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古今和歌集序

2024年07月05日 09時59分20秒 | 文学さんぽ

古今和歌集

古今和歌集序

 

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

世の中にある人事わざしげきものなれば、

心におもふ事を見るもの聞くものにつけていひだせるなり。

花に啼くうぐひす、水に棲む蛙の聲きけば、生きとし生けるもの孰れか歌を詠まざりける。

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、

男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

この歌、天地の開け始まりける時より出できにけり。

(天のうきはしのしたにて女神 男神となり給へることをいへるうたなり)

然はあれども、世に傳はれる事は、久方の天にしては、下照姫に始まり、

(下照姫とはあめわかみこのめなり、せうとの神かたち、をかたにうつりてかがやくをよめる夷歌なるべし。

これらは、文字のことどもさだまらぬ、歌のやうにもあらぬことどもなり。)

荒金の地にしては、須佐の雄の尊よりぞおこりける。

千早ぶる神代には、歌の文字も定まらず、すなほにして、ことの心わきがたかりけらし。

人の世となりて、須佐の雄の命よりぞ、三十も字余り一文字は詠みける。

  (すさのをのみことは、あまてるおほうみかみの子の神なり。女とすみ給はむとて、いずもの国に

   みやづくりしたまふときに、そのところに、やいろの雲の立つをみて、詠み給へるなり。

   八雲立つ出雲やへかきつまごめにやへがきつくるその八重垣を)

かくてぞ花を愛で、鳥を羨み、霞みを憐び、露を悲しむ心に言葉多く、様々になりにける。

遠き所も出で立つ足もとより始まりて年月を渡り、高き山も麓の塵ひぢよりなりて、

天雲もたなびくまで生ひのぼれる如くに、この歌もかくの如くなるべし。

浪波津の歌は、帝のおほむはじめなり。

(おほさゝきのみかどの、浪速津に、みこときこえけるとき、東宮を、たがひにゆづりて、

位につきたまはで、三年になりにければ、王仁といふ人いぶかり思ひて、読みて奉りけるうた

これにそ、大君心とげにける)

  この二歌は、歌の父母の様にてぞ、手ならう始めにもしける。そもそも歌の様六つなり。

唐の歌にもかくぞあるべき。その六くさの一つには、そへ歌。大さゝぎの御門をそへたてまつれる歌。

  難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べとさくやこの花

 といへるなるべし。二つは数え歌。

  咲く花に思つくみの味気なさ身に疾病のいるもしらとて、といへるなるべし

 (これは、たゞごとにいひてものにたとへなどもせぬものなり。このうた、いかにいへるにかあらむ。

  その心得難し。いつゝにたゞごとうたといへるなむこれにはかなふべき。)

 

  三つにはなずら歌。

 (これは、たゞごとにうひて、ものにたとへなどもせぬもえがたし。いつゝにたゞごとうたといへるなむ

これにはかなふべき)

  

 君に今朝の霜のおきていなば戀しき毎にくえや渡らむ といへるなるべし。

 (これは、ものになぞらへて、それがやうになむあるとやうにいふなり。この歌よくかなへりとも見えぞ。

  たらちねのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはむて。かやなこれにはかなふべからむ。)

 

  四つにはたとえ歌

我が戀はよむとも盡きじ有磯海の浜の真砂はよみ盡すとも

といへるなるべし。

(これは、よろずの草木烏けだものにつけて、こころをみするとなり。この歌はかくれたるところなみなき。

 されど、始めの添え歌とおなじやうなれば、少しさまをかえたるなるべし。須磨のあまの塩やく煙風を

 いたみおもはぬかたに棚引きにけり。このうたなどや適ふべからむ)

 

偽りの何時は利無き世なりせばいかばかり人の言のは嬉しからましといへるなるべし。

(これはことのとゝのはり正しきをいふなり。この歌、こころさらにかなはむ。

 とめ歌とやいふべからむ。山桜あくまで色をみつるかなはな散るべくも風ふかぬよに。)

