「体感定年51歳」韓国で仕事を辞めた人達のその後
菅野 朋子 :ノンフィクションライター
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「韓国の定年年齢って、50歳ですよね?」 最近、日本の知り合いから立て続けにこんなことを聞かれた。
先日、論争になっていた新浪剛史サントリーホールディングス社長の「45歳定年制」発言を受けてのものだった。
現在、韓国の定年年齢は法的には60歳だ。
2013年に法改正が行われ、55歳から5歳引き上げられて、2016~2017年にかけて規模にかかわらず全企業に定年60歳が義務づけられた。
しかし、実際に60歳の定年まで働く割合は3割ほどといわれ(就業プラットフォーム「サラムイン」調べ、2019年7月)、しかも韓国の人が感じる“体感定年年齢”の平均は51.7歳。
大企業では49.5歳という結果が出ており(就業プラットフォーム「ジョブコリア」調べ、2021年10月)、定年50歳といっても当たらずといえども遠からずの感じだ。
■役員になれないとわかってすぐに辞めた
もちろん60歳の定年まで勤め上げる人もいる。
けれど、筆者の周りを見ても早々に退職してしまう人のほうが多い。
そんなに早く辞めてしまった後はどうするのか。
早期退職後は本屋を立ち上げたり、作家になったり、ボランティアにいそしんだりとさまざまなケースがメディアでは紹介される。
また、チキン屋をオープンさせるという都市伝説のようなものが韓国にはあるが、実際のところはどうなのだろう。早期退職した人に話を聞いてみた。
パク・ガンホさん(58歳、仮名)は6年前、52歳のときに会社を辞めた。
役員に昇進できないとわかり、すぐに退職を決めたという。
韓国で大手といわれる流通企業に新卒から勤めた。
「うちの会社では55歳からが『賃金ピーク制度』の対象となり給料が半分になりますし、役員になれない社員が気持ちよく働けるような雰囲気でもなかった。
たいてい後輩の下で働くなんてまっぴらという人が多いですが、私もそうでした」
賃金ピーク制度というのは、定年を前に給与が半分近く削減される制度だ。
企業によってピークになる年齢は異なるが、定年年齢を60歳に引き上げた際に給与の調整も可能となり、現在では中堅から大手企業の7割ほどがこの制度を取り入れている(大韓商工会議所より)。
■40代になったときに同期はかなり減っていた
韓国で50歳を前後に退職する人の中で、パクさんのように「役員に昇進できなかったため」という理由を挙げる人は多い。
「40代半ばくらいまで順調に昇進していくと、みんな自分は役員になれると思うんですよ(笑)。同期は170人ほどいて、節目節目で昇進できないとわかるとみなパラパラと途中で転職していきます。40代になったときにはかなり減っていましたから、生き残ったと思ってしまった。
先日、役員になれずに定年前に辞めてしまった同期と会ったら、みんな自分は役員になれると思っていたそうです。
結局役員になれなかったほとんどが私のように会社を辞めました。
残った同期もいましたが、結局はいづらくなって辞めてしまった。
みんな55歳前には会社を辞めていますね」 パクさんは役員になれるだろうと思っていたため、退職後の具体的なビジョンはなく、退職後の準備もしていなかったという。
「正直、日々の仕事で精一杯で、そんなことを考える余裕なんてありませんでした。みんな同じようなことを言っていました。私の場合は、役員になれなかったらそのときにその先を考えようなんて思っていましたし」
退職後は当面は失業保険でやり過ごすことにし、まず、知り合いに仕事があれば紹介してほしいと声をかけ、60歳以降の生活費を準備することから始めた。
そして、失業保険の受給期間が折り返しに入ったころ、勤めていた会社が退職者に優先して店舗の場所を提供してくれる制度を利用して、スポーツシューズの販売店をオープンさせた。
失業保険が支給されている間は奥さんが代わりに店を切り盛りしたという。 利益もまあまあ出たし「面白かった」が2年ほど続けて閉店した。
優先制度が終わり店舗の家賃も上がったためだ。その後は声をかけていた先輩が立ち上げた靴下の製造・卸企業に声をかけられ、就職した。
「ここは8カ月ほど働いたでしょうか。途中でお世話になった別の先輩が中堅企業の役員になって海外事業で流通に長けている人を探していると引き入れてくれて、その会社で2年ほど海外事業を任されました」
引き入れてくれた先輩がその会社を退職することになり、パクさんも同時に退職。その後はしばらく休みたいと思い、現在は仕事をせずに50代以上の離職者を対象にしたソウル市の文化センターでYouTubeの作り方を習ったり、紹介してもらったボランティア活動に参加したりと自適な生活を続けている
■老後資金のための不動産と株式投資が盛ん
こんな暮らしを可能にしたのは、退職後すぐに60歳以降の生活資金を組み立てたからだという。
現在、パクさんのひと月の生活費は400万ウォン(約40万円、1ウォン=0.1円で計算)ほど。
家族は専業主婦の妻とソウル市内の大学に通う大学4年生の息子がいる。
子息の学費は、勤めていた会社が退職後10年間は学費を支払ってくれるシステムになっており心配がない。
こうした福利厚生は企業によってもちろん異なるため、パクさんは恵まれたケースだろう。
また、働いていた頃の年俸は1億ウォン(約1000万円)を超えていたため貯蓄もあり、退職金などを元手に不動産投資もできている。
生活費400万ウォンの内訳は大まかに、個人で加入していた2つの年金と所有しているマンションからの賃貸収入だ。
マンションは退職金などから購入した。
これらの収入に時々、運用している株取引での収入が加わり、さらに国民年金の支給が5年後(63歳から)には始まるという。
