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経済的に苦しく不規則な食生活…体調を崩し学校の授業に着いていけない子どもたちの現実とは?

2022-01-07 17:22:00 | 日記

 


経済的に苦しく不規則な食生活…体調を崩し学校の授業に着いていけない子どもたちの現実とは?

 

日本では7人に1人。「貧困」が理由で夢を諦めてしまう子どもたちがいる現実。

日本は先進国でありながら「子どもの貧困率」が高く、貧困家庭で育つ子どもへの影響が問題となっています。 実に7人に1人の子どもが貧困の状態にあるといわれており、これは世界的にみても最悪のレベルです。

出典:厚生労働省「平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」/OECD(2016)Family database”Child poverty”

貧困が子どもへ及ぼす影響は大きく、学費の支払いが困難なために高校や大学への進学を諦め、就職する道を選ぶ人も少なくありません。

やりたい仕事に就けないなど、子どもたちが夢を諦めなければいけない現実があります。

また、こうした子どもたちは日々の食生活も不安定な場合も多く、成長期の子どもたちの健やかな成長に支障をきたしてしまいます。

このように貧困は勉強の機会を奪うだけでなく、子どもの人生を変えてしまうほどの大きな問題と言えるのです。

経済的に苦しく不規則な食生活で勉強にも影響が出てしまった、かえでさん。

中学校に通う「かえでさん」のエピソードをご紹介します。

かえでさんはお母さんと2人暮らしですが、かえでさんのお母さんは、病気を患っているため満足に仕事ができず、収入も少なく2人の生活は経済的にとても厳しい状態です。

病気のお母さんは食事を毎日は作ることはできず、そのためかえでさんは家で十分な食事を摂ることができない日もありました。

学校がある日なら給食がありますが、夏休みなど長い休みに入ると、給食も食べれなくなり、お腹を空かす日もあったようです。

不規則な食生活のせいか、体調を壊すこともあり、次第に学校の勉強もついていけなくなりました。家で、お母さんと言い合いすることも増えてしまいました。

「学校に行っても、勉強についていけない・・・」

「家にいても、居場所がない・・・」

勉強がわからなくなってしまい自分に自信が無くなっていき、 将来に希望を持つようなこともなくなっていきました。

 

かえでさんが出会った『放課後学校』

そんな中、かえでさんのお家のポストに、ある案内が届きました。それは、認定NPO法人「カタリバ」が運営する無料で通える『放課後学校』の案内でした。

不安はありましたが、休みの間も毎日ご飯が食べられること、一人ひとりに寄り添って勉強を教えてくれるところに惹かれ、かえでさんはその放課後学校へ通い始めました。

放課後学校に行ってみると、自分と似たような環境で育ち、同じ悩みを持つ生徒がたくさんいました。親身になって話を聞いてくれる、NPOスタッフやボランティアのお兄さん、お姉さんもいました。

勉強も学校も諦めかけていたけれど、放課後学校ではお兄さんお姉さんが教えてくれたり、応援してくれる。勉強が楽しくなった彼女は、毎日のように自習室に通い、遅れていた分も取り戻すことができました。

放課後学校に通うようになり、料理が好きなことに気付いたかえでさん。「栄養士の資格をとりたい」という目標ができました。今は、公立の高校で「食品科」があるところを目指して、日々頑張っています。

放課後学校にやってくる子どもたちの現実

多くの貧困家庭では生活を維持するために親の残業・夜勤が多くなるほか、収入を少しでも増やすために昼から夜遅くまで働き詰めになることも珍しくありません。

「カタリバ」にやってくる子どもたちは、そうした家庭で暮らす子が多く、『子どもが一人で食事を摂り、一人で寝る』という生活を子も少なくありません。

その結果、食事の栄養のバランスが偏ってしまったり、家では誰も話し相手がいない孤独感を感じたりと、身体と心への負担が大きくなる一方です。

こうした状況では、心身を成長させることができず、頭の働きが活発でなくなり、意欲も削がれてしまうために、学校の勉強についていけなくなってしまうのも容易に想像ができます。

放課後学校の活動内容とは?

「放課後学校」では、以下のような活動をしています。

①週6日、平日の夕方と休日の日中に子どもたちを迎える
②夕食を無料で提供する
③子ども一人ひとりに合わせた学習支援を行う
④貧困や孤独など、同じ悩みを抱える子どもたち同士が気を許せる関係を作る
⑤スタッフやボランティアが子どもたちの悩みに親身になって寄り添う

これまで誰にも不安や悩みを話せず、家で孤独に耐えていた子どもたちにとって、生活や将来への不安をスタッフに親身になって聞いてもらい、受け入れてもらえることが喜びとなり、新たな活力となります。

放課後学校では孤独や不安を抱える子どもたちに安心してもらえる関係性を築き、安らぎと明日への力を得るかけがえのない場所となっています

30秒で終わる「カタリバ」の活動に関するアンケートに答えて、無料でできる支援に参加しよう!