 

六つにはいはひ歌

此の殿はむべもとみけりさき草のみつばよつばに殿造りせり

といへるなるべし。

 (これは世を誉めて神に告ぐる也。此の歌いはひ歌ととは見えむなむある。

春日野に若菜摘みつゝ萬を祝う心は神ぞ知るらむ。これらやすこしかなふべからむ。

大よそむくさにわかれむことはえあるまじき事になむ。

 

今の世の中、いろにつき人のこゝろ花になりにけるより、あだなる歌、はかなきことのみ出でくれば、色ごのみの家、埋木の人知れぬことゝなりて、まめなる所に花薄穂に出すべき事にもあらずなりにたり。 

その始めをおもへばかゝるべくもなむあらぬ。いにしえの帝、春の花のあした、秋の月の夜毎にさぶらふ人びとを召して、ことにつけつゝ歌をたてまつらしめたまふ。あるは花を戀ふとてたよりなき所に惑ひ、あるは月を思ふとて、しるべなき闇にたどれる心々を見賜ひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ。

しかあるのみにあらず、さゞれいしにたとへ、筑波山にかけて君を願ひ、喜み身に過ぎ、たのしみ心に餘、富士のけぶりによそへて人を戀ひ、松虫の音に友を偲び、高砂住の江の松も相生のやうに覚え、男山の昔を思ひ出で、女郎花のひとゝきをくねるにも歌をいひてぞなぐさめける。

又春のあしたに花の散るを見、秋の夕暮れに木の葉のおつるを聞き、あるは年毎に、鏡の影にみゆる雪と波とを嘆き、草の露水の泡を見て、我が身を驚き、あるは昨日は栄えおごりて、今日は鴇を失ひ、世に侘び、親しかりしもうとくなり、あるはまつ山のなみをかけ、野なかの(し)水を汲み、秋萩の下葉をながめ、曉の鴫の羽搔きをかぞへ、あるは呉竹のうき節を人にいひ、吉野川を引きて世の中を恨み来つるに、今は富士の山も煙立たずなり、長柄の橋もつくるなりときく人は、歌にのみぞ心慰めける。

 古よりかく傳はるうつにも、奈良の御時よりぞ廣まりにけむ。かの御時に柿本の人麿なむ歌の聖なりける。これは君も人も身を合せたりといふなるべし。秋の夕べ龍田川に流るゝ紅葉をば、帝の御目には錦と見給ひ、春のあした吉野山の櫻は、人丸が目には雲かとのみなむ覚えける。また山部の赤人といふ人ありけり。歌にあやしくたへなりけり。

 人丸は赤人がかみにたゝむ亊難く、赤人は人丸がしもに立たむ亊難くなむありける。

 (奈良の帝のおはむ歌、龍田河紅葉乱れてながるめりわたらば錦なかやたえ眺む。

人丸、梅の花それとも見えぞ久方のあまぎる雪のなべてふれゝば。

ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋が暮れゆく船をしぞ思ふ。

赤人、春の野に菫摘みにとこし我ぞの懐かしみ、ひとよねにける。

和歌の浦に潮満ちくればかたを浪あしべさしてたずなきわたる。)

 

この人々をおきて、また優れたる人も、呉竹の世々に聞え、片糸のよりよりに絶えずぞありける。

こゝに古の事をも、歌の心をも知れる人、僅かに一人二人なりき。然あれど、これかれ、得たる所得ぬ處、互いになみある。今この事をいふに、司位高き人をば、たやすきやうなればいれず。その外に近き世にその名聞えたる人は、すなはち僧正遍昭は、歌のさまは得たれども、まこと少なし。たとへば繪にかける女を見て、徒に心動かすが如し。

