韓国に「道徳」が存在するかどうか、微妙なところです。もちろん、中国にはあり得ませんが・・・・(笑)。
(1)まず「韓国には道徳がない」とする説ですが
- かつてあったけれど、今は、ない
- かつてもなかったし、今も、ない
1.は微妙なところで、かつては「あった」と信じたいところですが、今も厳然として残る地域対立ですから、「かつて」道徳はなかったと言うほうがよさそうで、あくまでも理想上の「道徳」が発達しただけで、言葉の上だけの「道徳」でしょうから、私は2.のほう(韓国には、昔も今も「道徳」はない)に軍配をあげたいと思います。
(2)つぎに「韓国には道徳がある」とする極めて少数?の説
- かつてもちゃんとあったし、今もある
- かつてはなかったけれども、今はある
- 朝鮮半島には、かつても、いまも、独裁政権に必要な「道徳」を別とするなら、「道徳」は存在しなかった
- 部分的には「道徳」が見られるでしょうが、あくまでも国全体としての判断であることを補足しておきます。
さてニュース記事に眼を通しましょうか。
韓国、「道徳性」を備えた首相候補探しが難航=「ある程度は大目に見ないと決まらない」「掃き溜めに鶴なんているわけない」―韓国ネット
2015年5月15日、韓国日報は、朴槿恵(パク・クネ)大統領の首相後任探しの悩みが長期化していると伝えた。:Record China 2015年5月16日
これは、
前首相の李完九(イ・ワング)が金銭にからむ問題で辞任したため、後継の首相選びで難航している朴槿恵〔パク・クネ〕政権の苦悩を伝えたニュースです。
例によってこの記事の末尾にまとめられている無責任なネットユーザーの発言には何の信頼性もありませんが、何らかの傾向が見えるかも知れません。
- 首相さえ決められないのか
- はきだめに鶴がいるはずはない
- この国では道徳があれば首相までは上がれないから適任者はいない
韓国言論界重鎮 韓国人は日本人より優れているとの思い込み
日本による韓国の植民地統治には功罪あった。だが、韓国の人々が日本式の近代教育を受け、多くのことを日本から学んだことは事実である。しかし、戦後の韓国は日本を否定し、日本から学ぶことを拒み続けてきた。祖国の未来を憂う韓国言論界の重鎮、漢陽大学名誉教授の金容雲氏と作家の柳舜氏が「日本に学ぶことの意義」について意見を交わした。
柳:韓国で自国の批判をするのはとても勇気のいることですが、金先生はこのような企画に登場して大丈夫ですか?
金:ご心配ありがとうございます(笑)。私は日本から学ぶべきことはきちんと学ぶべきだと考えていますし、韓国の未来のためにも、この場であえて苦言を呈することにしました。まず指摘したいのは、韓国人は文化や道徳、倫理などすべての面において「日本より優れている」という思い込みがあることです。
柳:と言うよりも、韓国人には「日本より上にありたい」という願望があるのではないでしょうか。韓国人は、現実的に日本に追いついていないことを分かっているはずです。問題なのは、そうした願望が強すぎて事実を直視できなくなっているということです。:SAPIO 2015年8月号
日本生まれで
今では韓国に住む高齢の韓国人二人〔その一人が柳舜夏(ユ・スンハ)〕の発言ですが、これが今の韓国の主流とは言えないことに留意したいと思います。
韓国人が、「日本人より優れている、と思い込んでいるのではないか」、という視点は、やや自分を遠くから見つめられる人でないと分らないようです。
「日本より上でありたい、という願望が強すぎて、事実を直視できない」という庶民感情を政治家が煽(あお)る、こうして議席が得られます。
このままだと朝鮮半島は永遠に低レベルの周辺をさまよい歩き続けるのかも知れません。
もちろん、そんなことはないとは思いますが、今のままだと、そんな予言さえしたくなるのです。
尤も、
かりに韓国が中国の1省になってしまえば、もうすべてはおしまいで、浮き上がることができる「低レベル」から、2000年の歴史のように「はい上がれない地獄」に落ちる、ということです。
セウォル号事件やMERS(中東呼吸器症候群)問題で、韓国の行政機能不全が指摘されました。一言でいえば「韓国社会の腐敗」でした。
困難ですが、まだ微かではありますが、改善するのぞみはあったのです。
しかし中国に吸収されてしまうと、もうダメでしょうね。そしてその危険が、目前に迫っています。さていつ目が覚めるか、楽しみにしながら注視していきたいと思います。