体験する計画もあるので、そちらのほうも楽しみにしていてくださいませ


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