波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

2017年の主役・井伊直虎(前編)

2016-11-26 00:56:49 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
前回は、来年のNHK大河ドラマの主人公となる井伊直虎の話を始めようとした、まさにそのときに終わってしまって、申し訳ございませんでした。 今回はなるべく逃げも隠れもしないようにするので、お許しくださいませ。


※波虎と虎箔

皆様は、井伊直虎のことをご存知でしょうか?実は私も地元民でありながらも、3年前の小和田哲男氏の講演を聞くまで、その人物の存在自体も知りませんでした。 しかも、直虎は全国を渡り回ったりすることもなく、かなりローカルでしたし。それでも直虎のことを調べたり、ゆかりの地を巡っていったりしていくうちに、その人の魅力が増してきました。 なので、来年の大河ドラマの放送が始まる前に私のつたないレポートを読んで、皆様も少しでも直虎に興味を持っていただけたら、幸いです。



………といいつつも、直虎を語る前に、まずは井伊家の成り立ちから入らせていただきます。 浜松市北区引佐町井伊谷(いなさちょういいのや)地区の龍譚寺からほど近い田んぼのど真ん中には、ドラゴンクエストの池に浮かぶ神殿のような聖地のようなものがあります。 そこには何があるのかというと………



古井戸があるのですよ。共保(ともやす)公出生の井戸といわれるこの場所で、平安中期の寛弘7年(1010年)に井伊家初代の共保が生まれたと伝えられています。 いや、さすがに井戸から人が出てきたなんて、さすがに神話的過ぎますよね。 なので、共保はこの場所に捨てられていたとしたほうが、現実的なような。とにかく、ここが井伊家発祥の地で、井伊谷というだけあって、その地には井戸が残されているのですよ。 共保は志津城の藤原氏に仕官したあとに独立し、再びこの井伊谷の地に戻って井伊の姓を名乗りました。



彼は井伊谷城を本拠とし、井伊家はこの地方の国人領主として栄えました。

時代を経て室町後期の戦国時代になると、全国に戦国大名が割拠し、領地をめぐって戦に明け暮れ、激しい生存競争を繰り広げていました。 それに加えて、下剋上も頻繁に起きて、たとえ臣下の者だとしても裏切って命を狙うことがあり、心休まらない日々が続いていました。 そのような状況の中で、遠江の小さな国人領主の井伊家は、駿河の駿府(今の静岡市)を中心に勢力を拡大しつつある今川氏の支配下にいました。
※大河ドラマの流れがわかりやすくなるように、ここから先に登場する人物には、役者名も付け加えておきます。



まずは、こちらの家系図と見比べながら追っていけば、より人間関係がわかると思います。



顔に大きな傷があるのですけど、豪傑で頼りがいのある井伊直平(前田吟)の孫の直盛(杉本哲太)と、妻・新野左馬助親矩妹………って、名前が不明なので、家系図ではそのように呼んでいますけど、ドラマでは千賀(財前直見)という素敵な名前がつけられています。とにかく、その夫婦の間に娘が誕生しました。 その生年は不明なのですけど、天文5年(1536年)頃だと思われます。彼女の幼名もわかっていないのですけど、ドラマではおとわ(幼少期・新井美羽)という、こちらにも可愛らしい名前が。

直盛は井伊家の直系なのですけど、子供はおとわ1人だけだったので、彼のいとこに当たる亀之丞(幼少期・藤本哉汰)をおとわの許嫁として、後継ぎにすることにしました。 おとわは亀之丞の妻となり、井伊家を支えていく決意をしたのですけど………

天文13年(1544年)、亀之丞の父の井伊直満(宇梶剛士)が今川氏に謀反の疑いをかけられ、殺害されてしまったのです。 それは、家老の小野政直(吹越満)の讒言(あることないことを密告し、人を陥れる行為)によるものでした。さらに当時9歳だった亀之丞も命を狙われ、その騒動で生死不明に。
おとわは亀之丞が無事であることを信じ、ひたすら待ち続けたのですけど、まったく帰ってくる気配はありませんでした。 そしてついに、おとわはある決意をしたのです。それは………



井伊谷にある龍譚寺は奈良時代から続く古刹で、平安時代からは井伊家の菩提寺となっていました。 こちらの境内は、マナーをしっかり守れば、ワンコと一緒に歩くことができるのですよ。 風格のある山門をくぐり、石段を上がっていくと………



木々の緑に覆われた参道に続いています。



本堂の正面には、仁王門も構えられていますね。



お寺の中心となる本堂と………



有料ゾーン(500円)の入口となる庫裡………



さらに開山堂の、合わせて3棟の建物は、静岡県の指定文化財となっております。



その頃の龍譚寺の住職は、直平の次男の南渓和尚(小林薫)が務めていました。おとわは彼のもとを訪れ、若くして出家することにしたのです 彼女は、亀之丞はすでに死んだものと割り切ったのでしょうか?その決意はとても固いものでした。

箔と波には駐車場の車の中に待機してもらって、私は龍譚寺の有料ゾーンに入っていくことにします。 その本堂に入っていくと………



鶯張りの廊下が続いています。二条城の二の丸御殿のものが有名ですけど、同じような仕掛けがこちらの龍譚寺にもあるのですよ その珍妙な音に、歩くのがつい楽しくなってしまいますよね。



