Kamitage, Tsu City, Mie Pref.
さてさて、三重県津市の上多気を訪れたワタクシ達は、伊勢本街道の宿場街を
当時に思いを馳せながら歩いていました
。

伊勢本街道は大阪の玉造と、伊勢神宮を結ぶ街道でした。
江戸時代になると伊勢本街道は伊勢参りの旅人で、大いに賑わうんですよね
。

江戸時代になるとは五街道を初めとする交通網が発達し、参詣が以前より容易となりました。
世の中が落ち着いたため、巡礼の目的は宗教的な意味合いだけでなく、観光の目的も含んでいたようです
。

当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許されました。
特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあったから、
子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合は、親や主人はこれを止めてはならなかったんです
。

このような背景があって、伊勢参り(お蔭参り)が庶民の間で大流行するんですよ。
大阪から伊勢までは、通常の人で5日かかったそうです。
この上多気の旅籠にも、多くの旅人が宿泊したのでしょうね
。

そんな時代背景の中、十返舎一九は「東海道中膝栗毛」を書きました。
弥次郎兵衛と喜多八の二人が繰り広げる珍道中は絶大な人気を得るのですが、
ワタクシは小学生の時に子供向きに書かれた「東海道中膝栗毛」を、
本がボロボロになるまで読んだんですよねぇ
。

弥次さん、喜多さんは江戸から東海道を通り、お伊勢さんを参拝します。
その後、京と大坂を訪ねた後、江戸に帰っているんです。
弥次さん、喜多さんも、このような光景を見ていたのでしょうね
。

思えば、ワタクシが「旅好き」になったきっかけが、この本だったように思います。
「東海道中膝栗毛」に出会っていなかったら、ここまで旅好きになっていなかったかもしれません
。

GWに近くの図書館に行って、「東海道中膝栗毛」を借りてこようかな。
そんな気持ちになったワタクシでした
。
使用したカメラ:6枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
子供の頃に読んだ本のことって、いつまで経っても頭の中に残っていますね。
そう思うと、子供の頃に「素敵な本」に出会うことって大切だなぁと思います。
日本中の小中学校に、ちゃんと図書館司書を配置してほしいですねぇ。
財政の苦しい市町村には、司書がいない学校も多いと聞きました。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
さてさて、三重県津市の上多気を訪れたワタクシ達は、伊勢本街道の宿場街を
当時に思いを馳せながら歩いていました



伊勢本街道は大阪の玉造と、伊勢神宮を結ぶ街道でした。
江戸時代になると伊勢本街道は伊勢参りの旅人で、大いに賑わうんですよね



江戸時代になるとは五街道を初めとする交通網が発達し、参詣が以前より容易となりました。
世の中が落ち着いたため、巡礼の目的は宗教的な意味合いだけでなく、観光の目的も含んでいたようです



当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許されました。
特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあったから、
子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合は、親や主人はこれを止めてはならなかったんです



このような背景があって、伊勢参り(お蔭参り)が庶民の間で大流行するんですよ。
大阪から伊勢までは、通常の人で5日かかったそうです。
この上多気の旅籠にも、多くの旅人が宿泊したのでしょうね



そんな時代背景の中、十返舎一九は「東海道中膝栗毛」を書きました。
弥次郎兵衛と喜多八の二人が繰り広げる珍道中は絶大な人気を得るのですが、
ワタクシは小学生の時に子供向きに書かれた「東海道中膝栗毛」を、
本がボロボロになるまで読んだんですよねぇ



弥次さん、喜多さんは江戸から東海道を通り、お伊勢さんを参拝します。
その後、京と大坂を訪ねた後、江戸に帰っているんです。
弥次さん、喜多さんも、このような光景を見ていたのでしょうね



思えば、ワタクシが「旅好き」になったきっかけが、この本だったように思います。
「東海道中膝栗毛」に出会っていなかったら、ここまで旅好きになっていなかったかもしれません



GWに近くの図書館に行って、「東海道中膝栗毛」を借りてこようかな。
そんな気持ちになったワタクシでした


使用したカメラ:6枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
子供の頃に読んだ本のことって、いつまで経っても頭の中に残っていますね。
そう思うと、子供の頃に「素敵な本」に出会うことって大切だなぁと思います。
日本中の小中学校に、ちゃんと図書館司書を配置してほしいですねぇ。
財政の苦しい市町村には、司書がいない学校も多いと聞きました。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
本屋さんも閉店に追い込まれています。
小学校の国語の時間に工夫と期待をしたいです。
歩きでは無理なので、車か電車で(笑)
東海道中膝栗毛が、旅が好きになったきっかけ
なんですね。
素晴らしい出会いでしたね。
凸
電車で行っても遠く感じます。
昔の人はよくもまあ長距離を足で移動したものですね。
こんな楽しみ方があるんだと
思ってしまうな。
きっと、よっちんさんの頭の中は
ブラタモリ的な要素を求めて行動してるのでは無いかと感じずには居られないです。
応援!
マイカー(赤いジムニーでした)停
めて写真を撮った記憶があります。
何故かリバーサルでした。小中学校
に図書館司書を配置すべき、同感で
すが昨今の地域行政のように、既存
の図書館から司書を転用するのでは
なく、司書資格を持った司書教諭を
配置すべきと思います。専門職には
高い見識を認めた活躍の場を与える
べきです。その方が子供たちが良書
に出会える契機になると考えます。
昔 子どもたちを本好きにしたいと、
夫と手分けして、寝る前の読み聞かせを長年続けました。
今 その息子たちが「この本面白かったから・・・」とよく本を貸してくれますが、
目が悪くなったのと、根気がなくなったからか、どんどん本から遠ざかってる自分が情けない(;一_一)
車椅子に乗った父と母を、お伊勢参りに連れて行き、まもなく父は亡くなり、
母にも認知症が出て・・・
最後の親孝行の旅となりました。
お伊勢参りは何度か行きました
私の所からはかなり遠いですね
子供向けに書かれた「東海道中膝栗毛」何度も読んだのですね
この頃に読んだ本はかなり影響があるんでしょうね
応援ポチ!
大阪から三重県亀山市へ、何度通ったことか(^_^;)
古民家に住みたいと思ったのも
関宿で古民家が売りに出ていたのを
見たのがきっかけでした。
「こんな家が買えるんだぁ…」と
衝撃を受けたのを覚えています。
「街道筋は、人の受け入れもいいから、おいで!」
と言われて、その気になっちゃいました!
“東海道中膝栗毛”読んでみたいです!
応援ぽち
伊勢への街道、いいですね、その昔に
思いを馳せますね
子供のころは少年ケニアを読んでいました
ぽち!!