への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

どんど焼きに行きましたが…

2024年01月14日 | 雑記

への次郎 「これ、どうするの?

奥さん 「神社で焼いてもらおうと思って

 

ということでこの日、15分ほど車を走らせることになりました。

 

大きなクスノキの向こうに、鳥居が見えてきて、

 

への次郎 「ここだね

奥さん 「奥に人が集まっているよ

 

行ってみると、すでにどんど焼きの準備は整っていました。

持ってきたものを係のおじさんに預け、待っていたら、

 

ボンベを載せた一輪車が出てきて、火炎放射器のようなものから火が放たれました。

 

火が付き、お焚き上げが始まりました。

世話役のおじさんも安堵のご様子。持ってきたものに火が付いたのを見届けたへの次郎、

 

神社の本殿に上がり、家内安全、無病息災をお願いしました。

 

しばらくすると、火も落ち着いてきました。

 

このあと、餅を焼いたり、豚汁・ぜんざいの振る舞いがありますが、我々はここまで。

 

去り際に社務所に寄って、おみくじを引いてみると、

奥さん  「えっ?! 末吉だよ

への次郎 「・・・

 

最後は、複雑な思いになりました。

                                        


鏡開きをしました

2024年01月11日 | 雑記

奥さん  「ご主人、玄関の鏡餅をさげてくださいよ

への次郎 「はいはい、了解しました

柏手を打って、片づけました。

 

奥さん  「お餅はどうする?

への次郎 「そうだね、ぜんざいにしますかぁ

この日のおやつ、ぜんざいをいただきました。

甘くなった口の中、最後は自家製の小カブの浅漬けキューちゃんによって、引き締められました。

 

奥さん  「今年も無事、鏡開きができたわ

への次郎 「そうだね。そろそろ、本格始動しますかぁ

                                       


七草がゆをいただきました

2024年01月08日 | 食卓

正月七日、今年初の買い出しにスーパーに行きました。

 

野菜コーナーの目立つ位置に、七草がゆの具材が並べられていて、

への次郎 「今日だった?

奥さん  「そうよ。もう半額になってるね

 

ということで、夜に食べることになりました。

 

パックに入っていた具材の絵を見ながら並べて、

下から時計回りに、すずしろ、ほとけのざ、ごぎょう、せり、なずな、はこべら、すずな。

 

土鍋にお米と水を入れ、30分程度煮て、最後に七草とお塩を入れて完成。

鼠志野の美濃焼に盛りました。

 

子供たちと孫たちが去った食卓。

への次郎 「今年も日常の食卓が始まったなぁ

奥さん  「そうだね

 

二人、静かにいただきました。

                                      


芸備線・姫新線の旅 (1978年) ②

2024年01月07日 | 古い写真

翌朝、新見駅に向かっていたら、郵便・荷物車を先頭に、

気動車が鉄橋を渡って来ました。時刻表を見ると、7時19分新見着の姫新線列車でした。

 

 

新見駅

新見駅です。にわか雨でも降ったんでしょうか、一面、濡れています。

新見駅は芸備線・姫新線それに伯備線の列車が入ってくる交通の要衝です。

 

ホームに入ると、2番線に気動車が入っていて、

これに乗って新見駅を出発しました(7:30始発)。

 

 

新見-中国勝山間

新見駅を出て、しばらく走ったところです。芸備線から姫新線に変わっても、

沿線風景に大きな違いは、なかったんですね。

 

 

中国勝山駅

中国勝山駅に着きました(8:24)。駅舎を出て、駅前をパチリ。

グーグルマップを見ると、前方の丁字路、現在は道が抜けて十字路になっていました。

 

駅前から少し行くと、古い町並みが残っていました。ここは出雲街道の宿場町

現在は「町並み保存地区」に指定されています。

見てください、前方のトラック後方に立つ男性、いかにも70年代の格好ですよ。

 

古い街並みを散策したあと、駅に戻ってきました。

軒下に「スト権を返せ」の文字。あの頃はよく見かけました。

 

1番線に入っていた気動車に乗って出発(9:45始発)。

 

 

中国勝山-津山間

院庄(いんのしょう)に到着。向かいに、ちょうど下りの気動車が入ってきたようです。

懐かしいものが写っていましたよ。ほら、ホームのタブレット授け器に、タブレットがついています。時刻表を見るとこの気動車、津山発広島行きの急行やまのゆ。院庄駅は通過駅。おそらくタブレットを受け取り、走り去ったのでしょう。当時の単線特有の光景です。

 

 

津山駅

津山駅に着きました(10:41)。駅前に出ると、

三次や新見よりも、大きな町だったのを覚えています。

 

このあと、津山城に歩いて行って、城内から城下をパチリ。

写真を見ると、確かに沿線随一の都市ですね。

 

津山駅に戻ってきました。暑い日だったのか、おばさんが顔をぬぐっています。

時間的に、津山で昼ご飯を食べたと思いますが、記憶はありません。

 

ホームに入ると2番線ホームに、ここ始発の気動車が止まっていて、

これに乗って津山を離れました(13:09始発)。

 

 

