たとえそれが、事実であろうとも、なかろうとも、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも提示しています。ただし私が、リンク先を熟読しすべて賛同しているのではないことをご了解ください。
韓国は日本を「手本に」発言に批判 NBCコメンテーター降板:bbc 2018年02月13日
NBC解説者発言には「重要な真実」 米フォーチュン誌コラムに韓国メディア反発:j-cast 2018/2/20
韓国側に欠陥がみられます。
それは「自分だけが普遍的で正しいと思い込んでいる前提」に異論があれば、それを攻撃し抹殺したくなるという情緒でした。
一色に染まりたがる民族性は、そのほうが「攻撃される心配がなく、より安全」だからなんでしょうか。そうだとしたら、情けないとしか言えません。
つまり
「前提」は単なる思い込みかも知れず「常に正しい」とは言えません。
その「前提」にこそ異論や反論があるべきなのです。歴史に絶対的な「善」があるかどうか疑問で、それを疑えない人たちは、自分たちだけの思い込みに左右され、成熟さを欠いているとしか言えません。
こういった欠陥は、中国にも見られます。
むしろ本家は中国でありそれが朝鮮半島にも影響しています。
- 都合が悪ければ、国際法など無視して思い込みの前提を死守し
- 都合が良ければ、中国は国際法を順守すると胸をはる、
という薄汚い中国に不信感を持つ人はどんどん増えていくでしょう。
中国の「前提」も単なる思い込みでした。
もしも
「韓国という狭い空間で常識だったことが、実は常識でなかった」とわかる時が来て、「自分たちの常識に少しでも疑問が生まれ、韓国社会に少しでも意見の多様性がみられた」ならば
それはそれは、韓国にとって一大進歩となるでしょう。
でもこの先ずっと、そうはならないことがこの引用から明白です(笑)。
反論として、韓国では常に対立しているから「多様性」があるのではないか、というのがみられますが、それは「法体系と運用の矛盾による不満の対立」を「多様性」と混同しているように思います。
翻訳の問題もあるのでしょうが
自分たちの思い込みに批判があった時に、その原因を解明しようとしないまま「妄言」で相手を一蹴できるとする判断力に疑問をもつ人は多いでしょう。
自分の前提は「正しい」とするのはいいとしても、これに反する意見は許さない・社会的に抹殺しなければならない、というのは低レベルの洗脳教育ゆえなのか、地政学的な民族の問題なのか、私には分かりません。
世の中の対立もそうですし、韓国内の対立が韓国の法制度に欠陥があるからとは言え、自分の常識が他人の常識と異なるため対立を大きくする、のはいただけません。まず自分の前提を疑うべきであり、自分たちの中にあるはずの「多様性」を発揮するべきでしょう。
この対立を調停するのが裁判ですが
司法は時の権力におもねることなく、厳密に法を解釈しなければなりません。もしも法に欠陥があれば速やかに変えなければならないのです。
韓国では、法体系の欠陥を放置し、時の政権が思い通りになるように憲法を改正しようとしていませんか。
他国のことを云々するよりも先に、自国の難問を解決すべきで、そうされてはまずいとする為政者が問題を大きくしてはいませんか(笑)。
人びとの激しい対立を目の当たりにしていると
韓国の法体系に根本的な問題があるからこそ起る問題のようで、さぞかし冤罪(えんざい)が多かろうな、と思うけふこのころであります。
自分が、あるいは自分たちが常識だと思っていることがあり
その前提に疑問を挟む人がいると、自分の常識を疑われていると考え、多くは自分の人格が破綻すると考えるため、怒り心頭に発するのでしょうか。
もしもそこに常識を疑うという知性があれば、もう少し異なった結果になるはずですが、今の韓族にそれを期待するのは、高く買いすぎていることになるのでしょうか。
「ひどい無知」とは一体誰のことを言うのでしょうね。
罵声はしばしば、相手ではなく、自分に対して向けられます。
韓国人らしい「日本の植民地にされていた間の私たちの辛い歴史を、矮小化し、馬鹿にした。正式な謝罪をすべきだ」という言葉を聞くまでもなく、「つらい朝鮮王朝の支配から救ったのが日本だった」と発言すれば、きっとまちがいなく韓国社会では抹殺されるでしょう。
こうした韓国社会を憂えている人は韓族にもいることでしょうが、一部の意見のみが取りあげられ、他は抹殺され、異なる意見を聞こうとする姿勢もなく、従って外国人の私としては「韓族には多様性がない」と強調するしかないのでしょう。
これこそが
韓国社会の汚点ですが、もちろん当人が「汚点」を「汚点」だととらえることはなく、それが汚点たるゆえんですね(笑)。
李氏朝鮮に対する歴史を率直に見直すことを希望します(笑)。
↑ 学問的で冷静な視点は、無理でしょうね
自民族の過去は「栄光に満ちていなければならない」という要求です。
「陰湿」な過去であってはいけないのです。実際の自国歴史が「陰湿」であればあるほど、その要求は強いのです。
それが自民族最優先の歴史観であり、少しでもそれが傷つけられるのは許せず、その栄光を破壊したのが日本だった、とする「自国優先史観」でした。
こうして
自国を率直に見直すことなどあり得ない朝鮮半島が生まれていきました。いったんウソをつくと、それを補強するためにさらに強力なウソが必要となるのは歴史が示すところです。
異論を排し多様性を欠く韓国社会が、様々な意見を尊重する成熟した社会であるとは、残念ながら到底思われないのです。
私からすれば
「なぜ自分たちだけが信じている常識を疑えないのか」がむしろ不思議なんです。
狭い地域だけで通用した「常識」だったのではありませんか。尤もそれより広くても間違っていることがたくさん見られますが。
十分に反論を加味した上での「常識」でしたか。「常識」とはかかるほどいい加減なものなんです。そのようないい加減なものを疑うことなく、それに反することを社会的に抹殺してきた韓国社会に、未成熟を感じるのでした。
こういった疑問をもてない限り
この国に画期的な発明で成功する人は生まれないでしょうし「常識を疑う知性」がない限り、この国に明日はないと言えます。画期的な発明ができる人でも、国外に出るならば、成功するでしょう。
今回の場合の例でいえば
「どうすれば、ものを盗んだ人に感謝することができるのか」に表れています。つまり「日本人は多くのものを韓国から盗んだ」といううぬぼれが前提になっております。
ラモは、韓国人が日本から多くを学んだと言っており、日本が韓国から盗んだとは言っておらず、むしろ朝鮮半島が日本から「盗んだ」というほうに近いのです。
ラモの「日本が最大の手本だった」が「自分の常識」に反するため、あれほど怒り狂うのでしょうが、「自分の常識」と異なることを言ったとしても、再び「自分の常識」を振りかざすものではないでしょう。
しかし私は、自分たちの憲法さえ疑えず、ただ為政者が思い通りになるように改憲を繰り返す韓族に、幸あれと祈らずにはいられません。
欧米の植民地の中ではなかった発展をした「朝鮮半島」と「台湾」
旧日本が多くの資金を投じてこれらを実現しようとしていたのが普通の地域での見方になっているのに、いまだに韓国だけが「日本が盗んだ」としそれ以外の意見を抹殺しようとしているのには、疑問を通り越したお笑いを感じさせます。
さてさて、皆様はどう思われますか。