への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

浅見光彦『紅藍の女』  河北

2024年08月09日 | ロケ地

2泊3日の山形夏旅の最終日、紅花のふるさと山形県河北町を訪れました。ここに紅花資料館があって、浅見光彦紅藍の女』の撮影が行われました。

 

浅見光彦(中村俊介)の知人三郷夕鶴(みさとゆうづる)は、見知らぬ男に「はないちもんめ」と書かれたメモを渡された。直後、夕鶴の親友の父甲戸天洞(かぶとてんどう)が殺される。その現場には「ふるさともとめて」と書かれたメモが残されていた。光彦はこれらのメモの文句が、天洞の故郷山形地方の童歌の歌詞だと知り、夕鶴とともに山形へ向かう。

 

 

映像】 光彦と夕鶴は、タクシーで紅花資料館の前に乗り付けます。

現在】 この作品は、2007年の制作。長屋門左の大木は、切り倒されていました。

 

 

映像】 昔ここで両親が暮らしていたという夕鶴の説明に、「ここが?」と言って驚く光彦。実は、夕鶴の父も山形出身でした。

現在】 堀があって、その奥には石垣と塀。塀の内側に大きな木があって、その枝が堀の上に伸びていました。ロケ当時のままの光景でした。

 

 

映像】 江戸時代からの紅花大尽・旧三郷家の屋敷がそのまま残されている敷地内を奥に向かって進む二人。

現在】 実際にはここは、紅花商の堀米(ほりごめ)の屋敷でした。奥が入口である長屋門の方向です。

 

 

映像】 二人はここで、横堀という人物に話しかけられます。

現在】 敷地の中を滝の沢川が流れていて、その川に架かっている橋です。手前の塀は、ロケ当時あったのかどうか。あったとしたら、塀が入らないようにもう少し高い位置から撮影しているようです。右奥が長屋門の方向です。

 

 

映像】 聞くと横堀は、三郷家の先代に仕えていたそうです。そこでこのあと、二人は横堀とともに、河北町内をめぐりながら、三郷家のこと、紅花のことなどを聞きます。

現在】 光彦たちが立っていた位置は、上の場面と同じですが、カメラの位置が異なります。背後の建物は「紅粉(べに)の蔵 俤(おもかげ)」という建物です。

 

 

映像】 最後に光彦が、甲戸天洞の殺害を伝える新聞記事を見せると横堀は、「あいつだ。あいつが・・・」と言って、黒崎という名前を口にします。

撮影場所は谷地八幡宮(やちはちまんぐう)。ここで光彦は横堀から、「黒崎が復讐している」と聞き、事件は新たな展開をむかえます。

                                         


浅見光彦『化生の海』 加佐ノ岬

2024年06月16日 | ロケ地

沢村一樹さん主演の浅見光彦化生の海』のラストシーン、ここにも三井所剛史(みいしょたけし)の実母宇戸佳代(元女優の深草千尋)が登場します。そこからラストシーンも、石川県加賀市橋立で撮影されたと想像されます。

まず、ドラマの映像を見てみましょう。

 

 

映像

実母が海の見える場所に立っています。そこに浅見光彦がやって来て、剛史が殺害された経緯について自己の推理を説明しはじめます。

 

やがて剛史の妻娘が現れ、光彦が紹介します。実母からは、剛史を捨てた事情と心情が語られます。

この場面、背後に特徴的な小岩が見えます。左の小岩は頂上部にが生えていて、右の小岩は入水部分が鋭角的です。

 

背後に白い灯台が映し出される中、光彦による説明が続き、実母の親族によって起こされた事件の一部始終が明らかにされます。

 

以上の映像から、このラストシーンが撮影されたのは、灯台が上に見える海岸地帯だということです。こういう場所は、橋立には一か所しかありません。それは、橋立の加賀海岸にある加佐ノ岬です。

実際に行ってみました。

 

 

現在

加賀海岸にある灯台です。形状がドラマの灯台と同じです。

左側に小径があったので、下りてみました。すると、

 

立ち入り禁止」を告げる看板と、真新しいフェンスが設置されていました。

「崖崩れ発生」とあるので、今年正月の能登半島地震による崩落でしょう。

 

灯台の反対側に回って海岸部を見下ろしました。

日本海に向かって張り出す出丸のような地形がありました。これが加佐ノ岬です。

 

