如風於空中一切無障礙
法事のときにお坊様が来て、むにゃむにゃとお唱えしてくださるお経文、
『法華経』の中の偈頌のひとつです.
如風於空中一切無障礙(ニョフウオクウチュウイッサイムショウゲ)
これを読み下しますと、風の空中にあるがごとく一切に障礙無き(とならん)
(とならん)は勝手に付け足したのですが、この下りを読んでみますと、
どうやら、この経(法華経)にしたがって生活をしますと、このようになる
と書かれているようです.実は私もよくわからなくて、あちこちのブログ
を渡り歩いてみましたが、十人十色のご意見に触れました.
そこで、私も自分なりの解釈をしてみました.
空中に浮かんでみますと、地上の煩悩から解放されるようです.
地上に降りてきたときから、また膠のような切っても切っても
なおくっつく煩悩に付きまとわれます.
だいたいこの世は、いいこと半分、悪いこと半分で構成されていると
思いますので、お酒でも夢でも、それに酔いしれたあとに、つまり、
いい思いをした反作用の力がどこかで充填されていて、それが、
いつか縁に従って、悪夢が発生するのではないかと思うのであります.
ですから、あとでいやな思いをするのなら、「始めからいらない」
と思うようになったのであります.
『ブッダのことば』(岩波文庫)第642番に
<快楽>と<不快>とを捨てて、清らかに涼しく、とらわれることなく、
全世界にうち勝った健き人ー彼をわたくしはバラモンと呼ぶ.
ブッダは、バラモン教の国と時代に生まれましたので、成道後も
バラモン教と共存していました.
さて問題は、<快楽>と<不快>とを捨てて、というところです.
やっぱり、<快楽>は捨てるのがブッダの道であるようです.
そのためには、意識を「空中」で生活している辺りに保っておくこと
なのでしょうか.