こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は夏真っ盛りの7月下旬の日曜日に、横浜駅を降りていきました。 さらにみなとみらい線に乗り換え、元町・中華街駅まで行って向かった先は………
中華街などの飲食関係ではなく、港の見える丘公園でした。 こちらは有名な散策スポットで、横浜が開港した安政6年(1859年)には外国人位留置となりました。
公園の名前は、戦後間もない頃にヒットした「港が見える丘」という曲にあやかっているのですけど、港側の展望台からは………
まさにその名前の通りで、ベイブリッジや横浜港を臨むことができました。 さらにこちらからは、GUNDAM--DOCKの実物大ガンダムも見えましたよ!それらを確認したあとは、せっかくこちらまで来たので………
まずは、公園内にある横浜市イギリス館に寄っていくことにしました。 こちらの建物は横浜山手西洋館のうちの1つで、昭和12年(1937年)に英国総領事公邸として建てられました。
無料で開放されていて、1階のホールは閉め切ってコンサートをやっていたのですけど………
2階の寝室やゲストルームは見学することができました。 そうしたら………
イギリス館の近くにある山手111番館も見ていきましょう こちらのスパニッシュスタイルの洋館は、大正15年(1926年)にアメリカ人のラフィン氏の邸宅として建てられました。
敷地の段差を生かした地階部分は喫茶室となっているのですけど………
1階部分は無料で公開されていて、吹き抜け構造となっているホールなどを見ることができます。 前置きが長くなってしまいましたけど、これからいよいよこの日の本命となる場所に向かいます
………ということで、こちらも港の見える丘公園内にある、大佛(おさらぎ)次郎記念館にやって来ました 大佛次郎さん(本名・野尻清彦)は、明治30年(1897年)に横浜市英町(現在の中区英町)に生まれました。
大正から昭和にかけて活躍した作家で、鎌倉市長谷の大仏の裏に住居を構えた際に「ほんものの大仏が太郎だから、謙遜して自らは次郎とした。 おさらぎと読むのは、北条氏の一族でこの地に住むのを大仏と書いて、こう読んだから」と、自ら書いています。
鎌倉に住みながらも故郷の横浜を愛し、横浜のホテル・ニューグランドの一室を仕事場としていた時期もありました。
大正12年(1923年)の関東大震災によって、翻訳や執筆の場となっていた雑誌が廃刊となり、収入の道が閉ざされてしまいました。 その後、知り合いの編集者の言葉を頼りに講談調でまげもの(時代小説)を書いたら、大ヒット
このようにして、代表作となる「鞍馬天狗」の第1作の「鬼面の老女」が生まれました。昭和48年(1973年)4月30日に亡くなったので、今年は没後50年となります。
この記念館の至るところには、ブロンズ像などの猫のアートを見ることができます。
こちらの「お手」猫も、いいですね しかも、本物の真珠のネックレスを首にかけておられる。
大佛次郎さんは、生涯に500匹以上の猫と暮らした愛猫家でした。 もちろん、妻の吾妻光(酉子)さんのことも大切にしていましたけど。
彼にとっては「猫は生涯の伴侶」と語るほどの存在で、常に十数匹の猫に囲まれて生活していました。
そのような中で「猫のいる日々」というエッセイや、童話の「スイッチョねこ」を著したりしました。そして令和に入ってから、「猫のいる日々」に感銘を受けたへげかもこさんが、マンガ雑誌の「ねこぱんち」に「ぼくの伴侶 猫と大佛次郎物語」という作品を連載し、それは単行本にもなりました。
へげ妻さん(へげ先生)は猫の京ちゃの親元となったことがきっかけで、今でも一応ウチとの交流は続いています。 その「ぼくの伴侶………」とコラボした企画展が………
8月20日まで、大佛次郎記念館でおこなわれているのですよ 実は私はこの「おさらぎじろう展」 が見たくて、小田原城も組み込んだ今回の電車旅を計画したのでした。
どのような展示となっているのか、楽しみですね
そうしたら、200円の入場料(安っ
)を払って、いざ館内へ
入ってすぐのところにあるホールには、「ぼくの伴侶………」 が試し読みできるように、その第7話の全ページが掲げられていました。
私がこの作品に触れるのはこの時が初めてだったのですけど、確かにへげ妻さんのタッチで描かれていますね。
読みやすくて、一気に最後までいってしまいましたよ。 1話ぶんだけでしたけど、大佛次郎さんと酉子夫人との関係、さらには夫婦が飼っている猫との絡みがうまく描かれていました。
企画展の冒頭には、「ぼくの伴侶………」が紹介されていました。確かに、優しいタッチで描かれています。