津山-姫路間

津山を出ても、山の中を走ったようですね。

地図を見ると、兵庫県の龍野を出て、姫路駅が近づいたあたりでやっと平野に出てきます。ですから姫新線も、ほんど山間を走っていることになります。

 

 

姫路駅

芸備線と姫新線を乗り継いで、やっと姫路駅に到着しました(15:47)。

 

このあと、せっかくだから、ということで、姫路城に歩いて向かいましたが、

この場所まで来て、時間的に見学は無理と考え、駅に引き返しました。

 

姫路駅11番ホームです。入ってきたこの顔、懐かしいですよね。

最後は新幹線に乗って、旅を締めくくりました。

 

 

当時の姫新線上りの時刻表です。色線がついている列車に乗って旅をしました。

 

 

古いネガが出てきたのをきっかけに、45年前の一泊二日の旅がよみがえってきました。

芸備線と姫新線、合計で 350キロを超える単線非電化区間。この区間を芸備線・姫新線とも3本、計6本の列車に乗りました。それもすべてが形式の異なる列車。

鉄道マニアにはたまらない路線でしょうが、途中で彼らに出会った記憶はありません。もしかしたら、当時のローカル線、これが普通の光景だったのかもしれませんね。

当時の運転本数は現在より多く、途中下車しながらの旅もしやすい時代でした。本数が減った現在では、とてもできない旅ではないでしょうか。

 

ほんとに、いい時代だったよなぁ

                                       


芸備線・姫新線の旅 (1978年) ①

2024年01月04日 | 古い写真

物置から出てきた古い写真、整理していたらネガがありました。写真はなく、二袋のネガ。ネガの隅には、1978年8月17日、18日の文字。

 

なんとなく旅の記録のような感じがし、写真屋さんでCDに入れてもらいました。

できあがったCDを開いたら、記憶がよみがえってきました。それは    

 

広島県福山市に帰省したときの帰り道、広島から芸備線姫新線を乗り継いで姫路に出て、そこから新幹線で東京に帰ったときの写真でした。

当時の時刻表を参考に、この旅を再現しました。

 

 

広島駅

広島駅です。左は新幹線の高架。当時の時刻表を見ると、8番線は芸備線のホームでした。

そこに止まっていた二両編成の気動車、これに乗って出発。時刻は7時ちょうど。

 

広島駅を出て、しばらく新幹線の高架横を走って行きました。

空はどんより。この日は天気が悪かったんですね。

 

 

広島-三次間

向かいのホームに、エンジ色の客車が入っていました。

時刻表を見たら、下深川(しもふかわ)駅。今も広島までは、通勤圏です。

 

芸備線は広島県の県北を走る山間の路線、

気動車は山すそを縫うように走って行きました。

 

 

三次駅

三次駅に着きました(9:26)。

ここで駅弁を食べた記憶があります。買ったのは鮎すし。調べたら、有限会社環翠の鮎すし(500円)でした。

 

お腹を満たしたあと、構内を散策。跨線橋から見た備後落合方向です。

左が1番線、右が2・3番線。右側に気動車が多数止まっていて、奥に扇形庫がありました。

 

2・3番線から、1番線方向を撮影したものです。1番線の端は、切欠の0番線になっていて、

三江線のホームでした。この気動車、時刻表によると10時30分発の口羽行きの臨時です。

 

やがて1番線に、ディーゼル機関車に引かれた旧型客車が入ってきました。

撮影したあと、急いでこの列車に乗って、三次駅を離れました(10:40)。

 

 

三次-備後落合間

塩町駅を出て、(たか)に着くまでの風景。列車はノークーラー、窓全開です。

写真から、どんどん山が迫ってきていたことが分かります。

 

 

備後落合駅

山間の駅、備後落合駅に着きました(12:07)。

写真を見ると、到着後、駅から外に出て、付近を散策したようです。

 

勢いをつけ、右方向から走ってきた気動車。鉄橋通過音が聞こえてきそうです。

この鉄橋、グーグルマップで調べたら、備後落合から少し西に行ったところにありました。木次線小鳥原川橋梁です。

この気動車、時刻表によると14時09分備後落合発の松江行きでした。

 

芸備線のホームに戻ってきました。右奥には木次線のホームもあります。

時刻表を見ると、左の気動車は三次行き(15:48始発)、右は新見行き(15:29発)です。ホームの人たち、盆に帰省した人とその見送りでしょうか。

 

 

備後落合-新見間

備後落合を出た気動車、山の中を走ったあと、急に視界が開ける場所がありました。

調べたら小鳥原川第一橋梁。高さ30㍍、長さ146㍍、中国地方一高い鉄橋だそうです。

 

 

新見駅

芸備線159.1キロ、伯備線6.4キロを乗り継いで、岡山県の新見駅に到着(16:58)。

乗ってきたこの気動車の後方、よく見ると、ラッセル車が写っていました。

 

夕方の新見駅近くの風景です。

グーグルマップで見ると、高梁川の南岸堤防道路から北岸を撮ったものでした。このあと、近くのホテルか旅館に泊まったと思いますが、写真も記憶も残っていません。

 

 

当時の芸備線上りの時刻表です。色線がついている列車に乗って旅をしました。

 

                                   つづく