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八月四日 長短解  也有  萩原井泉水 著 昭和7年 刊 春秋社

2024年07月29日 07時07分10秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

八月四日 長短解  也有 

萩原井泉水 著 昭和7年 刊 春秋社

 

 「五百八十七年まわり」と云って、長寿の祝いの言葉である。」

 

大はよく小をかね、短は長にまかるゝためし、世にそのたぐひ多かり。

たゞ君を賀し人を壽くにぞ、よはひを長濱の鶴にたぐへ、

あるは鮑の尾山の尾を引て、五百八十七曲(まはり)と祝ひものするには、あくかたあらじかし。

その余はひたぶるに十八さゝげのゆたけきにならへば、独活(うど)梶だの大木の謐を逃れず。

矮雛(ちゃぼ)の足はみじかきを愛し、禿が返辞はながきにのどけし。

出る杭は頭うたれてつゐの益なく、下手の談議のとまりかねては、軒の柳もねむり顔なり。

ただ女の髪こそめでたくてあらましを、手ながき人は一門にも遠ざけられ、

鼻の下の伸び過たるは、大事の相談にもらされて、其夜の饂飩のながきをしらず。

されば必ながきはみじかきが上にも立がたし。

物はただ秋の夜のながくてよからむは長く、

難波瀉みじかき芦の長からずしてよきはみじかくてあらなん。

さるを聖人も右の袂の自由を物申ずけり。

世に式法をこまかにさだめて、かね合極まるものもあれど、そのむづかしき境は人の製作なり。

天地もと窮屈ならず、長短は自然にそなへて、寸分の詮議はなし。

摺粉木は両手に握るを程とし、杓子、さい槌はかた手にたれり。

下ざまの物ながら天理のまゝなるぞたうとけれ。

我友田氏、過し比、かりそめの旅のつとに煙管を財れり。その短きこと掌にかくすべし。

我この秋西郊にあそぶ事ありて、調寶はなはだ長きにまされり。

これを咥えて手をからず、久くして歯を労せず、行く行く野上に雲を吹,あく時は袖にむさむ。

張子が馬を懐にするがごとし、ここにおいて感あり。

つゐに長短の解をつくりて、茫をむくふの詞にかふ。

其辞の長過たるはまた才のみじかき放ならし。 (鶉衣)

 

山中の湯  芭蕉

 

北海の磯硫づたひして加州やまなかの湧き湯に浴す。

里人の曰く、このところは扶桑三の名湯のその一なりと。

まことに浴する事しばしばなれば、

皮肉うるほひ筋骨に通りて神心ゆるく、偏に顔色をとゞむるこゝちす。

彼桃源も舟をうしなひ、慈童か菊の枝折もしらす。

   やまなかや菊はたおらじ湯のにほひ   (加賀山中、醫王寺所見)

 

 

瓢の銘 芭蕉 素堂

 

一瓢重黛山 自咲称簑山

莫慣首陽山 這中飯顆山

 

顔公の垣穏におへるかたみにもあらず。恵子がつたふ種にしもあらで、

我にひとつのひさごあり。是をたくみにつけて、花入るゝ器にせむとすれば、

大にしてのりにあたらず。さゝえに作りて、酒をもらんとすれば、かたちみる所なし。

あるひとのいはく、草庵のいみじき糧入つべきものなりと。まことに蓬のこゝろあるかな。

やがてもちゐて隠士素翁(素堂)にこふて、これが名を得さしむ。

そのことばは右にしるす。其句みな山をもてむくらるゝが故に、四山とよぶ。

中にも飯顆山は老杜のすめる地にして、李白がたはぶれの句あり。

素翁、李白にかはりて、我貧をきよくせむとす。

かつ空しきときは、ちりの器となれ。

得る時は、一壷も千金をいだきて、黛山もかろしとせむことしかり。

   ものひとつ瓢はかろき我よかな       (隨斎諧話)

 

【註】

此瓢は所謂、芭蕉庵六物。二見の文臺・大瓢(米入り、号四山)・小瓢(帯はさみ)

桧笠・萄の繪・荼の羽織折……の一つで、文政年間には市川團十郎が家にあり、

文は成美の家に傳つてゐたと成美白身が、その著「髄斎諧話」にその真蹟のまゝを寫して載せてゐる。

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八月三日 北枝 俳諧大意

2024年07月29日 06時04分11秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

八月三日 北枝 俳諧大意

 

 芭蕉が加賀の山中温泉滞在中、金澤より同行して日夕親灸したる北枝が、俳諧の大意を賀して聞きえたるところを、覚え書しておいたものである。「翁」は芭蕉,「私」は北枕。

 

 蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に惑はず、烏鷺馬鹿の言語に泥むべからす、天地を右にして萬物山川、草木、人倫の本情精を忘れず、落花、散薬の姿にあそぶべし。其のすがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして流行の変にわたる。然る時は、こゝろざし寛大にして物にさはらず、今日の変化化を自在にし、世上に和し、人情達すべしと、翁申したまひき。

 

一 

正風俳諧の心は萬物の道、よろずの業に通じて、一端にとどまるべからす。世に俳諧の文字を説いて、誹は非の晋にて俳の字然るべしといえる人もあり、或は史記の滑稽をひきて穿鑿の沙汰に及ぶものもあり。しかれども吾門には俳諧に古人なしと看破する眼より、言語にあそぶといへる道理に任せて、誹、俳の二字とも用ひて捨てず、他門に対して論ずることなかれと、翁申給ひき。

 

俳諧大意 道理と理屈との二種ある事

 

  一 

俳諧の道理に遊ぶ人は俳諧を転ず。はいかいの理屈に迷う人は転ぜられる。

世に上手・下手の諭のみして、俳諧といふ道の所以をしらず。

芭蕉翁は正風虚実に志ふかき人を、我が門の高弟なりと誉給いき。

  一 

虚実に文章あり、世智辨あり、仁義禮智あり、虚に實あるを文章と云い、禮智という。

虚に虚あるものは稀にして、正風伝授の人とするとて芭蕉翁笑い給いたる。

   私曰く、虚に虚なるものとは、儒に荘氏、釋に達磨なるべし。

  一 

いにしへより詩と云い、歌と云い、道の外に求るにあらず。

然るに、世のつね俳諧の文字に迷いて、和歌に対したる名の道理を辨へず、

頓作、當話の俚俗に落ちて、狂言綺語とのみ覚えたる人もあるべし。

これあさましきことなり。

  一 

俳諧は道草の花とみて、智を捨て愚にあそぶべしとぞ。

俳諧のすがたは俗談、平話ながら、俗にして俗にあらず、

平話にして平話にあらず、その境を知るし。この境は初心に及ばすとぞ。

 

  一 

世人俳諧に苦しみて俳諧のたのしみを知らず、

附句の案じやう趣向をさだむるに心得あり。                     

(山中問答)

 

薮 朱拙

 

  陋 巷

いざよひやそぞろに藪のうらむもて   (はせをだらい)

 

荒 畠 水田正秀

 

猪に吹きかへさるゝともしかな

しがらきや茶山しに行く夫婦づれ

日の岡やこがれて暑き牛の舌

澁糟や烏も食はず荒畠

月待や海を尻目に夕すゞみ

 

【註】 正秀は水田氏、通称利右衛門、近江膳所の藩士、曲翠が叔父にあたる。

    享保八年八月三日歿。此の句は季節が違うが、命日なのでここに録する。

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