1月19日のblogに書いたスタニスワフ・レムの「ソラリス」をついに読破しました。小説を読んだのは久しぶりです。1日2・30分しか読んでいなかったのですが、高層マンションに缶詰(?)になった今日、「この小説を読むのは、この場所しかない!」という固い決意の元に、残りの4分の1を読んでしまいました。
1960年に書かれた、近未来の宇宙ステーションが舞台の小説です。「生きている海」が出てきます。人間の記憶を読みとり、過去を再生し、人間の体をも構築する事の出来る海です。
「何光年も離れた隣人」、宇宙における「人間の領域を拡張する道に立ち塞がった・・・」という記述も出てきました。
主人公の前に、自殺した奥さんが蘇ります。SF小説の形をとってはいるのですが、作者の言いたいことは、「記憶がすべてであって、この世に実体など無い!」、「夢こそが現実であり、今現在が夢なのだ(?)」と言った非常に哲学的な事のような気がします。
最後は、「期待と希望があるから、人間は生きるのだ!」と言う結論めいた事で終わるのですが、では「期待とは何か?」と考えて見ると、やはり「実体の無いもの」、「人間の精神作用・・・それが実体?」
「僕の身体など本当は無いのではないか、脳細胞がどこかの倉庫に保管されていて、夢を見ているだけではないのか・・・?」と言ったような事を、クリスマスイブも、正月も、ひな祭りも潰された、高層マンションのベランダから、シムシティ(コンピューターゲームの古典)を思わせる地上の風景を見下ろしつつ考えていました。
植木が風に飛ばされないように縛ってあるビニール紐の向こうに、マッチ箱のようなバスのテールライトが見えます。やがてそれも闇に埋もれ、宇宙ステーションを思わせる夜景が現れます。(FM放送で昔聞いたようなセリフだな・・・)
まさに「人間の領域は、ついにここまで拡張されてきたのか?」、と言うのが実感です。
1960年に書かれた、近未来の宇宙ステーションが舞台の小説です。「生きている海」が出てきます。人間の記憶を読みとり、過去を再生し、人間の体をも構築する事の出来る海です。
「何光年も離れた隣人」、宇宙における「人間の領域を拡張する道に立ち塞がった・・・」という記述も出てきました。
主人公の前に、自殺した奥さんが蘇ります。SF小説の形をとってはいるのですが、作者の言いたいことは、「記憶がすべてであって、この世に実体など無い!」、「夢こそが現実であり、今現在が夢なのだ(?)」と言った非常に哲学的な事のような気がします。
最後は、「期待と希望があるから、人間は生きるのだ!」と言う結論めいた事で終わるのですが、では「期待とは何か?」と考えて見ると、やはり「実体の無いもの」、「人間の精神作用・・・それが実体?」
「僕の身体など本当は無いのではないか、脳細胞がどこかの倉庫に保管されていて、夢を見ているだけではないのか・・・?」と言ったような事を、クリスマスイブも、正月も、ひな祭りも潰された、高層マンションのベランダから、シムシティ(コンピューターゲームの古典)を思わせる地上の風景を見下ろしつつ考えていました。
植木が風に飛ばされないように縛ってあるビニール紐の向こうに、マッチ箱のようなバスのテールライトが見えます。やがてそれも闇に埋もれ、宇宙ステーションを思わせる夜景が現れます。(FM放送で昔聞いたようなセリフだな・・・)
まさに「人間の領域は、ついにここまで拡張されてきたのか?」、と言うのが実感です。