本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。
ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典を明示し、あればリンクも用意しています。
- どんな中国人にも両親(りょうしん)は存在するが
- どんな中国人にも良心(りょうしん)は存在しない
中国人社会で人間関係の本質を表すものに「才能ある者は早死にする。良心ある者は社会で孤立する」の諺がある。中国社会には良心は存在しない。
米国人アーサー・スミスは長い間、中国に滞在したが、著書「シナ人の性格」によると、中国で良心を探し出すことはできなかったようである。中国人が中国人である限り良心が生まれないという。:中国あれやこれや⑱
上の書物は、こちらでは次のように記されています。
A.H.スミス『支那的性格(Chinese Characteristics)』New York and London, 1890, Revised Edition 1894 の邦譯。
Arthur Henderson Smith博士 (1848-1932)
Wikipediaでは
「アーサー・スミス・ウッドワード(Sir Arthur Smith Woodward、1864年5月23日-1944年9月2日)はイギリスの古生物学者。」
とされていますが、これは同名の別人なのでしょう。
欧米人にも同姓同名が時折みられるため、真ん中の名前も引用しておくのが無難なところですね。
そういえば
古代中国でも、「まともそうなこと」を述べた賢人たちは常に野に下っていました。
中国では
「良心ある者は、社会で孤立する」ので、権力の中枢には存在できず、野に下らねばなりませんでした。これは共産党が中国全土を支配してからではなく、中国4000年の長きにわたって培ってきた
香(かぐわ)しい言葉 そして ミジメな現実
さしずめ
立派な無数の同胞中国人を虐殺・粛正・処刑してきた結果、現代の中国共産党の幹部などは「カス」ばかりになってしまい、それを示す証拠がこれまた無数にみられます。立派な芽をもった中国人は、今でも野にたくさん生きているのでした。
「カス」の「カス」たるゆえんは
自らの暴力的・独善的な蛮行のため、恨みを根にもつ庶民によっていつ革命を起こされるか分らないという恐怖のあまり、鵜の目鷹の目で庶民を監視しつづけ、時あらばこれら賢人を一網打尽にしようと、あの手この手を編み出し手ぐすねを引いている
ところに、みられます。こういう暴力的組織の幹部は、気が休まる時がなく、いつもいつも人間を警戒し続けなければなりません。
近年、中国共産党も
「テロ」防止、などと勝手なことを言い始めていますが、シリアのアサド政権同様に、「中国共産党の暴力行為そのものがテロではなかったか」、という歴史展望がまったくないのが、いかにも独裁政権らしいところ。
また
こういった自業自得とも言える「反乱を防止するための監視体制」に膨大な出費を強いられていて、それでなくても大変な財政状況をいっそう破綻させつつあります。
そして賢人たちのみならず中国の庶民たちも
無頼な中国共産党からさえ暴利をむさぼろうと、これまた虎視眈々と狙っています。そんな中国暗黒社会から顔をそむけ見ぬふりをしている日本人がまだまだいるようで、つらいですね。
余談ですが、同じ「たんたん」とはいえ、担担麺〔たんたんめん〕と虎視眈々〔こしたんたん〕とでは、字を使い分けています。
中国の本質は、
「夢か現(うつつ)か」の区別ができない〔夢か現か〕
ところにあります。
日本には、こういうのを混ぜ合わせた「理解とはいいがたい中国理解」に留まっている御仁が多いらしい(大笑)。
日本には
中国の負の現実に触れないことが「立派な人間のあかし」と考えている人がいて、どこかイビツ。
これらの人たちは、現在の中国で、どんなにひどいことがあっても、見て見ぬふりをしなければなりません。なぜならば、見てしまったら「動揺」するからですね。
「そういう汚点は、どこにでもある」で一件落着にしたいようで、そのように遠い隣国の深刻な問題を「針大棒小」に扱い、自国の事柄を必要以上に「針小棒大」に扱う、こういう特色があります。
今や那覇市市長から沖縄県知事になった翁長雄志さえ「いっさい、中国に触れない」方針を堅持しているらしいのですが、あまりにもレベルが低いとしか言いようがありません。
私が中国の問題点を述べると「いつから中国が嫌いになったのですか」と聞かれます。私は「できるだけ現実を正確に述べようとしてきただけで、好き嫌いで物事を判断しないよう努めてきた」つもりなのに、「いつから嫌いになったのですか」とは、まるで「私が中国を嫌っている」のを前提としているようです。
たとえそんな程度の判断であっても、私は尊重しますが、あまりにも現実と大きく違っていると、不信感さえ芽生えてきます。
私は、反中国をあおっているわけではなく、ただ現実をみましょう、と述べています。
しかし現実を見てしまうと、自分の判断力が落ちると考えた人は、現実から顔を背けてしまうようで、これはいけません!