(朝緑いとよりかけて白露をたまにもぬける春の柳か、蓮葉の濁りにしまぬ心もてなにかは露をたまと欺く。

嵯峨野にて馬より落ちて詠める。何にめでゝをれるばかりぞ女郎花我落ちにきと他人に語るな。)

 

在原業平は、その心餘て、言葉足らず、しぼめる花の色なくて、匂残れるが如し。

 (月やあらぬ春や昔しのはるならぬ我が身ひとつはもとの身にして、大方は月をも愛でじ、これぞこのつもれば

人の老いとなるもの。寝ぬる夜の夢を儚み微睡めばいやはかにもなり勝るかな。)

 

 文屋康秀は、言葉は巧みにて、その様身に負はず。いはばあき人のよき衣着たらむが如し。

 (吹くからに野辺の草木のしをるればむべやまかぜ嵐をといふらむ。深草の帝の御国忌に、草深き霞みの谷にかげ隠してる日の暮れしけふにやあらぬ。)

 

 宇治山の僧喜撰は言葉幽かにして始め終り確かならず、いはば秋の月を見るに、暁の雲に逢えるが如し。

 (我が庵は、都の辰巳鹿ぞ住むよをうちやまとひとはいふなり。)

 詠める歌、多く聞こえねば、彼此通はして、よく知らず。

 小野小町は、古の衣通姫のながれなり、哀れなるやうにて強からぬ女の歌なればなるべし。

 (思ひつゝぬればや人のみえつらむ夢と知りせば醒めざらましを。

  いりみえでうつろふものはよの中の人の心の花にそありける。

  侘びぬれば身を浮草のねを絶えて誘ふ水あらばいなむとぞおもふ。そとはり姫の歌。

  わがせこがくびきよひなりささがにのくものふるまひかねてしるしも。)

 

 大伴の黒主はその様卑し。いはば薪負へる山人の、花の陰に休めるが如し。

 (おもひつゝぬればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを。

  かがみ山いざ立ち寄りてみてゆかむとしへぬる身は老いや知らぬと。)

 

 この他の人々、その名聞こゆる野辺に生ふる葛のはひ廣ごり、林に茂き木の葉の如く多かれど、歌とのみ思ひて、その様知らぬべし。かゝるに今すべらぎの天の下しろしめす事、四つの時九かへりなみなりぬる。普きおほむうつくしみの浪、八島のほかまで流れ、廣きおほむ惠の陰、筑波山の麓よりも茂く坐しまして、萬の政をきこしめす暇、諸々の事を捨てたまはぬあまりに、古の事をも忘れじにも傳はれて、延喜五年四月十八日に、大内記記友則、御書所の預紀貫之、前甲斐のさう官凡河内躬恒、右衛門の府壬生忠岑らにおほせられて、万葉集に入らぬ古き歌みづからのをも奉らしめてなむ。それが中にも、梅をかざすよりはじめて、郭公うを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、又鶴亀につけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩夏草か見て妻か戀ひ、逢坂山にいたりて手向を祈り、あるは春夏秋冬にもいらぬくさぐさの歌をなむ撰ばせ給ひるける。すべて千歌はた巻、名づけて古今和歌集といふ。かくこのたび集め撰ばれて、山下水の絶えず、濱のまさごの数多くつもりねれぱ、今は飛鳥川の瀬になる恨も間えず、さヾれ石のいはほとなろ喜びのみぞあるべき。それまくらこと葉は春の花にほひすくなくして、空しき名のみ秋の夜の長きを喞てれば、且は人の耳におそり、且は歌の心に耻ぢ思へど、たなびく雲の立居、鳴く鹿のおきふしは、貰之らがこの世に同じく生れて、この事の時にあへるをなむ喜びぬる。人麻呂なくなりにたれど、歌のこと止まれるかな。たとひ時うつり事去り、たのしびかなしび行きかふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散りうせずして、まさきのかづら長く傳はり、島の跡久しく止まれらば、歌のさまをもしり、ことの心をも得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて、今を戀ひざらめかも。