誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
韓国に10年住んだ新聞記者が見た“反日の真相”とは?
『韓国「反日」の真相』(澤田克己/文春新書)
ネットの中には「反日」の二文字が溢れている。まるでマジックワードのように、敵と見なした相手に、憎悪の対象に、そしてとにかく気に入らない者を「反日認定」することが、ネットのお約束になりつつある。最近ではいわゆるネトウヨにとどまらず、あの朝日新聞までもが見出しに「反日」と書くまでになってしまった。
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『韓国「反日」の真相』(澤田克己/文春新書)を手に取った。著者の澤田克己氏は約10年にわたって毎日新聞ソウル特派員生活を送り、現在は同紙の論説委員だ。そして同書は今年、アジア・太平洋賞の第27回特別賞を受賞している。
韓国を肌で感じてきた澤田氏は、まえがきでまず、2012年8月に当時の李明博大統領が竹島に上陸したことと、その数日後に「国際社会での日本の影響力も昔ほどではない」と言い放ったことに触れている。 ・・・・
「日本がもうダメだ」
「日本から学ぶものはない」
といった、極端な主張が韓国社会を支配するようになったのである。 その結果
「反日」に関していうならば、ブレーキが完全に壊れてしまった状態だ。誰かがアクセルを踏めば、すぐに暴走してしまう社会構造ができているのである。
としている。しかし
「実際には、町中で反日的な空気を感じることなどないと言い切れるほどだ」
とも書いているように、日本語を話しているからといって韓国内で身の危険を感じることもなければ、『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健/ダイヤモンド社)をはじめ、日本の書籍は大人気だ。そして一方で、
「反日的な雰囲気を感じることができないことは、反日的な動きが存在しないことを意味するものではない」
ともしている。
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「日本社会で『反日』と受け取られるような行動でも、韓国側に『反日』という意識は薄いということの背景に、『日本を軽く見る』意識があるというのが私の見立てです」・・・・
「具体的な事例でどこまで当てはまるかは難しいところですが、日本大使館前で日の丸を焼こうとしたり、日の丸や安倍首相の写真につばを吐きかけたりするというのは、明確な『敵意や反感』の表出といえるでしょう。こうした行動を『敵意がない』と強弁することは、難しいと思います」(澤田氏)
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しかしたとえば日本国内でも排外デモが起きるからといって、それが日本人の総意ではないように、韓国内で起きている日本への抗議行動も、決して国民の総意ではない。(げんに大使館前に集まった人の数は、歩道に収まりきる程度だった)
そして日本も韓国も、東アジアの国の一つに過ぎない。協力するところはして、関わらないところは関わらないようにするのが、独立した国同士の付き合いではないのだろうか。 文=久保樹りん :ダ・ヴィンチニュース 2015年11月12日(木)6時30分配信
いかにも弾圧国家らしい正調韓国節がみられます。
詐欺師的な意味に於いては
日本人よりも韓国人のほうがレベルが高いと言わざるを得ず、それを「美しい言葉」で覆い隠そうとするのが詐欺師の矜恃〔きょうじ:自負〕なのでしょうか。
私が澤田の主張として聞くに値すると思ったのは、反日が国民の総意ではないとしながら
- 反日的な雰囲気を感じることができないことは、反日的な動きが存在しないことを意味するものではない
- (国旗を焼いたり写真にツバをはく行為に)『敵意がない』と強弁することは、難しい
などです。
いずれも、欺瞞に満ちた不作法を美しい言葉で着飾ろうとしている一部韓国人の実体でして、これは自らの民族性を賤しめるものですから、やめたほうがよろしいかと思います。
分りやすく言えば
あまりにもひどい醜態を見せながら「敵意はない」とする強弁は、もう通じません。
「敵意がない」ならば、それにふさわしい方法を選ぶべきで、それができない限り、かなりの低レベルを徘徊(はいかい)するだけに終始し、世界中から嫌われ続けることでしょう。強引さに辟易として、万やむをえず容認してくれる国は別として・・・・・・。
私はよく分りませんが、韓国では日本の影響があまりにも大きすぎるため、その裏返しとして反日が存在し、特有の自粛規制によって反日のほうだけが突出してしまった、のでしょうか。
「だませる」と思いたち→「本気」になり始め→「これでいけそうだ」と確信(錯覚)する
この道筋は、お笑いそのものなんですが、自分のことは自分では分らず、聞く耳を持たないのが民族性なのでしょうか、あぁ無情!
国家総動員で作りあげた反日国是を変えることは
- そう簡単ではなく、長い時間をかけて緩和しなければならず、その責任は他者ではなく自らにある、としかいいようがありません。
- 場合によって(これは大いにあり得ることですが)、国是としての反日は、これからしばらく、手をかえ品をかえ、あの手この手で、続くと思われます。これは韓国が、普通の国になるまで、続くはずです。
つまり
一生懸命に言っているから、正しそうだ
と思ってはいけないようです。
野球でも
投手のボールが「自分に当たったので、デッドボール(死球)だ」と真剣に抗議しているから、それが正しいかといえば、そうとも言えません。人は、故意か錯覚かは別として、時に平気でウソをつくものなのですね。
打者が当たりにいったのかどうか、ボールが体に触れたかどうか、の判断を巡って生じる混乱を回避するために、審判員をおき、ビデオ判定さえ生まれました。
しかしビデオ判定でも、カメラ位置の関係でなんとも言えない場合があり、最終的に下す審判の判断がいつも正しいとも言えず、審判は「公平」に何らかの判定を下す役割を与えられている役職に過ぎません。
「審判はいつも正しい」のではないのです。
ドラマでもそうでしょう。
役者は与えられた役割を演じているだけであり、それをみてその役者の真の姿だ、と単純に考えてはいけないのです。一生懸命に言っているから真実だ、ではないのですね。
外国のテレビ番組を見て、吹き替えを知らず「最近の外国人も日本語が上手になった」というのは、ギャグとしておもしろいだけで、本気でそう思ってはなりません(笑)。
銀幕のスターたちもそうだったのですね。
まぁ最近では、芸能人の真の姿を報道しようと芸能誌が発達しましたが、一生懸命に書いているからその記事が正しい記事だ、とも言えませんね(笑)。
繰り返しますが
一生懸命に言っ(書い)ているから、正しそうだ
と考えてはいけないのでした。
そうなんです
- 詐欺師は、いかにも詐欺師らしい振る舞いを見せると、「詐欺師としては失格」であり
- 「人柄が良さそうで、言っていることが真実である」と思わせるよう振る舞ってこそ、一人前の詐欺師
なのです。振り込め詐欺事件がいつまで経ってもなくならない日本の現状を見聞きしていると
時には、性悪説に陥らない程度に「人を疑う」、ことが必要なのだろう
と思わずにはいられません。
何かのご参考になりましたでしょうか。そうあって欲しいと願って書いております。