紹介したかえでさんの日常のように、子どもたち自身ではどうすることもできない家庭環境などの問題を抱え、自分の将来に希望を持てない子どもたちがいる…。

それが先進国である、日本の現状なのです。そんな子どもたちを支援している、認定NPO法人カタリバさん

子どもたちを応援したいと思ったあなたにもできる簡単な支援方法があります。

 

今なら、30秒で終わる3問のアンケートに答えていただくだけで、10円の支援金をカタリバさんに届けることができます。

支援にかかる費用は、サポーター企業であるgooddoから支払われるため、あなたに費用は発生せず、無料で参加できます!個人情報も不要で、取得なども一切致しません!

2021年10月末時点で、なんと41万人を超える方が参加してくださり、410万円以上の支援金をカタリバさんにお届けできています!

 

 

集まった支援金は、居場所支援での教材費用や、食事の準備費用などの、運営費用として使用されます。

 

▼「認定NPO法人カタリバ」 常務理事 鶴賀さんからのメッセージ

アンケートの内容は、私たち「カタリバ」の活動内容に関する簡単なもので、3問ですべて2択です。アンケートを通じて、私たちの活動をもっと知っていただければ幸いです。また回答内容は、今後の活動の参考にさせていただきます。

 

ぜひアンケートにご協力いただき、無料支援にご参加ください。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

 

「子どもたちのためになにかしたい!」

「子どもたちに笑顔を届けたい!」

あなたがほんの少しでもそうお思いなら、アンケートに答えて支援に参加してみませんか?

\かんたん3問!たったの30秒!/

最後に、支援を受けた子どもたちからのメッセージをご紹介します。(※)

●ご飯が1番の楽しみ
放課後学校に通いはじめてから、高いお金をおかけなくても、いろいろなことに挑戦できるということを知りました。私が一番楽しみにしているのはご飯です。お腹いっぱい食べて、幸せな気分になったあと、また勉強を頑張ることができます。放課後学校のおかげで、私達の興味は広がり、未来も広がり続けています。
●放課後学校は心の居場所です
放課後学校は、私の知らない世界を見せてくれたり、出会ったことのない人と巡り合わせてくれました。そんな経験をして、私の考え方は変わりました。自分のはるか上にあるような高校を目指し、結果、希望の学校に入学することができました。放課後学校と出会ったことで、勉強を頑張ることができたのはもちろんのこと、たくさんの人に出会い、たくさんの気持ちを知ることができました。

私たちの小さな積み重ねが確かに子どもの笑顔に、子どもたちの未来につながります。

\かんたん3問!たったの30秒!/

 


韓国の外交、踏んだり蹴ったり・・北朝鮮は北京に選手団送らず

2022-01-07 16:43:40 | 日記

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韓国の外交、踏んだり蹴ったり・・北朝鮮は北京に選手団送らず、米国は日本と北ミサイル関連会談を2回も行い、韓国とは会談せず

2022年1月7日

北朝鮮が、北京オリンピック・パラリンピックに参加しないと公式に発表しました。

もともと参加する資格もなかったのに、まるで「いろいろ考えてみたけど、やはり参加しないことにした」な内容です。

 

韓国側のメディアは、北朝鮮の不参加そのものより、文大統領最大の夢だった『北京オリンピックで終戦宣言』が不可能になったことを報じています。

率直に言って、「それ、まだ諦めてなかったのか」としか思えませんが・・記事を読んでみると、韓国内には、「それでも、それでも中国がなんとかしてくれる」と期待する声もあった、とのことでして(北朝鮮不参加よりこちらのほうが驚きです)。

 

ちなみに、北朝鮮がわざわざ「パンデミックのせい」としたのは、外交使節も派遣しないという意味だと、記事は分析しています。

 

また、北朝鮮のミサイル関連で、つい先『韓国の方に撃たなかったから挑発ではない』としていた韓国ですが(二日前の過去エントリー)、日米は直後に2回も会談を行ったものの、そこに韓国は呼ばれなかった、とのことでして。

踏んだり蹴ったり(文だりKったり?)な状態の韓国外交です。

以下、まずはニュース1から引用してみます。

各紙、<<>>が引用部分となります

 

<<北朝鮮が、来月開催される北京冬季オリンピックに選手団を送らないと明らかにした。

これまで政府が主力してきた文在寅政府『任期内終戦宣言』が、事実上、難しくなった。

7日、労働党機関紙 労働新聞によると、北朝鮮オリンピック委員会と体育省は、中国オリンピック委員会とオリンピック組織委員会、国家体育総局に手紙を送って、冬季オリンピック不参加の意を知らせた。

北朝鮮は「敵である勢力の策動と、世界的な大流行感染症の状況で、競技大会に参加できなくなった」とし「オリンピック祭りを用意しようとする中国同志たちのすべての事業を全面的に支持、応援する」と述べた。