カラーのイラストも、いい感じですね。
次郎さんと酉子さんは、結婚後まもなくして鎌倉に移り住みました。 さらにそこでは猫との生活も始まるのですけど、当初酉子さんは猫ギライだったなんて驚きですね。
その理由や猫好きに転じるまでのいきさつは、漫画にも描かれています。
その鎌倉市の雪ノ下には、次郎さんが新たに建てた野尻邸(旧大佛次郎茶亭)があるのですけど、現在は非公開となっているみたいです。 その様子は「ぼくの伴侶………」にも描かれて、記念館では映像で紹介されていました。
さらに、次郎さんの代表作でもある「霧笛」に関する展示も、漫画と合わせてなされていました。
あと、次郎さんの仕事場となる書斎も再現されていました。 たくさんの書類はもちろんのこと、猫グッズも散りばめられていますね。
それに加えて、あちこちに生身の猫もいたと思われます。
これまで私は、大佛次郎さんのことは名前はなんとなく聞いたことがある程度で、どのような人物なのかは知りませんでした。 それがへげ先生が漫画化してくださったおかげで、その世界に入り込むことができました。
今回の企画展も、充実していましたし。私は記念館の思惑通りに、「ぼくの伴侶………」のうちの1巻をお土産に買って帰りました。
しかし、入り込みやすさと読みやすさが手伝って、帰りの列車の中で一気読みしてしまいました。
そんな私が三島駅を通りかかった際に………
伊豆箱根鉄道のラッピング電車が見えたので、乗っていた列車を降りて写真を撮りました。 これは、現在放送中&配信中のアニメ「幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-」にあやかったものです。
沼津を舞台にしたスクールアイドルの物語の「ラブライブ! サンシャイン!!」のスピンオフで、こちらは異世界のようなヌマヅが活躍の拠点となります。 また「歌と魔法と絆の物語」を謳っています。主要メンバーは「ラブライブ! ………」に則っているのですけど、ルビィは妖精、ダイヤは執務長官、マリは魔王の末裔となっています。
こちらの車両には、老舗旅館の看板娘のチカ、メッセンジャー(配達員)のヨウ、メカニックのカナンの姿が
さらに真ん中の車両には、動物学者のリコ、主人公の津島善子ならぬヨハネ、お菓子屋のハナマルが描かれています。
ちなみにヨハネの隣にいる大型の狼獣は、ライラプスといいます。 ヨハネと一緒に暮らす相棒なのですけど、この大きなもふもふにはつい惹き付けられてしまいます。
しかしそれと同時に、あそこまで大きいとトリミングが大変そうとか、散歩中に排泄したら処理しきれるのか、………とか考えてしまいました。
そのことを後で箔母さんに相談したら「マンガの世界では、排泄という行為はない」と言っていて、妙に納得しました。
そうしたら、シャンプーやブラッシングをしなくても、毛はキレイに保たれているという理屈も成り立ちます。
とかなんとか言っているうちに「幻日のヨハネ」電車が出発していってしまったので、この日の最終目的地に向かうことにしましょう。
………ということで、三島の1つ先となる沼津駅にやって来ました
ちなみに「幻日のヨハネ」のヌマヅは、このような表記となっています。 ローマ字や漢字の一部がなんとなく読めるところがいいですね
沼津は「ラブライブ! 」の聖地ということもあって、駅の構内の段階からそのキャラクターが散りばめられています。
北口を出てすぐのところでは、車掌に扮した国木田花丸、津島善子、高海千歌が出迎えてくれますし。
さらにその駅からは、「ラブライブ! 」のラッピングバスが出発するところでした。 私が朝のまだ体力がある段階だったら、追いかけていました。
駅前のラブライブカフェには、「幻日のヨハネ」の広告が大々的に掲げられていました。
そのまま私は仲見世商店街へ。 こちらにも「幻日のヨハネ」があって、地元のテンションの高さがうかがえます。
その足元には、カラーで描かれた「ラブライブ! 」のキャラクターのマンホールがありました。 こちらは時期によって変わるみたいで、この日は3年生の黒澤ダイヤ、松浦果南、小原鞠莉となっていました。
やはりスピッツクラブの展覧会に行くついでがなくなってから、沼津に来る機会も激減しました。 それでも、たまにはこちらで「ラブライブ! 」の風を感じておきたいので、ついでではなくても訪れるようにしたいです。
それから、「幻日のヨハネ」がこれからどのように展開していくのかも、楽しみにしています。
「幻日のヨハネ」のオープニングで、大きい仔犬だった頃のライラプスの尻尾ふりふりに悩殺されているな方は、こちらに投票してやってください。