への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

紅葉 見頃はまだでした  岡崎

2024年11月24日 | 遠出

への次郎 「あっ! まだだった

SNSを見てやって来たんですが・・・。

 

やって来たのは愛知県岡崎市松平郷松平氏(徳川家)の発祥地です。

奥さん 「もっと上に行ってみようか

 

この日の松平東照宮七五三でお参りのファミリーが多数来ていました。

 

邪魔をしないように、こちらの道をのぼって行きました。

 

上に行っても、紅葉は始まったばかり。

 

への次郎 「あっ!!

松平氏の菩提寺高月院の前にあった大きな松の老木、枯れていました!

奥さん 「去年は青々していたのに

 

家光がつくらせた山門をくぐって行くと、

 

家康が植えたシダレザクラが見えてきました。

石段をのぼると、

 

本堂です。この本堂も、家光が建立したもの。お参りをして反対側へ。

ちょっと上から見た本堂です。立派!

 

結局、上の高月院に来ても紅葉を見ることはできなかったのですが、これが!

季節外れのアヤメ? 一面、枯れた寺の湿地に咲いていました。

 

再び山門をくぐり、土塀沿いをおりて行くと、

 

車を止めていたところの真上に、

きれいな紅葉! 「灯台下暗し」でした。

                                         


晩秋の青森・秋田  黒石へ

2024年11月22日 | 旅行

寅さんロケ地の鹿角で地酒千歳盛を買ったあと、鹿角八幡平ICから東北道に入り、青森県をめざしました。

 

高速道に入ってすぐ、花輪SAでトイレ休憩です。

山のドングリの葉っぱ、茶色になりかけていました。もうすぐ落葉の始まりです。

 

 

道の駅いなかだて

青森県に入り、弘前の一つ先の黒石ICで下道におりました。

 

やって来たのは、道の駅いなかだて(田舎館村)です。

への次郎 「帰って来たぞー!

遠くに見えた津軽のシンボル岩木山に、ひと声かけました。

 

 

中町こみせ通り

次にやって来たのは、お隣黒石市にある古い町並みです。

 

奥さん 「変わった建物ね

への次郎 「消防の屯所だって

 

消防屯所の向かいにある松の湯交流館に駐車。まず館内で情報を集め、

交流館の外に出てきました。

 

この通りは、こみせ通りといいます。

「こみせ」というのは、雪が降っても歩きやすいように、道に飛び出たひさしのことです。

奥さん  「どこかで見たような・・・

への次郎 「直江津で見たカンギだね

 

このあと、「こみせ」の下をちょっと歩いてみました。

 

向かいのお宅、雪が吹き込まないように、「こみせ」にガラス戸が付いていますよ。

 

通りに面した家はどの家も大きいですが、こちらはひときわ大きいですね。

 

150mほど歩いてくると、横断歩道があったので、反対側に渡りました。

 

こちら、菊乃井と書かれた看板がありました。入ってみたら、

やはり! 造り酒屋さんでした。昨晩、夕食時に飲んだのは、ここのお酒でした。

 

奥さん 「試飲はダメだよ!

奥さんに促されて外に出て、「こみせ」の下を歩いていたら、

 

への次郎 「ん? ここは・・・

やはり! 浅見光彦(榎木孝明)のロケ地(『津軽殺人事件』)でした。

 

交流館に戻って来ました。

交流館はもとは松の湯という銭湯。シンボルの立派な松、今も健在でした。

 

 

青森空港

日のあるうちに、青森空港に戻って来て、

無事、レンタカーを返しました。

 

FDA機の出発まで時間があったので、

空港内のレストランで夕飯を食べることになりました。

 

二人が注文したのは、お値打ちな天重(1000円)。

味噌汁の中には、カニが入っていました。

 

天重を平らげたあとは、旅の反省会の始まりです。そのうち・・・

奥さん 「やっちゃおうかな

と言って奥さん、地酒のみ比べセット(1200円)を買ってきました。

 

小牧空港から自宅までの運転が残っているへの次郎、ここは我慢。このあと奥さんによる、旅と地酒の高評を聞かされることになりました。

                                         


晩秋の青森・秋田  鹿角へ

2024年11月21日 | 旅行

晩秋の青森・秋田たびの三日目。たびの最終日で、初の快晴です。

 

二泊お世話になった弘前グランドホテルです。

実は電線下の歩道、糞がびっしり。毎夕、無数のカラスが飛来、投下していました。

 

 