その鶯張りに夢中になってつい見逃してしまうのですけど、本堂に入ってすぐのところには、高さ3,2mにもなる大仏が鎮座しているのですよ。 その本堂の裏側には………



江戸時代初期に小堀遠州が手掛けたと云われている、池泉鑑賞式庭園が広がっています。 こちらの庭は国指定名勝で、龍譚寺のなかでは一番の見どころでもあります。足の踏み場もないほど混んでいなかったら、縁側に腰掛けてその風景をゆっくりと眺めていたいですね。
その庭園を見かなら、おとわの話の続きをさせていただきます。出家した彼女に、南渓和尚は「次郎法師」という名前を授けました。 それには、井伊家の跡継ぎと僧侶の名が兼ね備えられていたのです。



先ほどの庭は有名なのですけど、反対側の本堂の正面にある枯山水の庭も、趣がありますよ。
それから10年以上も経った弘治元年(1555年)に、成長した次郎法師(柴咲コウ)のもとに思いがけない知らせが舞い込んできました。なんと、亀之丞(三浦春馬)が生き延びていて、立派な青年となって井伊谷に帰ってくるというのです 彼は襲撃された際に、家来が背負ったかますという藁の袋の中に身を隠し、渋川の東光院に避難し、さらに信濃(長野県)へと亡命していたのでした。
運命的な再会を果たした二人は、ようやく結ばれる……… となってもらいたいところなのですけど、次郎法師はすでに出家の身。その当時の女性は一度出家してしまったら、生涯結婚できないことになっていたのです。

亀之丞は井伊家を継ぐために直盛の養子となり、名を直親と改めました。さらに、奥山因幡守朝利女……… って、名前が不明なのでそのように表記するしかないのですけど、あんまりです。 それでも、ご安心ください。ドラマではしの(貫地谷しほり)という名前となっているので。とにかく、直親はしのと結婚したのです。 ということで、次郎法師と直親は夫婦ではなく、兄妹という関係になりました。



今川氏の当主は今川義元(春風亭昇太)だったのですけど、主に彼の母の寿桂尼(浅丘ルリ子)が執り仕切っていました。永禄3年(1560年)、義元は西に勢力を拡大するために大軍で尾張に侵攻し、桶狭間に陣取っていました。 その軍には井伊直盛も付き従っていたのですけど、そこに兵力では劣るハズの織田信長軍が、奇襲をかけてきたのです 世にいう、桶狭間の戦いであります。この合戦で、義元は討ち死に。それだけではなく、直盛も大勢の家臣とともに命を落としてしまい、井伊家にとっては大打撃となりました。

直盛亡きあと、井伊家の当主の座は直親が受け継ぎました。そしてその翌年の永禄4年(1561年)直親としののもとに、待望の男子・虎松(幼少期の配役は未発表、それでも思わず守ってあげたくなる、母性本能をくすぐるようなカワイイ子役を期待していますよ NHKさん)が誕生しました。
しかし、平穏な生活はそんなに長くは続きませんでした。

そのまた翌年の永禄5年(1562年)になってから、直親は今川氏のもとから離れ、松平元康(のちの徳川家康、阿部サダヲ)と手を結ぶことを密かに決めました。 元康は、桶狭間の戦いの後に隣国の三河(愛知県)の岡崎城主に返り咲き、勢いを増しつつあった人物であります。 そのことを察した井伊家老の小野政次(高橋一生)は、そのことを今川氏真(義元の後継、尾上松也)に密告。直親は駿府の氏真に呼び出され、潔白を証明するためにそちらに向かいました。 それはいいのですけど、くれぐれも気を付けて無事に帰ってきてくださいよ。
直親は、その途中の掛川に差し掛かりました。



その当時の掛川は、今川氏の配下の朝比奈氏が治めていました。掛川のシンボルにもなっている掛川城の復元天守に上り、最上階から北東方面を眺めると、小高い丘の上に小さなお堂みたいなものが見えます。その建物は徳川三代将軍の家光を祀った天王山龍華院・大猷院霊廟で、県指定文化財となっています。この建物がある天王山は、かつては朝比奈氏時代の掛川城(掛川古城)だったところで、現在でも土塁や空堀などの遺構が残っています。
その掛川城下で、直親は朝比奈の手の者に襲われ、殺されてしまいました。彼も、讒言→疑心暗鬼→謀殺のパターンに嵌められたのです。 井伊家の大黒柱に、なんてことをしてくれたんだ もうそういうの、いい加減にやめてくれない? ………なんか、私までも怒れてきてしまいました。
夫婦にはなれなかったのですけど、次郎法師にとって直親は大切な存在だったに違いありません。そのときの彼女の悲しみは、想像することもできません。

浜松市北区細江町の、まわりに目印のようなものはなく、お寺の境内でもないところなので、ちょっとわかりにくいと思います。 そういうときは、国道257号線から都田川の北岸の堤防に沿って西に向かっていくと………



「井伊直虎ゆかりの地」という赤いのぼりが立っている、小さな塚が見えてきます。



ひっそりとしたこの場所にあるその塚が、直親のお墓なのですよ。彼は27歳の若さで不慮の死を遂げ、亡骸はこの地に埋葬されました。後生になって、徳川幕府の大老となった井伊直弼は、井伊家ゆかりのこの場所に石灯籠を寄進しました。
それよりも、一家の大黒柱を失った井伊家はどうなるのでしょうか?最長老の直平は健在ですけど、直虎と虎松の運命は?このあたりで後半に続けさせていただきますけど、私も彼女らの物語がハッピーエンドになることを願っています。


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