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猿蓑集 巻之一 冬 初しくれ猿も小蓑をほしけ也  芭 蕉

2024年07月31日 11時41分42秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

猿蓑集 巻之一 冬

 

初しくれ猿も小蓑をほしけ也  芭 蕉

 

 集の巻の一に冬の句を出したる、おもしろし。

代々の和歌撰集には、春をこそ巻首には出したれ。それを古例にかゝはらずして、此頃の此句のふりを中心にして成りたる集のはじめに、初時雨をさっと降らせたる、いかにも俳諧の新味なり。

〇ほしげ也。

舊説に、定家卿の、

「篠ためて雀弓張るをのわらはひたひ鳥幅子のほしげなりけり」、

といふ歌に本づけりとなせり。されど此句は所謂「古歌取り」の句にはあらず。古歌取りの句といふは、後の人の句にて、「秋来ぬと目にさや豆のふとりかな」、といふやうなるを云ふなり。

ほしげなりといふ語は、いかにも古歌に見えたるべきも、そは背中に萬巻有れば、語を下すおのづから来歴無きは無きものなり。あなぐり論ずるはおもしろからず。

引きたる歌も定家卿のにはあらず、「夫木和歌抄」巻三十二に見えたる西行上人の歌なり。

 

あれ聞けと時雨来る夜の鐘の聲    其 角

 

 舊解に、三井の鐘とは聞えたり、と有るがあり。三井寺の鐘の聲の此句を誘ひ発したりや否やは知らず、必ずしも此鐘を三井の鐘としてのみ取るべきにはあらず

 

時雨きや并ひかねたる魦舟      千 那

 

 并ひ=並び 魦=いささ

 魦は世俗通用の字にして、「いさゞ」と訓まするを其頃の習としたり。

いさゞは細小の義にして、此の魚の小さきより魦の字の常てらるゝにも至りたるなるべし。

いさゞは二類あり。一は海産にして、乾して「疊鰯」または「ちりめんざこ」と為すもの、一は淡水産にして、近江の琵琶湖、越前の足羽川等にあるものという。こゝのは江州和爾あたりにて多く取りて京都に売るものを指す。一名さのぼり、長さ一寸ばかり、「はぜ」に似て頭まろし。魦舟はいさざを漁する舟なり。其漁法を詳しく知らねど、蓋し舟を並べ細目の網を張りて獲るならむ。

作者千那は江州堅田浦本福寺の住職、此句は是湖上の情、眼前の景なるべし。

 

幾人か時雨かけぬく瀬田の橋    僧 丈艸

 

 「金葉和歌集」、幾人か比叡山颪しのぎ来て時雨にむかふ瀬田の長橋、この歌を鋳型にして、かけぬくと詞ひとつにて誹諧とせり、と何丸等は云へり。されど妄言なり。金葉集にはさる歌見えず、他の集に見えたるにせよ、歌の體もまた餘りにつたなし。鬼實の萬葉のたぐひにて、俳諧者流の古歌の談は、信じが狸きこと毎ゞなり。

 

鑓持の猶ふりに立るしくれかな  膳所 正秀

 

 鑓待奴の猶更に時雨の中に鑓立つるとなり.人事に時雨の風情を看取し描破せる、

鄙しかれどもおもしろし。

 

廣澤やひとりしくるゝ沼太郎  史 那

 