現代の中国には、二重の問題があります。
- 中国4000年の歴史に「客観性」が欠如しているという「いびつさ」がある
- 現代中国では、中国共産党がその「いびつさ」を強化して独裁・弾圧を続け、政権を手放す気配がない
おわりに 中国人の「毒」には「毒」で対処する
ここまで個人・社会・国家における夥しい数の具体例を挙げて、中国人の行動原理を見てきたわけだが、その根本となる基準が「利得」という単純明快なことであることは理解してもらえただろうか。
中国古来のことわざには、「鳥は餌のために生き、人間は利のために生きる」というものがあるが、それはまさに、中国人にとって「利益最大化」が万古不変の原則であることを物語っている。
そのため、中国人は自分以外の森羅万象すべてのものが、利益を最大化するために利用すべき道具と考えている。方便としてのウソや見せかけの涙はもちろん、友情や愛情、他人の善意、賄賂、騙し、桐喝、そして権力や神様も道具でしかないのだ。さらに、いざとなれば、親も女房さえも平気で利用していく。
そして、それらのものが一旦、利得追求の邪魔となれば、平気で切り捨ててしまう。良心など存在しない。良心は「利得」の邪魔でしかないからだ。
ほかにも、義理や人情、プライド、美学、他人への遠慮、周囲の目といった日本人が「美徳」とするものはすべて無用の長物なのである。だから、約束は平然と破るし、ルールも自身にとって不都合であれば守らないのだ。
中国人にとって、「神の定めたルール」に気を使う西洋人や、良心や美徳を大切にする日本人の行動などは、単なるバカに映っている。
「そんなものに従って行動していても1文にもならないのに、なぜこだわるのか」中国人は、ただただ嘲笑っているだけなのである。:P.219-223 石平「中国人の正体」宝島社 2011/07/01 第1刷発行
たしかに
「道徳など必要ない」と考えている中国人に「道徳の欠如」を説いても始まりません。
日本人が中国人を見ていると、さまざまな点で「異様」を感じ、「道徳の欠如」を痛感しますが、4000年もの長きにわたって「道徳」をばかにしてきた民族に「道徳」を説くのは意味のないことでした。
事実、日本人が中国人の問題点を指摘するのを聞くと、多くの中国人は、その内容に触れることなく「偉そうに小日本・日本鬼子が何をぬかすか」と反発するだけで、この自惚れ民族はもう永遠にだめだ、と誰もが思ってしまいます。
「道徳」というものは、中国社会では、あくまでも言葉として存在するだけで、「道徳」が中国社会に実存したことはなかったのですね。
では、どうすればいいか。
中国四川省出身の石平(せきへい)は、「中国人には深入りするな、深入りすると必ず損をする」と述べています。自分以外をすべてだまして儲けようとする民族の一端を如実に示す言葉で、何でもないようにみえ「蓋(けだ)し名言」というところ。
これからの社会では、中国人とまったく付き合わないことは無理でしょうから、一定の距離をたもっておくのがよい、という意味にとらえました。
- どんなに指摘されても「個人で株式に投資」する人がいますから、「それでも中国と商売をする人」がいても、不思議ではありません。そんな中国からでさえボロ儲けしたい人がいるものなのです。まぁビョーキのようなものですが・・・・。
- そういう人の場合、日本人的な「良心」「道徳心」などがあってはいけません。他人を威嚇したり恫喝できる人だけ、中国人とやりあう資格がある、と言えます。はいお疲れさん、次のかたどうぞ! がんばってくださいね。
これらの人は、やがて法の下に屈することでしょうが、裏の世界でおきばりやす!
