韓民族・漢族の得意わざが見られ、その言葉に誰も耳を貸しません。
もう完全に馬鹿にされているようです。
歪曲:
一方的うぬぼれ
ねつ造:
うそ八百。
自覚なき吐露:自分の欠陥をそのまま他者へ要求します。
まず隗より始めよ、という言葉があるのですが、へりくだることは屈辱ととらえます。
着眼大局、着手小局。つまり視野を広く、実際の行動は日常的なことを、という意味でしょうが、韓民族の場合、まったく逆ですね。
歴史の直視:直視できない人に限って他者に直視を要求
- 中国の独裁・報道規制・・・・・・従わないと弾圧
- 韓国の独裁・・・・・・一色を好み、従わないと社会的に抹殺
漢族:一党独裁の弾圧「報道規制」がお粗末
韓族:漢族そっくりの「うぬぼれ」がお粗末
我が家の古代遺跡から「事実無根」を検索してみました。
彼らの言っていることを、私はまったく理解できなかった。私がこの目で見た日本の〝真実″は、むしろその正反対だったからだ。「日本は軍国主義を復活している」というのも、「もう一度中国を侵略しようとしている」というのも、まったくの事実無根である。
過去の戦争において、日本軍のやった「無道」や「殺人」を日本憎しの理由に持ってくる彼らの言い分にも、まったく納得できない。というのも、もし戦争中の日本軍の残虐行為が、こうした日本憎しの感情を作り出した原因であれば、終戦からずっと今日にいたるまで、わが中国人民は日本のことを憎み続けてきたはずである。
しかし、事実は決してそうではなかった。私たちの世代でいえば、子供時代から日本のことをすごく憎んでいたという覚えは、まったくない。むしろ、大人になってからの1980年代を通しては、日本に対する憧れと好意が、一種の風潮となり、いわゆる「日中友好」の時代を実際に体験した世代なのである。 :P.65-69 石平(せきへい)「私はなぜ中国を捨てたのか」ワック株式会社 2011年1月7日第10刷
中国共産党が危うくなり、弾圧政策のためその政府維持が難しくなたころ、突如生まれた外部に敵ありで内部結束を強めようとして、日本が標的にされたのでしょう。
もし戦前の日帝が残虐だったならば、若い世代よりも古い世代のほうが「反日」だったはずですが、事実は逆で、若い世代ほど「反日」でした。
江沢民のころから中国共産党政権を維持するために、外部に敵を作らねばならず、その標的にされたのが日本でした。これを維持できたのが、強烈な報道規制で、中国共産党に不都合なニュースを一切流さないほど徹底しているようで、今でもそうです、
石平は2007/11に日本への帰化が認められているので「わが」はそれ以前の執筆と思われ、2011年1月7日第10刷から相当前のことでしょうか。
こういったペテン性が、中国籍を脱して日本籍取得に向かわせたのでしょう。
世の中には、平気でうそをつく人がいるものです。ウソは方便のレベルを超えて、政権維持のためのねつ造、またはヨイショ人間による根拠なき罵倒にご注意を。
話が前後するが、事件は2002年9月15日の「敬老の日」から翌16日の早朝にかけて起きた。敬老の日には、石垣市主催の「敬老会」が市民会館で行われ、担当したのはサラさんが主査を勤める長寿課である。
自衛隊を憎悪し、同盟国米軍を愚弄する大浜市長は、その一方では中国艦船が東シナ海の領海侵犯をしても沈黙を守る媚中反日主義者である。社民、共産、民主などの革新地盤の上に公明党の組織票も握っており、その選挙基盤は磐石である。
大浜市長「事実無根」と否定 性的暴行ブログ書き込み
名誉棄損で刑事告訴方針
弁護団は、ブログの発信者やプロバイダーに対し年内にも刑事告訴する方針を示し、ブログの削除を求める仮処分の手続きもとっていることを明らかにした。
元職員の女性は10月15日以降のブログで、2002年9月16日明け方、市主催敬老会の打ち上げの3次会の会場となった料理店で市長から暴行を受けたとしている。
会見で大浜市長は「一方的にひぼう中傷されているが、法的対抗措置をとるため準備にかかって今日に至った」と説明、「この件に対しては法廷で裁いてもらおうという態度で一貫していきたい」と述べた。
弁護団は笠原静夫氏(東京弁護士会)、宮城和博氏(沖縄弁護士会)ら3人を予定。「石垣市長をひぼう中傷し、政治的に陥れようと企図したと認められる事案。疑いのない悪質かつ重大な名誉棄損事件。刑事告訴により、犯行の動機、背後関係を含む全容が解明されることを望む:2009/11/4 八重山毎日新聞新聞
事実無根は、告訴・告発などに対抗する場合に多いようで
その後、告訴が受理されたのか、裁判になったのか、その結論はどうなったのか、について報道することは少ないように思います。
さてさて、皆様はどう思われますか。