新聞記事を書くのが新聞記者。その記者にも区分がありそうです。
- 調査報道記者
- 一般の記者
- スポーツや芸能を扱う記者
上の順序に何の意味はありませんが、巷のうわさでは
- 多くの記者から好かれる有働由美子
- 多くの記者から嫌われる落合博満
とはいえ、記者の本質を少しでも理解している人なら、必ずしも有働のほうが落合より人間の質が上だとは言えない、くらいなら分るでしょう。
要するに、記者受けがいいかどうかの違いであり、人の生き方の問題でしょうか。
記者受けがいいと、それがヨイショ記事につながるでしょう。場合によってはヨイショ記事で力を発揮する人もいるので、記者受けがいいよう偽装する人も出てきます。
一方、落合のように、記者受けを狙っていない人の場合、記者からすればどうしても印象が悪くなり、それが記事になってきます。
記者には「どう記事を書いても社に訂正されるため思い通りの記事を書けない」という惨めさがあるようで、「自分たち記者の受けがどうなろうと構わないと思われる落合」を目の敵にすることで鬱憤を晴らしているように思われます。
そう、あえていうならば
- 韓国が「日本悪し」で鬱憤を晴らしている
- スポーツ記者が「落合悪し」で鬱憤を晴らしている
今「スポーツ記者」としましたが、「スポーツ」を外してもよさそうで、どうしても両者が似ているように思うのです。
どうしようもない自分の不甲斐なさの遠因として、その国の法制度や社のシステムに問題があるのですが、これを放置して「外部に敵を作ることで不満を解消しようとしている」ように思われます。
もう一つ言える事は
記者の取材先との癒着を恐れるあまり、まるで税務署の署長のように記者が次々と担当する職場を変えるため、視野は広くなるのでしょうが、専門性は低いままなのです。
専門性が低いのが「くだらない質問」「同じような質問」につながり、一般の人の政治離れがより深刻になります。
何を質問するかは、質問者の年齢には関係がなさそうで、少なくとも10年くらい同じ部署での経験が必要でしょう。
この専門性は、長くやっているときの癒着を解消できない日本人サラリーマン記者には、永遠に分かりません。
質問を受け付ける場合にも、事前の打ち合わせ通りの質問でなければ落ち着かないどころか、広報官が予定されていない質問、特に批判されるような質問を受けた場合、いらだちさえ見せつける「中国のような」独裁国家も見られます。
既に日本もそこに分類されているのかも知れません(笑)。
働き方改革が叫ばれていますが
どちらがいいというものでもありませんが、MLBとNPBの違いを見ているとよく分ります。
あまりにも球団数が増え、必然的に試合数が多くなり、中4日位で投げさせるMLBと、中6日で投げさせるNPBがあります。試合数を減らせば、高額年俸に歯止めがかかるのかも知れません。
一体どちらが「トミー・ジョン手術を受けることが多い」のでしょうね。
日本では、高校野球で「学校の名誉のために、投げすぎ」ではありませんか。
最悪は
日本の高校野球で投げすぎて、MLBへ渡り投げ過ぎる
事でしょうか。球数制限ではなく、先発投手が何日おきに投げるかが重要なように思います。
記者については
短期間で担当部署を変えるのではなく、長く担当させることも必要で、専門性をあげながらも視野を広くさせる努力が必要なようです。つまり記者にも働き方改革が必要なのでしょうか。
(ソクラテス)対話するときに、自分で察しがついているのに貴方に質問して、自分では言おうとしないのはなぜか。それは、あなたをどうこうするためではなく、ロゴス(言論)のためなのです。そうすることによって、論じられていることをわれわれにできるだけ明白にすることができるだろうというのです。:P.19 田中美知太郎の解説 世界の名著6プラトン 中央公論社
(ソクラテス)私がこうしていちいち質問しているのは、ただ議論が正しい順序を踏んで最後まで進行するようにと願えばこそであって、べつに貴方にたてつくのが目的ではありません。私たちがお互いに相手の言おうとすることを推測しあってそれを強引に相手よりさきに言ってしまうような習慣は避けて・・・・最後まであなたに自由に述べてもらうようにするためなのです。:P.241 プラトン 「ゴルギアス」世界の名著6 プラトンⅠ 中央公論社
記者会見などで質問する人に、きっと参考となるでしょう。
- だらだらと回答すると「イエスかノーで答えて下さい」と質問時間を気にする質問者
- 質問する側が勝手に推測して、相手がこう考えているのではないかと先回りするから、否定ばかりされるのですね。
要するに
応えられずに紛糾するような質問をすれば、「立派だった」とする職務管理方式にこそ、問題があるのでしょう。
これをいうと、「質問時間が少ない」とぼやきますが、どれだけ相手を困らせたか、どんな質問をしたか、で勤務評定される側の悲哀がそこに感じられます。
さてさて、皆様はどう思われますか。