パクさんが6年前に52歳で受け取った退職金は慰労金という特別手当も含めて3億ウォン(約3000万円)ほど。
ほかの韓国企業の退職金の中でも高額の部類に入る。
韓国では、1953年に退職金制度が導入され、社員数の規模により導入は段階的に法律で義務化されてきた。
対象者は1年以上勤務した者で、4週中1週の平均労働が15時間以上の者とされ、雇用者が1人の企業にも導入されている。
さきほど触れた不動産投資は韓国では老後の資金づくりのために行う人も少なくない。
ただ、最近は、不動産の高騰により株式取引に移っているといわれている。
パクさんと同じように早期に退職した同期たちは今何をしているのかと聞くと、中小企業、保険の外交、カフェ経営、株式取引だった。
役員に昇進したが定年前に退職したケースももちろんある。
クォン・ソンジュンさん(63歳、仮名)さんは、大手百貨店の食品バイヤーとして働き、役員の任期が切れた後、それ以上の昇進が見込めないとわかった55歳のとき、退職した。
大手企業で役員まで務めたため、当時は皆からうらやましがられ、退職後の心配もあまりしていなかったという。
「会社で働いていた頃は辞めた後はうちに来てください、なんて出入りしている複数の業者さんにいわれて、真に受けていました。辞めてもどうにかなるだろうと思っていたら、甘かったです」
クォンさんはそういって苦笑いする。
退職した直後は会社が紹介してくれた下請け業者に就職し、その後、同じような中小企業を転々とした。
「私がその会社にいるメリットは、百貨店時代の人脈を生かして取引ができるようにすることですから、年を追うごとに、どんどん人脈がすり減っていく私にはそんな力もなくなってしまった」
現在最も負担になっているのはアメリカに留学した娘2人の学費と生活費だ。
仕送りは年間でおよそ5000万ウォン(約500万円)ほどかかっているという。
「子どもが行きたいというのをあきらめてくれとはなかなか言えないでしょう。貯蓄もまだありますし、働けるうちはもう少しがんばろうと思っています」
■宅配もやったが、体力が持たず クォンさんは中小企業での就職も厳しくなり、思い切って宅配の仕事をしていたが、体が持たず、今は食品加工会社で豚肉をスライスする仕事をしている。収入については教えてくれなかったが、月に300万ウォン(約30万円)ほどだと推算される。
クォンさんも不動産を保有しているが、両親の介護費用も加わり、自身の老後の資金はないと話していた。
それでもクォンさんも恵まれたケースだろう。
思わぬ事態に陥った人もいる。
警察大学を卒業しエリートといわれたソン・ジュンギさん(58歳)は警察署長まで務めたが、52歳のときに昇級がかなわず、階級定年となり退職した。
退職金もあったし貯蓄もあったので運用していけばどうにかなるだろうと漠然と安心としていた。
ところが、予想外のことが起きた。妻が詐欺に遭い、財産のほとんどを失ってしまったばかりでなく、借金まで抱えることになってしまったのだ。
今さらながら、妻から投資の相談を受けたときよく調べもせずに生返事をしていたことが悔やまれると何度も口にしていたが、現在は、一念発起、ソウル市郊外で豚の飼育を行っている。
詐欺に遭ったのが豚の飼育に関連する詐欺だったこともあり、飼育せざるをえない側面もあったようだが、何も考えずに黙々と仕事をしていると話していた。
最近、韓国の統計庁は、28歳から働くことを想定すると(兵役義務などを考慮した設定年齢)、韓国では44歳で「黒字人生」のピークとなり、60歳を超えると勤労よりも消費が上回る「赤字人生」に入るというレポートを出した。
2010年には39歳が「黒字人生」のピークとなり56歳で「赤字人生」に入ると調査されていたが若干年齢が上がった。これは働き始める年齢が遅くなり、また定年年齢が60歳になったことも関係しているのではないかといわれる。
OECD国家の中で韓国は65歳以上の高齢者の相対的な貧困率がもっとも高い(2018年)。
世界でも類を見ないスピードで高齢化が進んでおり、その速度は日本の2倍。
国民年金制度ができたのも1988年と日本よりも20年あまり遅く、支払額が少ないため当然支給額も少なく、日本の2分の1ほどだといわれる。
加えて最近の物価高は日本以上なので厚生年金と合わせてもとうてい年金だけでは暮らしていけない。働かざるをえない環境なのだ。
■20~30代も定年後の準備をしている
クォンさんはこんなことを言っていた。
「正直、日本がうらやましいですよ。60歳までは会社が守ってくれて、その後も働けるような環境にあるわけでしょ。韓国は20~30代の声が強くなってきているし、“老兵は去るのみ“という風潮がありますから」
半導体大手のSKハイニックスでは給与に不満を持った入社4年目の社員が同社代表に直接メールを送り、「成果給算出方式と計算法を明らかにしてくれ」と迫り、結局、同社は「成果給の財源を営業利益の10%とする」とした。
今回、話を聞いたのは1960年代生まれの人たちだったが、子女世代の20~30代は「公正さと平等」に敏感な世代といわれ、企業でも彼らの声も大きくなっている。
この世代に定年後の準備について尋ねた調査でも、「準備している」という回答は5割以上あった(前出、ジョブコリア調べ)。
最近、20~30代で人気なのは株式投資だ。
韓国はこれまですさまじいスピードで経済成長を成し遂げながら、変わることで発展してきた。その代わり古い価値観はどんどん消え去り、かつてのように子どもが親の面倒をみるといった光景は珍しいものになっている。
退職後の人生設計もあと5年後くらいにはまったく違った話が飛び出てくるような気がしている。
菅野 朋子 :ノンフィクションライター