 廣澤山城国葛野鄙嵯峨村の東に在る池なり。敦實親王の第二子僧寛朝之を造るとなり。

廣澤の名はあれど、さして大なるものにはあらず。たゞ古き池にて、六百番歌合、経家の歌に、

くまもなく月すむ夜半は廣澤の池も窓にぞひとつなりける、

とも詠まれ、ことに馨明に長けたる寛朝の如き人の舊跡とて、其幽寂閑嚝のおもむき、人の智に侵めるところなれば、今はすたれたるも却りて蕭散の情を惹くかた無きにしもあらず。且は都近くして、人知らぬ僻陬にもあらねば、作者も憚りなく實に貼きて取出し記るならむ。空悠長より廣澤といふ地を擇み来りたるにはあらじ。然るに近人廣澤の名にまどひて、大なる沼ゆゑに太郎の名を負はせて、山に安達太郎、川に坂東太郎などの如く、沼太郎と云へりと釋せるがあるよし。宜しからず。沼太郎即ち廣澤にては、一句何の興趣無し。沼太郎は鴻の一種なり。夏目蔭髄斎(成美)曰く、江戸ひしくひ、一名沼太郎。小野蘭山曰く、一種エトクヒシクヒ、一名ヌマタロウ、サカボウ、太抵眞菱喰に同じくして、眼上に淡白條あり、觜(くちばし)脚皆黒し。これにて沼太郎の鴻の一種なること疑ふべからす。蘭山曰く、此の島湖澤に集まり、好みて菱實を喰ふ、故に菱喰と名づく、其形雁より太なりと。菱など多かるべき廣澤の古池に沼太郎のしぐれたる、いかにも自然の景なり。

鴻雁の類、禮節信智の四袷ありとさへ云はれたる禽にて、婚礼に雁を用ゐるも、偶を失へば再び匹せざるを以てなりとの意を明道も云はれたり。「博物志」には、雁は色蒼くして、鴻は色白しと云へり。

其は大まかの事ながら、色白きかたの沼太郎の廣澤の古池に、ひとのしぐれたる、まことに感多き佳き句なり。

 

舟人にぬかれて乗りし時雨哉   尚 白

 

 ぬかれては出し抜かれてにはあらず出し抜かるこは、思はぬまに人に先んぜられて、我は後に残るなり。ぬかるゝは喪心を抜かるゝと云はんが如し。人の言に詒(あざむ)かる々なり。狂言「末廣がり」に、ぬかれたは憎けれど囃物がおもしろい、は詒(あざむ)かれたるなり。空定めなく覚束なければ、舟路は取りかねたるを、降りはすまじといふ乗合舟の舟人の口に詒かれて、その心になりて、舟に乗りしに、早くも時雨のさっと降来しなり。乗るという辞にも詒かるゝの意あるなり。

但しそこまで解到すれば少し嫌味ある句となれば、単に乗りしとのみ取るべし。

 

    伊賀の境に人て

なつかしや奈良の隣の一時雨   曽良

 

 舊解、なつかしきもの昔の京、といふ詞を取れりと為す。何に出で紀る詞なりや。

さる詞、又は諺ありとしても、単にそれのみのことにしては、句情浮泛にして妙無し。

或は曰く、万葉集巻六、

世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば、

此歌の意を含むと。これまに北鵠南天の言なり。

宝暦後、俳諧おとろへて、空腹高心の徒の妄誕のみ多し、難ずべし。

これは中山内府忠親の撰といひ、源内府通親の撰といひて、筆者は定かならねど、嘉應の頃に成りて、世にもてはやされたる今鏡の花の主人の章に見えたる、また或時(中務少輔實重)

  奈良の都をおもひこそ遺れ

と侍りけるに、大将殿(源有仁)

  八重楼秋の紅葉やいかならん

と附けさせ穴まひけるに、越後の乳母

  時雨るゝ度に色や重なる

と附けたりけるも、後まで哀めあはれ侍りけり、とあるを知れば、曾良の一句、おのづからに解くべし。連歌といふは其の初は、歌の本に末を連ね、又は末に本をつけたるに過ぎざりしが、何時の頃よりか、三句を連ぬることゝなりて、「今鏡」の頃は二句以上連ぬるものを銷連歌と抄したるなり。

越後の乳母、小大進など云ひて名高き女歌読み、家の女房にて有るに、公達參りあひては、銷連歌などいふことを常にせらること同書同章に見え狸たり。

後の正式連歌は、此の銷連歌といふものゝ発達して、一巻首尾ある定型のものゝ成るに及べるなりとも思はる。

芭蕉の頃は、人多くは源氏物語、枕草紙、大和、伊勢、大鑑、今鏡などに親しみて尋常茶飯の如くにしたれば、後の人には耳遠けれど、常時はおのづからかヽる句も出で、世も受取りにるなり。奈良の隣は卸ち伊賀なり。「奈良の都を思ひこそやれ」は古句にして、「なつかしや奈良の隣」といへるは俳諧なり。時雨るゝ度に色や重なる、は金葉集作者の古句にして、一ト時雨は猿蓑作者の俳諧なり。

曾良の風趣もとより越後乳母に超え穴り。

 

しくるゝや黒木つむ家の窓あかり     凡 兆

 

