体調悪し、命に障りなし

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

1998年ドイツ旅行の次は

2011年09月22日 | 旅行
 その海外旅行は、2002年2月のオーストラリアですが、その前に私の人生観や趣味をすっかり変えてしまった「2000年宮古島」を話さなければなりません。
その後の海外旅行に大いに影響するからです。
東平安名崎の娘と義母です。
娘が河童だと気付き、海から取り戻そうとしているところです。この時点では、まだ私はまだ河童の仲間になっていません。
 
 娘がまだ赤ちゃんの頃から、主人は海に連れて行きました。私は母に小学生の頃無理矢理海に連れて行かれ、混んでいて汚い海水浴場と数日続く日焼けの痛さで、海は大嫌いだったのですが、主人に連れられ「娘のためなら~」と我慢して付き合っていました。母は私の日焼けには無関心でしたが、私は自分はもちろん、主人と娘の日焼け対策は徹底的にしました。主人はTシャツを着て首にはタオル、娘は水着の上から長袖ブラウス、短パン、帽子。せっかく海水浴に来ているのに、ちょっと異様ないでたちですが、おかげで二人とも翌日からの日焼けに悩まされることは一度もありませんでした。
 海嫌いの私は、浮き輪につかまって、海の上を浮遊するだけでした。赤ちゃんの娘は主人の強引なやり方(海水を飲んでしまい逃げようとしても「まあまああ~」と言って逃がしませんでした)にもめげず、私の娘にして海が大好きになりました。幼稚園前にスイミングスクールに入れましたが、泳ぐことより潜る方が好きだったようで、泳ぐことには熱心になってくれませんでしたけど、「辞めたい」とは言わなかったので、小学校卒業するまでに4泳法何とか泳げるくらいにはなったいました。
 そこで、中学一年生に、グアムに行くことになったのです。(7月20日前後の記事参照)
コメント
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