では最後に、どうすれば中国がまともな国になるか、という方策ですが
- ロシアの衰退を見ていますか。このままだと、次は中国の番ですよ。
- え?、分ってるって? わかっちゃいるけど、止められない、ですか(笑)。
- その尊大さを教育で薄める以外には、なさそうですが、中国共産党がそれを許すはずがない、というところ。
もっと現実的な方策をあげるならば
中国で、57民族が一斉に独立するというのは、いきなりは無理でしょうが、少なくとも10ほどの国家に分割し各国が自分自身の国をいっしょうけんめいに磨くこと、です。これしかありません。いわば「連邦制度」か、または今の形程度の「共和国(中華人民共和国)」とはまったく異なった、「独立」した共和国制度にして、独裁・弾圧をなくすこと。
今のまま、暴力的に拡張した広大な地域を、武力で維持できると思っている限り、中国には「良心」など芽生えるはずがなく、よって「まとも」な国にはなり得ず、永遠に年間暴動10万件が続き、この鎮圧に最大限の国防費を費やすはめに陥り、いつまでたっても周辺国から一目おかれるようにはならないどころか、必ず財政的に崩壊するでしょう。
経済的破綻の実例を具体的にあげるならば
- 人民解放軍兵士や官公庁職員への給料未払いで、命令系統に支障が発生し、それでなくても悪かった治安がさらに悪化し、いたるところで暴動が発生し、それを今まで通り武力で弾圧・鎮圧できなくなる。
- また銀行などの金融機関で資金回転が不可能になり、これにたよっていた企業や庶民が一斉に騒ぎを起こし、各地で無数の掠奪・暴行が発生し、目も当てられないほどの社会混乱に至る、などなど。
- この期に乗じて、中国での反政府勢力が「待ってました」とばかり大規模なテロを敢行し、実質的に中国共産党・中国人民解放軍が機能しなくなるとともに、外国へ支援を求め、事実上、中華人民共和国が崩壊します。こうなると、シリアのような複数の反政府勢力による内戦状態が、規模を大きくしたかたちで中国に訪れます。歴史を少しでもかじれば分るように、広い中国であっちこっちに軍閥が跋扈(ばっこ)する時代へ逆行し、EUへのイスラム教難民問題など、ニュースとしては霞んでしまうことでしょう。ギリシャの財政問題がイスラム難民問題へ表にでなくなるなど、次々と問題が起こるものなのですね。
- ムバラク(エジプト)やカダフィ(リビア)などを見ていて分りますが、長期に渡って独裁を続けてきた国の「独裁のタガ(箍)」がはずれると、間違いなく大混乱が発生します。中国の場合なら、かつての(「現在の」という意味ですが)中国共産党による、人権無視・暴力的な弾圧のほうがまだマシだった、と述懐するであろうほどの大混乱。こういう勘ぐりは「悩ましい」ですね。
- レベルの低い「悩ましさ」のようにみえますが、「これを庶民に知らせると大混乱が起こる」と隠蔽し始めると独裁が始まるものですから、この「悩ましさ」はどの国にも起こり得る、と思うほうがよろしいかと。
- 「中国共産党は崩壊したほうがいい」とは多くの人が考えることでしょうが、そのあとで発生するに違いない大混乱まで心配する人は、そう多くはないと思われます。
その中国のほころびが出始めて久しいですね。
- 経済破綻〔ねつ造した統計数値〕・・・・海外企業がどんどん撤退
- 独善的な埋立て領土化・・・・いよいよ制裁対象か
- 年間の暴動10万件とされる治安の悪さ〔反日暴動など昨日のように思い出されます〕
- そして今回のテーマである「良心の欠如」
- 最後に中国共産党と異なる意見を認めないことに起因する、もう無数の暗黒部分・・・・これがもっとも解決困難な「恥部」なのかも?
- 「どんな形であれ、そこの国民が政府を選ばねばならない」からです。
- 現実に「選べない」仕組みがあるとしても、です。
- 中国人にはあり得ない「良心」に期待するのは、決してまちがってはいない、と信じています。