12月8日は太平洋戦争開戦記念日です。
1941(昭和16)年の今日(12月8日)午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本海軍の空母6隻(赤城・加賀・飛龍・蒼龍・瑞鶴・翔鶴=艦載航空機399機“零式艦上戦闘機120機・九九式艦上爆撃機135機・九七式艦上攻撃機144機”)を主力とする第一航空艦隊「南雲忠一中将が指揮する南雲機動部隊=空母6隻の他に戦艦2隻(比叡、霧島)・重巡洋艦2隻(利根、筑摩)・軽巡洋艦1隻(阿武隈)・駆逐艦9隻(谷風、浦風、浜風、磯風、陽炎、不知火、霞、霰、秋雲)・潜水艦3隻(伊19、伊21、伊23)。他に特殊潜航艇を搭載した潜水艦5隻」がアメリカ合衆国の太平洋艦隊の根拠地であるハワイ・オアフ島の真珠湾を多数の航空機および特殊潜航艇で奇襲攻撃し、3年9箇月に及ぶ太平洋戦争が勃発しました。
第一波の空中攻撃隊は、赤城飛行隊長の淵田美津雄中佐(海兵52期)が指揮する艦戦43機・艦爆51機・艦攻89機の計183機、第二波の空中攻撃隊は、瑞鶴飛行隊長の嶋崎重和少佐(海兵57期)が指揮する艦戦36機・艦爆81機・艦攻54機の計171機でした。
この戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に完全に喪失し(戦艦の4隻沈没、4隻大破)、開戦劈頭にアメリカ軍艦隊に大打撃を与えて側面から南方作戦を援護するという作戦目的は達成しました。
しかし、元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていましたが、ワシントンの日本大使館が電報の解読に手間どり最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、アメリカへの通告が遅れたので、日本は国際法違反の非難を受けることになりました。 この通告の遅れにより、アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉としました。