誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
弱者は人間として生きていけない
とにかく、世の中には上下だけがあるわけではありません。どちらが上なのかではなく、ただ「自分と異なるだけ」という対象がいくらでも存在しています。
上下というのも、組織(会社とか)でのシステム維持や、その場での礼儀のためのものならともかく、韓国のように「身分制度」もどきにまで堕ちてしまうと、もう迷惑でしかありません。
「異なる」を認めず、「上か、下か」があるだけ。上には上が、下には下がある。それが韓国です。弱者は、韓国では人間として生きていけません。
:P.209 シンシアリー「韓国人による沈韓論」扶桑社2014年9月22日初版第3刷発行
シンシアリーのいう
韓国には、「異なる」がなく「上か下か」があるだけ
というのを、私は別の言葉
韓国には「多様性がない」
としてきましたが、考えてみると確かに、「異なる」がなく「上か下か」があるだけ、とするほうが、意味がよく伝わってくるようです。
韓国では
「結束」を弱めることを嫌い「異なる」を許さず、ただ上か下かだけを残して結束を強めているのでしょうか。
外部に敵を作って内部の結束を高める
というのは伝統的な手法ですが、それを知らない国民が多い場所でのみ有効です。
もしもその社会が見かけ倒しの「結束」にとらわれている
とするならば、とりもなおさず「為政者がその地位にあぐらをかき民衆のための政(まつりごと)をしていない証拠」となり、社会が成熟しておらず、いまだ発展途上にある、と考えていいと思われます。
「異なる」を認めることで
- たとえ多少の「結束」が弱まったとしても
- まちがいなくその社会で人権が改善される
と言えます。そうなんです、はっきり言えば
韓国には、「人権」など存在しない
のでした。
韓国での「人権」は一部の人だけの特権に過ぎず、あまねく国民に付与された権利ではない、と断言できます。
そういう「人権」が存在しない国の為政者が
「慰安婦の人権問題」
などと言い出すので、国民から非常に大きい反発が出るとともに、外国からも軽視されてしまうのでした。
ちょうど沖縄県知事の翁長雄志が
「沖縄の基地問題は人権問題」と言いながら、その基地存在の主原因である中国について決して触れない(あるいは触れられない宿命にある)のにも、共通したところがあります。
一言でいえば「上辺だけ」のきれい事!
「沖縄の人権」に触れるならば、「中国の人権」に触れずんばなるまいて!
このあたりが翁長の「♪沖縄生まれの限界(玄界)育ち♪」かも知れません。政治家として失格の烙印を押すゆえんです。
韓国の人権問題
韓国の外国人船員に対する“深刻な人権侵害”が問題に・・韓国ネット「米報告書の事例も韓国漁船」「罪のない韓国人が東南アジアで…」
21日の韓国・釜山日報によると、外国人船員に対する韓国の深刻な人権侵害が国際人権団体に問題視され、7月に台湾で開かれる「人身売買防止のための国際ワークショップ」で取り上げられる見通しとなった。
問題視されているのは「40~60時間連続で睡眠させない殺人的な労働強度」「外国人登録証を奪って移動の自由を制限する慣行」「過酷な労働の対価としてはあまりにも劣悪な月118万ウォン(約13万円)台の最低賃金」など。このほか、9割の外国人船員が悪口や暴言に苦しめられ、4割以上が深刻な暴行を受け、1割が監禁された経験があるという。昨年2月には、28歳のインドネシア船員が韓国人船員の激しい暴力によって乗船9日で死亡するという事件も発生している。
だが、韓国政府の動きは鈍い。国家人権委員会は2012年、インドネシア人船員32人が暴行や虐待を告発して国際問題化したことを受けて外国人船員の人権状況を調査した。だが、韓国政府はその後、何の対策も行っていない。・・・・
この報道に対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられている。
「他国の人権問題を非難する韓国で、外国人船員に対する暴力はなぜなくならない? 国際的な恥であることは間違いない」
「奴隷だよ。米国の世界人身売買報告書にも奴隷労働の事例として韓国漁船の話が暴露されている」
「外国人だから、ひどい扱いをしているわけではない。韓国人同士でもそのように扱うのを見てきたから、結局はもっと弱い立場の外国人をひどく扱っているだけ」
「一流になりたいが、すべてにおいて三流」
「韓国は人身売買の経由国、最終的な到着地、拉致国、どれも該当する。OECD加盟などどうでもいい。人身売買を根絶する努力をするべき」
「私が働いていた工場でも東南アジアの労働者を呼ぶ時は、汚い言葉を使っていた。韓国人が暴力をふるって病院送りにしたこともある」
「いったいどこでこういう悪いことを学んだのだろう? 同じ韓国人だが、韓国人が嫌い」
「強者には卑屈で、弱者は無視する。日本植民地時代を経て、日本の代表的な悪い根性がついてしまった」
(編集 MJ):FOCUS-ASIACOM 2015年5月22日(金)23時41分配信
自らの汚点を認めたコメントが並んでいますが
一番最後で「何でも不都合なことは、自分自身の問題ではなく、日本のせいにする」という韓国特有の愛敬まで見られ、これこそ正調韓国節と言えます。こうでなくちゃ、正当(?)な韓国人とは言えません(笑)。
自分の足元を見ないまま、「理念上の立派さ」だけを吹聴していると、「おおかみ少年」どころか「不潔な小賢しい少年」に陥り、信頼性はおろか、「低民度の未成熟国家」と見なされることでしょう。
こういう社会でも、「韓国の庶民たちは一生懸命に生きている」ようです。だからこそ、
- ウソでもいいから「自分たちの尊厳をもちあげてほしい」と願い
- ウソだと分っていても「ヨイショされ世界最高だとする論調が心地いい」のであり
- この庶民の心理を巧みに利用してきたのが「反日」で利益を得ようとする薄汚い韓国人たち。自分たちが解決すべき深刻な国内問題をいつも棚にあげて後回しにし、「反日」にいそしむのがお手軽な「支持率向上」手口でした。この場合「ただ単に現実を突きつける人たち」は敵であり、「無知な国民にヨイショ」して持ち上げ、これを利用しなければなりません。
- 「教育」とは何か、それは学校教育というよりも、社会教育という観点ですが、何か考えさせますね。
どうやら私たちは、「韓国で言論界を牛耳っている人たちの薄汚さだけで、韓国全体・朝鮮半島を判断してはならない」ようです。
「表に出ない庶民の声を聞こうとする姿勢」が、必要なのであり、これこそが成熟度というものでしょう。
第一節 哀れな韓国が抱き続ける日本へのコンプレックス
日本は黙々と代価を背負った
以上で見てきたように、韓国では日本という絶対悪を設定することにより、「誇らしい(※当国比)韓国」に相応しくないさまざまな要素から目をそらしています。そのためには、日本が絶対悪でなければなりません。だからこそ韓国は執拗に日本を攻めています。
ここでは、その「反日教徒」たちがよく使う攻撃にはどんなものがあるのか、どこがどう間違っているのか、いくつかの例を挙げながら書いていきたいと思います。
韓国が日本に要求しているのは、ここまでの展開でもうお気づきとは思いますが、「日本が韓国の言いなりになること」です。一切の異論を認めないで、日本が韓国に合わせることです。
これは、大事なことです。言い換えれば「話せば分かる」が効かないという意味です。
その心理を見せてくれる言葉に、「良心的日本人」という表現があります。韓国は、韓国内で日本の肩を持つ意見をタブーとしています。下手すれば社会的に抹殺されることもあります。ですが、日本はそうでもないですね。韓国側の意見に合わせる人たちもいます。
韓国ではそういう人たちを「良心的日本人」と呼びます。逆に言うと、そういう類の人でないと「良心的ではない」ということになりますね。意見が同じだからといって「良心的」だとは、こういう言葉選びからも、何もかも善悪の立場で決めているのがわかります。
その良心的日本人は、基本的に、「人権」「被害」「アジア(または世界)」という言葉に異常に弱かったりします。ですが、韓国側に利用されていることにも気づいて欲しいものです。なぜなら、韓国の価値観だと、彼らが「良心的」になることで、彼ら以外の日本人が「非良心的」になるからです。
そんな人たちへの反論のために、人権もいいし平和もいいけど、そういうのも結局は人間が人間らしく生きるために作られた道具の一つに過ぎないことを、ここで述べたいと思います。
人間のために人権があるわけで、人権のために人間が存在するわけではありません。
・・・・
人間と人間だけでなく、国と国の間にも、人間の国が人間の国らしく生きるため、国際法というものが存在します。嫌でもこれだけは守ろうという、国際法は国と国の約束です。
日本は、過去の戦争の件で、公平ではないと内外で叩かれたある裁判によって、「なぜ約束事を守らなかったんだ」と、言わば有罪判決を食らってしまいました。パール判事など、一部で判決の不当性を謳う人たちもいましたが、無駄でした。
しかし、日本は、誰かのせいにせず、黙々と代価を背負いました。すべてをナチスのせいにしているドイツとは、どちらが良くてどちらが悪いという意味ではありませんが、かなり「異なる」やり方でした。それからは、戦後の日本の歩みがすべてを物語っています。
あなたが受けた教育がすべてを物語っています。日本は、国際裁判という、国と国との約束で決まった正当なプロセスによって、代償を払い、すでに義務(裁判結果の遂行)を済ませているのです。
権利を語るなら、義務も一緒に語らなければなりません。神から授かった基本的権利があるなら、神に返すべき基本的義務もあるはずではないですか。約束を破った相手に「お前は悪い」と言うのならまだわかります。だからこそ、正当にその代償を背負った相手にまで「お前は悪い。いつまでもお前が悪い」を言うのは、認められません。
義務を果たした相手に、そんなことを言う権利は誰にもありません。むしろ責めているほうが、約束事を破っているようなものです。自己満足のために先人たちが苦労して見つけてくれた理想を利用している最低の行為です。ある意味、自分が善になるために悪を設定する、韓国の反日と同じ構造だとも言えます。
:P.78-81 シンシアリー「韓国人による恥韓論」扶桑社2014年6月10日初版第7刷発行
少々引用が長くなりましたが
- こんなことが言える韓国人が、実際にいるのですね。世の中は、広いと思わざるを得ません。
- 今の韓国社会がいびつなだけに、この人は本名を出せずに、ペンネームで書物を書いています。
- 幸か不幸か、韓国人なのに、日本語が読めて日本語で書き日本語をしゃべる才能をもったこの人のおかげで、言論弾圧のベールに包まれた韓国の生の様子が、見えてきました。
- 私たち日本人は、この信頼できるシンシアリーに、大いに感謝しなければならないようです。
韓国で言う「良心的日本人」とは
- 何が善であり何が悪であるかという自分の良心に忠実な日本人、のことではなく
- 韓国人の言い分に賛同してくれる日本人のこと
であると知り、驚きました(笑)。いつも自分中心に考えなければならない思考形態が、またまた見えてきました。
韓国人が「人権」を持ち出して「慰安婦」問題の責任を追及するのですが
- そもそもの韓国人の特質を知っておく必要があるでしょう。それは、自分と異なる意見をもつ人は悪人である、という素朴な考えです。思い込みとは、かくのごとく重いもので、一旦思い込めば変えられないのが、客観性など存在しない韓国らしいところです。
- 異なる意見・異なる人を認めない、ことは「人権など存在しない社会」であることを意味します。
- 異なることを認めずして「人権」を述べるとは、まるで落語のようにおもしろい韓国ですね(笑)。
言い替えると
- 「人権の意味が分らないまま、他人に人権尊重を要求する」(都合のいい自分の解釈にあわせるよう要求)
- 「自国の歴史を正視できないまま、他国に歴史を正視するよう要求する」(都合のいい自分の解釈にあわせるよう要求)
- 「人権や歴史正視の意味がわからないまま、人権や歴史正視を相手に要求する」という、ど厚かましさ!
と言えます。
韓国や中国では、まったく似た思考をもっていたのでした。
- 別の表現をするならば、「自分のことを棚に上げて、道徳者ぶる」ということで
- 「道徳」などあり得ない社会に住んでいるからこそ、こうした理念上だけの無茶苦茶な要求ができるのであり、その度胸が「身の程知らず」とはいえ、考えようによれば、なかなか立派なものです(笑)
平気で「物事をねつ造する」くらいの人でないと、こうは言えないのでしょうか。
♪ 幽霊の 正体みたり 枯れ尾花 ♪
というところでしょうか。ごめんなさいね、日本の「韓国・中国、愛好のみなさま」(笑)。