道の駅ひろさき

朝の国道7号線を南下して、道の駅ひろさき(弘前市)にやって来ました。

人の腰丈ほどのネギ7キロ千円、飛ぶように売れていました。

 

 

道の駅いかりがせき

さらに国道7号線を南下して、道の駅いかりがせき(平川市)にやって来ました。

面白いものがありましたよ! 枝の付いた柿。皮を剝いて、このまま干せます。

 

ここから先は、高速道です。碇ヶ関ICから東北道に入り、秋田県をめざしました。

 

 

道の駅かづの

鹿角八幡平ICで下道におり、道の駅かづの(秋田県鹿角市)にやって来ました。

ここは秋田犬のふるさと、秋田犬に関するお菓子が山積みされていました。

 

 

きりたんぽ館

道の駅の施設内を散策していたら、

への次郎 「きりたんぽ、かぁ・・・

奥さん 「秋田名物だね

 

ここで早めのランチにしました。お品書きを見ると、

二品のみ。

 

への次郎はきりたんぽ鍋にしました。

鍋に入っていたのは、きりたんぽ、鶏肉(比内地鶏?)、ネギ、ささがきごぼう、舞茸、せり、糸こんにゃく。醤油味のスープは、素朴な味がしました。

 

奥さんは、お腹が空いていないということで、くるみ味噌付たんぽを二本。

チクワ状の五平餅を食べているような感じ、とのことでした。

 

食べている間、次々とお客さんが来ましたが、皆さん「味噌付きたんぽ」を注文するだけで、鍋を食べる人はいませんでした。

 

 

寅さんロケ地 鹿角

青森県から秋田県まで足を延ばしたのは、きりたんぽを食べるためではありませんでした。

 

実は鹿角(かづの)、寅さんの第35作『寅次郎恋愛塾』のロケ地なんですね。

 

法律家を目指して勉強中の民夫(平田満)は、若菜(樋口可南子)への恋が叶わないと思い込み、遺書めいたものを残し帰郷。それを知った若菜は、寅さんと民夫の恩師とともに、民夫の故郷・鹿角に向かった。

一升瓶を肩にのせた寅さん、へべれけに酔っぱらい、恩師とともに花輪駅に降りました。

 

当時の花輪駅、現在の鹿角花輪駅です。ロケ現場を撮影しようとしたら・・・、

駅待合室へのドアと、ホームへのドアが閉じられていて、自由に撮影できませんでした。

 

仕方なくロケ地の撮影は諦め、寅さんが肩にのせていた地酒を買って帰ることに。

 

この地酒の銘柄ですが、わかるのですよ。ほら、

記事によると、撮影の日、スタッフが酒の空瓶を求め、慌てて駅前の清水商店に駆け込んだそうです。店側が渡したのが、鹿角を代表する地酒千歳盛(ちとせざかり)でした。

 

で、駅前を探していたら、今もありました、清水商店!

たくさん並んだお酒の中にありました千歳盛。運びやすいように四合瓶を買いました。

                                  つづく

                                               


晩秋の青森・秋田  弘前②

2024年11月20日 | 旅行

津軽そばで体を温めたあと、虹のマートから弘前城の東側にやって来ました。

 

2つの教会

明治に建てられた弘前教会です。こちらはプロテスタント(新教)で、近くには、

カトリック弘前教会がありました。こちらも明治期のものです。

 

弘前は明治になって、英語教育やキリスト教伝道のために多くの洋館が建てられました。B29の飛行距離がここまで届かず空襲を免れたから、今でも残っているんですね。

 

 

最勝院

お城から、南に少し離れたところにやって来ました。

最勝院の参道です。モミジとイチョウ、散り始めていました。先に進むと、

 

新仁王門です。

門をくぐると、

 

「東北第一の美塔」と称賛される五重塔の全容が姿を現しました。

築350年を超える国の重要文化財です。その奥には、

 

本堂がありました。見ていたら、一瞬、西日がさっと当たり、

大イチョウが黄金色に輝きました。間もなく、

 

空模様が怪しくなってきたので、ここで退散。

落ち葉に足を取られないように注意しながら、駐車場に向かいました。

 

 

旧制弘前高校外国人教師館

最勝院から、さらに南にやって来ました。弘前大学です。

ここにも洋館が残っていますよ。

 

これこれ、旧制弘前高校外国人教師館。大正期に建てられた外国人教師の宿舎です。

喫茶店が入っていますが、見学はできます。1階にお客さんがいたので、2階をパチリ。

 

太宰治が下宿していた家が近くに残っていますが、暗くなってきたので見学を諦め、ホテルに引き返すことにしました。

 