岬の先の小岩に注目です。拡大してみると、

左の小岩は頂上部の右端がちょっと緑色をしています。その右の小岩の入水部分は鋭角的です。ドラマの映像と、まったく同じです。浅見光彦『化生の海』のラストシーンの撮影は、ここで行われていたのです。

 

 

位置関係

最後に、地図で位置関係を確認すると、

オレンジの下線部分が加佐ノ岬で、ラストシーンが撮影された場所。緑の楕円の部分が北前船主の豪邸があったところで、光彦たち3人が歩いた地区です。

 

 

『化生の海』。この作品は、「浅見光彦シリーズ30回記念作品」として放送されました。北海道・石川・福岡を舞台に、「北前船」とそれにかかわった人たちの人生が交差する、見ごたえのある作品でした。

北前船主の屋敷が残る橋立は、この作品に重要な舞台を提供しています。その古い町並みを実際に歩くことで、ロケ現場の雰囲気を感じることができました。ただ、ラストシーンの撮影現場に足を踏み入れることができなかったのは、能登半島地震のためだとは言え、残念でした。

                                        


浅見光彦『化生の海』   橋立

2024年06月14日 | ロケ地

加賀・越前を旅した際に訪れた橋立は、沢村一樹さん主演の浅見光彦化生の海』のロケ地でした。光彦はなぜ、橋立に行ったのでしょうか?

 

 

北海道に住む三井所剛史(みいしょたけし)が石川県加賀市橋立で遺体となって発見された。たまたま石川県を取材旅行していた浅見光彦(沢村一樹)は、剛史の骨箱を抱いた母娘に出会った。

その後、小樽で再会。そのとき、亡くなった剛史が大切にしていた人形を見せてもらった光彦は、人形を包んでいた紙に橋立村と書かれていたのが気になり橋立へ。も後を追った。

光彦と娘は、剛史の死を不審に思い取材を続けていた新聞記者と加賀市で会い、3人で橋立に向かった。

 

 

映像】 場面が橋立にかわると、赤瓦が印象的な集落が映し出されます。

この場面、どこで撮影されたのか地元の方に聞きましたが、分かりませんでした。

 

 

映像】 橋立に来た3人は、神社の前を通って向こうに歩いて行きます。

現在】 この神社は出水(いずみ)神社。3人が歩いている狭い道は、北前船の船主の豪邸が残っている通りです。

 

 

映像】 光彦と娘は新聞記者から、北前船による橋立の往時の繁栄のさまを聞きながら歩いて行きます。

現在】 右の建物は北前船主の邸宅の一つで、現在は蔵六園として公開されています。

 

 

ここまでの撮影は、橋立のオレンジ線のエリアで行われ、

ここからあとの撮影は、黄線のエリアで行われました。

 

 

映像】 新聞記者「明治の終わりごろに鉄道が発達して、(橋立は)急速に衰退したそうですよ」。

現在】 真ん中に見える高い松が植わっているところが北前船の里資料館。3人は右の方から資料館の前までやって来て、そこから方向を90度変えて、こちらに歩いて来ました。

 

映像】 新聞記者「いまはもう、廃墟になっているところも何軒かありますけど・・・」。

現在】 左側は、北前船主増田又右衛門の屋敷です。ロケ当時あった、手前の小さい小屋のようなものは、ありませんでした。右の建物は、ロケ当時と少し違っていました。

 

映像】 通り過ぎたあと光彦は、石段の上に顔見知りの人がいたような気がして引き返します。

現在】 増田又右衛門邸の石垣の石は、笏谷(しゃくだに)です。福井市で採れる高価な石で、濡れると青色に変色するそうです。

 

 

映像】 石段の上で掃除をしていた女性は、光彦が以前一度取材に来た際、きんつばをごちそうになった女性でした。

現在】 じつはこの女性、三井所剛史が小さい頃に剛史を捨てた実母宇戸佳代(元女優の深草千尋)だったのです。塀の様子は、ロケ当時と少し異なっていました。

 

 

このあとドラマは、三井所剛史殺害の真相に近づいた新聞記者が殺害される連続殺人事件に発展していきます。

 

この場面が撮影された橋立は、江戸後期から明治中期にかけて活躍した北前船の船主の邸宅など古い建物が残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

そんな風情のある集落でロケが行われたのは、2011年のこと。それから10年とちょっとしか経っていないので、橋立の古い町並みは、ロケ当時とほとんど同じでした。

                                 つづく