手紙は5日、中国駐在北朝鮮特命戦権大使が伝達した。

国際オリンピック委員会(IOC)は昨年、コロナを理由に東京夏季オリンピックに参加しなかった北朝鮮に対して、今年末までオリンピック参加資格を停止した。

これにより、北朝鮮は参加資格が無かったが、一部では中国が外交的不参加を宣言した米国に対応し、北朝鮮の参加を引き出すこともできるという可能性が提起された。

しかし、北朝鮮は手紙を通じて選手団を送らないという意を明確に明らかにし、中国が北朝鮮参加をめぐってIOCなど国際社会を対象に説得作業に乗り出すという期待感も消えることになった。

「外交的参加」の余地は残っているが、実際に行われる可能性は希薄だ。

北朝鮮は新型コロナ国境封鎖を続けているし、中国は「ゼロコロナ」政策を維持する状況で、防疫面でのリスクを背負う可能性は少ない。

北朝鮮は北京オリンピック不参加の理由の一つとして「大流行感染症状況」にも言及した。

北朝鮮の不参加意思を公言したことで、南・北・中の首脳が北京オリンピックで一緒に立っている姿を見せ、「朝鮮半島平和プロセス」の動力を作ることは難しくなったと見える・・>>

 

ここからは文化日報です

<<北朝鮮が2月の中国北京で開かれる冬季オリンピックに、不参加を公式化し、文在寅政府が推進していた「終戦宣言」をはじめとする任期終盤の南北関係改善構想も、座礁された。

政府は5年間、北朝鮮を中心に外交戦略を組んで国際社会が推進する対北制裁には逆行する姿を見せてきた。

米国・日本など友好国が推進していた北京オリンピックに対する外交的不参加にも同調しなかった。

対北朝鮮宥和政策の推進にもかかわらず、北朝鮮の核・ミサイル開発は止まらず、北朝鮮との安定的な対話ラインもきちんと作り出せず、任期末まで北朝鮮の『アメとムチ』戦略にただ弄ばれただけだ、との指摘が出ている。

政府は過去5年間の対北朝鮮政策で朝鮮半島に緊張が緩和されたという立場を繰り返している。

しかし、北朝鮮は各種ミサイル開発を通じて挑発を多様化・高度化させており、2020年6月には南北共同連絡事務所を爆破するなど挑発を繰り広げた。

政府の対北朝鮮中心対外戦略は、同盟国との関係にもありえない気流を作った。

北朝鮮が極超音速ミサイルを発射した(5日)あと、トニー・ブリンケン米国務長官は、林芳正日本外務相と6、7日連続して会談を行い、北朝鮮に対する今後の対応と状況管理問題を議論したが、そこに韓国は含まれていなかった>>

 

でも、文大統領の支持率はまだまだ40%を維持していて、単純比較は難しいにせよ、次期大統領候補の支持率よりも高いんですよね、これが。

口では「統一なんかどうでもいい」とする人が多いけど、幼かった頃から『民族』関連の教育を受けて育ったせいか、どうしても北朝鮮との平和プロセス、韓民族の真の姿(合体?)、そんな言葉に強い未練を持っているのでしょうか。

 


命がけの激烈な歴史 全斗煥氏

2022-01-07 16:15:32 | 日記

命がけの激烈な歴史

2021/11/27 07:00黒田 勝弘

外信コラム

全斗煥氏(聯合=共同)

韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が亡くなった。

思い出すことが多い。

筆者は1978~79年に韓国語学留学をして帰国したが、79年10月26日に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件が起き、11月3日の国葬で弔問特使の岸信介元首相に同行して戒厳令下のソウルに着いた。

年末まで滞在を延長し、全斗煥国軍保安司令官や盧泰愚(ノ・テウ)第9師団長ら若手が軍部の実権を握った「12・12粛軍クーデター」にも遭遇した。

80年5月の「光州(クァンジュ)事件」で産経、朝日、共同通信など多くの日本メディアの支局が閉鎖された後、全斗煥将軍が大統領に就任した80年9月にあらためて特派員として赴任。全政権下で時代を共にした。

実にいろんなことがあった。最も印象に残るのが83年10月、全大統領外遊中のビルマ(現ミャンマー)での北朝鮮工作員による暗殺未遂事件。

遠隔操作の爆弾テロで外相ら4閣僚を含め計21人が爆死した。

大統領夫妻は命からがら帰国。

軍内部では対北報復として平壌爆撃論があり、血判状も回されたが全氏はこれを抑えた。

政権末期の87年11月には北朝鮮による大韓航空機爆破テロ(乗客乗員115人死亡)もあった。

反政府デモを含めとにかく激烈だった。

国や政治をどうするか? それに北朝鮮のテロも加わりみんな命がけの時代だった。(黒田勝弘)