 

菊富士

ホテルでしばらく休息したあと、早めのディナーに出てきました。

郷土料理で有名な菊富士です。中に入ると、

 

ずらっと並んだ色紙。

への次郎 「岸朝子さんも来てる

奥さん  「じゃ、間違いないよ

  

奥に進むと、我々が一番でした。

 

まずは地酒でカンパイ。手前は黒石市の菊乃井、向こうは弘前の杜來(とらい)。

お酒のあては、郷土料理の貝焼みそ。ホタテの貝殻がお皿に使われていました。

 

体が温まったところでご飯です。奥さんは、ふるさと定食を注文。

左右両奥は郷土料理。左がいがめんちで、右がけの汁です。

 

への次郎は、比内地鶏鍋そば

そばを鍋に入れて温めます。信州のとうじそばに似ていますが、お汁は素朴な味でした。

 

津軽の地酒と郷土料理、堪能しました。

大通りに出てきました。この日は華金。でも弘前の飲み屋街、人はまばらでした。

                                 つづく

                                         


晩秋の青森・秋田  弘前①

2024年11月19日 | 旅行

晩秋の青森・秋田たびの二日目

 

泊まったのは、弘前グランドホテルです。

サービスの朝食をいただいて、市内観光に出ました。

 

 

弘前市立観光館の周辺

やって来たのは、弘前市立観光館です。

ここに車を止めて、館内に入ってみました。

 

大きなねぶたが展示されていて、右隣りにはお土産屋さん。

への次郎 「これ、甘いんだよ

奥さん  「じゃ、買ってみようか

早くも、お土産に手を出してしまいました。

 

観光館から外に出ると、近くに古い洋館がありました。旧弘前市立図書館です。

明治に建てられ、昭和初期まで使われていました。旧図書館の裏には、

 

明治に建てられた旧東奥義塾外国人教師館がありました。

1階は喫茶店が入っていて、2階が見学できました。

 

奥さん  「明治の建物が残ってるね

への次郎 「空襲かなかったから

 

 

弘前城

観光館周辺を散策したあと、弘前城にやって来ました。

この追手門から入って行きました。

 

杉の大橋です。奥のモミジ、昨晩ライトアップをしていました。

左奥の南内門からさらに入って行くと、

 

下乗橋です。天守閣がのっていた石垣は工事中で、天守閣は奥に仮置きされていました。

ここは数々のサスペンスのロケ現場(『小京都ミステリー』)なんですよね。

 

この先で入園料320円を支払ってさらに進むと、天守閣が見えてきました。

この日、中国系の観光客がたくさん来ていて、写っている人たちも。

 

現存12天守の弘前城天守です。背後の山は、有名な岩木山

への次郎 「これ、移動させたんだよ

奥さん  「えーっ!

 

このあと、天守閣の最上階までのぼって眺望を楽しんだあと、孫のお土産に御城印を買い、城外に出ました。

 

 

津軽藩ねぶた村

弘前城内を散策したあと、近くの観光施設にやって来ました(入館料600円)。

津軽三味線の生演奏が始まると聞いて、急いで入館すると、

 

ちょうど始まったところ。演奏者は長峰健一さん、すばらしい生演奏でした。

聴いていたのは中国系ツァー客。演奏終了後、彼らは食事に移動しましたが、

 

我々二人は残って、ここのお兄ちゃんのお囃子を聴きました。それが終わると、

「やってみねぇかぁ」と勧められ、への次郎、太鼓をたたきました。

 

太鼓を打ったあと、2階に上がってみると、

への次郎 「ここ、光彦のロケ地だ!

                       (『浅見光彦 最終章』)

奥さん 「よく観てるんだね

 

 

虹のマート

津軽藩ねぶた村のレストラン、中国系観光客に貸し切られ、利用できませんでした。

代わりにやって来たのは、弘前市民の台所・虹のマートです。

 

ここは、いわゆる市場。見たところ、鮮魚関係のお店が多かったですが、

野菜・果物のお店もいくつかありました。食べるところもあって、たとえば、

 

こちら、アキモト

津軽そばを注文しました(420円)。

 

津軽そばは、この地の郷土料理で、つなぎに大豆を使います。日持ちを良くするために、一度、麺を茹でて冷やす工夫をします。そのため、いざ食べようとすると、腰のない柔らかいそばになるそうです。

でもこちらのそば、つなぎに大豆を使っているんでしょうけど、作り方はほかのそばと同じでした。食べてみると、ほのかな甘み。大豆でしょうか・・・。

                                   つづく