 黒木は鹿朶柴をき程の長さにし、火移り宜くして、且爆裂して飛びなどせぬやう蒸し煙して、

黒くなりたるを薪火の用として八瀬あたりの者の京洛に鬻ぎしを云ふ。後には轉じて、たご薪をいう。

 

馬かりて竹田の里や行時雨       大津 乙 刕

 

 竹田の里、別に由縁あるところにはあらず、京都より南の方伏見に至る一路に竹田街道といふあり、

即ち其路に常るの里なり。馬にも時雨にも縁無し。但し伏見より宇治に至るの一路の上、殆んど伏見の中なる六地蔵は馬方など多かりし騨路のさま、元禄頃の叢著に覗ひ知られ、同じく伏見山につゞきな紀る木幡山、木幡里など万葉集のむかしより馬つぎにもありしにや、馬を詠み合せたる歌多し。

万葉集巻第十一、

山科のこはたの山を馬はあれどかちより吾が来汝を思ひかねて、

人丸が歌なり。此歌拾遺葉巻第十九に、山をを、山にと改め、第四第五の句を、「かちよりぞ来る君を思へ」ばと改められて収録されしより、人の耳近きものとなり、其後亦木幡の里に馬を詠めるもの多し。

本の人麿が歌は、「こはたの山を」とありて、徒歩より其山を經るといへるまでなるが、拾遺集のは、「こはたの山に馬はあれど」、と改められたるにより、木幡山は馬のあるところのやうになりて、本意とは異なることにりたり。されど木幡は夙くより京と宇治との通路にして、おのづから馬なども供へけむひまゝ歌も「木幡の山に馬はあれど」、と改められ、又それより、千載集巻第十九、

我が駒をしばしと借るか山幡の里にありと答へよ、

源浚頼朝臣の歌も出づるに至り、謡曲通小町、およびそれに因める俗談の文句にも、木幡の里に馬はあれど、君をおもへば歩行躓、などいひ囃すに至れり.

竹田は伏見より京への路に常りて程近く、木幡はもとより伏見に接せるところにて、木幡、伏見、竹田、皆幾程も無き境なり。

此句木幡とは云はねど、ことさらに木幡より少しさきなる竹田の里をいひて、行時雨と詠じたる味有りといふべし。馬借りての一句、必ずしも俊頼朝臣の歌に縁りたるとせざるも、以上の所説を知り置きて、よく咀嚼し味到せば、竹田の里の時雨のおもむきを現じ興じ得可けむ。

猿蓑さがしの、馬かりて、と濁りて濁りて読む解の如きは、うべなひがたし。

 

たまされし星の光りや小夜しくれ  羽 紅

 

此句に換骨脱胎の法を行ひて、蓼太の「五月雨や或夜ひそかに松の月の什あり。

 

新田に稗殼煙るしくれかな     膳所 昌 房

 

新田の新味多く、稗殼の煙りいとわびたれど、奮味ある句なり.

 

いそかしや沖の時雨の詰帆片帆   羽 紅

 

 句情はおのづから分明なれど、舌足らずの云廻しなればにや、

去来みづから仕損じ白りと去来抄に云へり。

 

    初霜に行や北斗の星の前      伊賀 百歳

 

 北斗の星の前に旅雁横たはり、南楼の月の下に寒衣を擣つ。「朗詠集」上洛に出でたる劉元叔の句なり

此句明らかにそれに本づけるながら、行くやの一語唐突にして味無し。焉に北斗は人君にたとへ、夙に出仕する人の姿情言外に見えたり、などといへる舊解を生じたり。霜暁星燦の景をいへるのみ。

 

    ひと色も勣くものなき霜夜かな   野 水

 

 風無く天清らにして霜七ご脈かに降る夜のさま也。

 

淀にて

初霜に何とおよるそ舟の中     其 角

 淀は淀河、夜舟著発の地なり。狂言「うつぼ猿」に、猿の舟漕ぐをす形するところあり。

そこの歌に、「舟の中には何とおよるぞ、苫を敷寝の楫枕」、といふ句あり。

およるは御寝なり。苫に霜しろむ川舟の、何とおよるの一語、使ひ得て景あり情あり。

軽妙爽利、しかも温藉なるは、其角の独壇なり。

 

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